「ウワッ!ごはんに足突っ込んで歩き回ってるよー」
「オムツ替えてー」
17歳になる犬のミンクのお世話で我が家は毎日ドタバタです。
母の死によってミンクを引き取ることになり、その後も怒涛の人生を歩むことになったのですが、今日はそのお話をします。
母はおっとりした女性らしく家庭的な人でした。
母はわたしの話をうんうんと聞いてくれていて、その時間がだいすきでした。
すべてを受け止めてもらえているような安心感を感じられたからです。
わたしは成人してからも優しい母に甘えっぱなしで何も不安なく過ごしていたのですが、15年前に母は突然、くも膜下出血により亡くなりました。
いつも味方でいてくれて、褒めて肯定してくれていた母。
母がいてくれることを当たり前のように思っていたし、いつまでもあるものと思っていました。
信頼している人がいなくなる辛さや孤独感、愛してくれていた人をなくすということ。
30数年生きてきてそれなりに辛い思いもしてきたけれど、絶対的な味方を亡くしたことのダメージはとても大きく、自分の一部がなくなってしまった、そんな感覚を感じたことを覚えています。
「わたしは誰から見ても可哀そうな人なんだ。」
そう思い、可哀そうな人生になるような選択を繰り返しました。
妻を亡くして傷心しきった父に実家を売却するようすすめ、愛してくれていた夫に離婚を申し出ました。
帰る家を失くし夫もなくし、何もかも捨ててしまいたかったのかもしれません。
その後、出会った男性にはDVを受けつづけ、もう人生どうなってもいいと思いました。
いま思えば自分を傷つけることで、母を亡くした悲しみを麻痺させていたのかもしれません。
絶望の最中、何かに突き動かされ藁をも掴む思いで心理学を学び始めました。
心理学を学び、母が亡くなってからの怒涛の人生は運命ではなく、自分が引き起こしていたのだと知りました。
心理学では人は自分の見たいように世界を見ているといいますが、孤独で辛い人生だと思ったのは、わたしがそう思い込んで自分の世界を見ていたからでした。
愛してくれる父がいたのに無いものばかりに目を向けて、「父の愛は受けとりたくない」と、あるものから目を背けていました。
子は親のいろいろなところをコピーしているといいます。
言語を習ったこともないのにいつの間にか日本語が話せるようになったのは、子は親を真似て覚えるからだそうです。
それと同じで、ものの考え方やとらえ方、性格なども親からコピーされていたりするのだそうです。
母をコピーしているのだとすれば、母の持っていた愛情や優しさや思いやりの心もコピーされているはずです。
犬のミンクを引き取ることになったとき、わたしは愛してくれる人を無くしたその子を自分に重ねて不憫に思っていました。
愛してくれる人を求めているわたしが母の代わり(愛する側)になれるとは思わなかったのです。
母が愛してくれたようにこの子を愛してあげたい。
しあわせにしてあげたい。
と願う気持ちはまぎれもなく母から受け継いだもの。
人は与えられたものを誰かに与えたいと思うようなのです。
ご機嫌そうなミンクを見ると心がほっこりと温かくうれしい気持ちになります。
きっと母も同じようにご機嫌そうなわたしを見て満たされていたのだと思います。
今日も我が家はミンクを囲んでドタバタと楽しく暮らしています。