私はふられるのにふさわしい?
こんばんは
神戸メンタルサービスの平です。
失恋をしたとき、みなさんの多くは「なんで?」ではなく、「やっぱり‥‥」と思うことのほうが多いのではないでしょうか。
なぜか、「やっぱり‥‥」なのです。
心のどこかで、「私はふられるのにふさわしい」とずっと思っていたようなのです。
理由は人それぞれで、「パートナーと私じゃつりあいがとれない」などと思っている人もいますし、「この私に幸せなんか似合わない‥」と、まるで人生哲学において「失恋という罰が私にはふさわしい」と思っているようなケースもあります。
どうも、失恋したときには、「私には幸せになることよりも、罰せられるほうがふさわしい」と思ってしまう心の力学が働きがちであるようです。
そして、「自分は愛されるにふさわしくない」、「罰せられるにふさわしい」という思いがあるときに、新しい出会いがあり、おつきあいが始まったらどうなるでしょう?
彼がどんな人であるかには関わらず、彼のことを疑ってしまうと思いませんか?
こんなときは、「私を愛するために、私の人生に登場した人」ではなく、「最後の最後、私にアッカンベをして逃げる人」というように感じてしまうわけです。
つまり、彼がどれだけあなたに愛を送ってくれたとしても、あなたは彼のことを疑いつづけます。
そのために、彼を試しに試すというようなことをしてしまい、彼は疲れ果て、あなたのもとを去っていくわけです。
そして、あなたは一人つぶやくわけです。
「ああ、やっぱり‥‥」
失恋にはいろいろなパターンがありますが、このように、あなたの独りよがりから来る失恋というのは、じつはものすごく多いものです。
恋愛の初期段階の失恋は、ほとんどこのパターンだと言ってもいいほどです。
「ほんとうに、こんな私でいいの?」とか「こんなオレでほんとにいいのか?」というようなことを、あなたはパートナーに聞いたことはないでしょうか?
これこそが、「自分は愛されるにふさわしくはない」という思いから、相手の愛を疑い、受け取れないときの典型的なパターンなのです。
このときの深層心理には、「あなたは、とんでもなくひどい、ほんとうの私のことをまだ知らないのよ」というネガティブな自己概念があります。
その中には当たっている部分もあるのかもしれませんが、でも、それ以上にあなたは「すばらしい魅力をもっていて、愛される価値がある人」だということをあなた自身が知らないのです。
あなたは自分の中にある「愛されない」という思い込みで自分自身を見て、一方、パートナーはあなたの中にある「愛されるにふさわしい部分」を見ています。それぞれの見ているものが一致しないわけです。
そして、ケンカが始まるわけです。
あなたが手放すべきものは、この「自分は愛されるにふさわしくない」という思いなのです。
そして、もし、パートナーにふられたときに「え、なんで?」と思うことができたら、失恋の傷はほぼないといえそうです。
「こんなにあなたを愛している私、こんなにおトクな私をふるなんて、信じられない。バカじゃないの、もったいないわねぇ。見る目がないわ」。
そんなふうに心から思えたなら、傷ついたり、落ち込んだり、「もう、恋なんかしない」と大事なものをドブに捨てる決断をすることもなくなるでしょう。
そして、さっさと次のパートナーへと向かっていけるはずなのです。
「愛されるにふさわしい」。
あなたのまわりの人は、きっと、あなたのことをそう扱ってきたはずです。
そういう目で、もう一度、人生をふり返ってみてもらえませんか?
では、来週の恋愛心理学もお楽しみに!!