どこの家にだって、なにかしらの「闇」があるんじゃないかと思うんです。
不仲、絶縁、不慮の死など…
自分がまさに直面した出来事じゃなくて、過去の話、遠い親族の話だとしても、心に影を落としていることが誰にでもあるかもしれません。
わが家にも黒い靄に包まれたような謎と秘密があって、私も父も兄たちもそれを引きずっているところがあったのですが、先日わずか1カ月ほどの間に「闇」が消えるようなことが次々に起こったんです。
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小さいころ私は両親から父方の先祖の物語を繰り返し聞かされました。
話だけだったんです。
祖父は父が結婚する前に、祖母は私が2歳の時に亡くなったから。
その聞かされる話も、個人の具体的なエピソードじゃなくて
ひぃひぃおじいさんが、北海道に移住した
ひぃおじいさんが、酒造業をはじめた
おじいさんが、酒蔵を樺太に移転した
土地がどれだけあった、ソ連軍に商品を接収された
そんな、創世記か!とツッコミたくなるほどの、ワンフレーズ物語だけ。
父は樺太にいた当時あまりにも幼くてほとんど記憶なんてなかっただろうし、祖父と会話なんかしたことがなかったから、父が自分の目で見て体験したことじゃなくて、誰かから聞いた話を、ソックリ子供たちに聞かせただけだったんだろうなぁと思うんです。
私の小さい頃はまだ家に古い道具類が少し残っていて、屋号の入った柳行李や前掛けがあったりして、そんな物的証拠とともにチラ見せのようにちょびっとだけ語ってもらえる「ご先祖様ストーリー」は、謎だらけでもっと知りたいのに知るすべがなくて、私にとっては英雄譚の叙事詩に匹敵するリアル御伽噺だったのです。
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そこから5年ほど経ったころ「ルーツ」というアメリカのテレビドラマが日本でも話題になりました。
黒人奴隷の末裔の作家が先祖の歴史を調べた物語をドラマ化したものです。
父は「うちもルーツを調べるぞ!」と言って戸籍を取り寄せたりし始めました。
同時期に父はニューエイジ思想やスピリチュアルに傾倒しはじめ、新興宗教に出入りするようになり、さらに5年後にはお告げに振り回されるようになっていました。
「〇代前の先祖が憑依しているから供養するように」なんて言われて父母両方の家系の古い戸籍を取り寄せての大調査が始まったのですが、「ご先祖様が祟るわけねーだろ!」と苦々しさしか感じない私。
ウンザリして、仏壇に手を合わせることもやめてしまい、私とご先祖様は仲良しだったのに、大きな溝ができてしまいました。
それからさらに15年ぐらい経って父が亡くなったとき、私は父に腹を立てていましたから遺品なんか欲しいとも思わなかったのですが、ご先祖様を調べていた古い戸籍・除籍謄本や資料だけは捨てられないようにこっそり確保してずっと手元に持っていたんです。
「こんなもの持っててどうするのよ?」って思いながら。
それからさらに20年以上経ちます。
ごくたまに思い出して眺めはするけれど、すでに知ってる話以上のことは分からなかったのに、この10月頃ふと思いついて、資料の中で紹介されていた本のタイトルをググってみたら国会図書館のデジタル資料で簡単に読めてしまって拍子抜けしました。
家にいたまま印刷までできるんですよ。すごい時代です。
ひぃひぃおじいさんの姉妹の嫁ぎ先が商売で成功して、移民して成功した人たちの紳士録みたいなものに載ったもので、そこにご先祖様が名前だけ登場するんです。
ちょっと待った!
大大大叔母さん(「高祖叔母」というらしいです)の資料がヒットするということは
ひぃお祖父さんだって何か資料あるんじゃね?
だって相当大きな酒蔵だったらしいじゃん?
検索したらまぁ、出て来る、出て来る、出て来る…
紳士録、郷土資料、古地図、業界紙…一つ見つけた資料からいもづる式に思いついて、あれもこれも出て来ました。
「一体なんで私、3代も4代も前の人のことがこんなに知りたいんだろう?」
我ながら自分の「知りたい欲」に疑問を感じながら調べていたのですが、酒蔵の二代目であるおじいさんの、業界紙か何かに乗ったインタビュー記事を見つけたとき、自分の調べていることが腑に落ちたんです。
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ワンフレーズ物語のところで書いた
「父は樺太にいた当時あまりにも幼くてほとんど記憶なんてなかっただろうし、祖父と会話なんかしたことがなかったから」というのは、わが家のリアル御伽噺には暗い側面もあって、祖父は精神疾患の治療の副作用で、父がものごころついたときには会話ができる状態ではなかったのだそうです。
当時は現代よりもはるかにはるかに偏見が強かったはずで、祖父は座敷牢に隠され、父は友達を家に呼ぶこともできず、恥と秘密を知られないように生きるのは家族みんなにとって重苦しかったことでしょう。
昔のことなので、遺伝するんじゃないかとの誤解で恐れていた時期も長かったみたいです。
家業の従業員に面倒を見てもらった話や、疎開先の先生の話、勤め先でのエピソードは聞いたことがあっても、祖父と祖母の話を父から聞いたことはありません。
私にとってこの家系全体が、私を生んだ大元でありながら、そっくりまるまる謎だったんです。
「おじいさんは二代目、樺太に行った、心を病んだ」しかわからなかったのがいきなり、若干20歳で社運を背負って樺太での試験醸造を成功させて事業を広げていく頃の、意気揚々としたインタビュー記事に出会ったんです。
私は読みながら泣けて、泣けて。
「おじいさん、いた、ここにいた、元気だった、メッチャ活躍してた!」
昔々あるところに、心を病んで座敷牢に隠されていたおじいさんがいてのぅ。
私にとって、そんな嘘かまことか、実在の人物かわからないようなイメージだった祖父が、初めて生き生きとした感情のある生身の人間として感じられた瞬間でした。
きっと父が探していたのも、本当はこれだったのかもしれません。
祖父は家じゅうの「タブー」だったから、父の意識から祖父のことは締め出されていて、その代わりに、もっと古い先祖のことを知りたいとか、成仏してない人を探さなきゃなどと置き換わっていたのかもしれないなぁと思います。
普通に生活し会話をする中で、親から子へと、愛情とか人生の哲学とか受け継がれるはずの心が祖父と父の間では途切れてしまい、受け継ぐことができませんでした。
周囲の誰かから話だけでも聞かされていればそれで伝わるものもあったのでしょうけれど。
私がみつけたもの、今からでも父に届くといいなと思います。
いや、もうあの世で会えてるかな?
おじいさん発見にはもう少し続きがあります。
インタビュー記事で祖父は東京の醸造試験所へ研修に行ってきたと語っており、調べると文化財として残っていて、通常非公開なのですがちょうど年に一度の公開日がじきにあることが分かったんです。
何というタイミング!ミラクルかよ!?
おじいさんは確かにここにいたんだ。半年滞在して、近代的な酒造りを学んだんだ。
胸がいっぱいで泣きそうになりながら時間をかけてじっくりと見学して、研修参加者名簿の中におじいさんの名前を見つけて、お墓でも仏壇でも感じられなかったおじいさんの存在にようやく触れることができた気がします。
今回調べたことで他にもいくつもの謎が解けたり、事情が分かったり、疑惑が晴れたりして、わずか1カ月ほどの間に家系の闇の部分が次々と光に照らされて行き、「分からなかった」ことが「分かる」だけでこんなに心が凪ぐのかと思う体験でした。
私の場合は、情報があまりに少なかったのが、資料を見つけることで光が当たりました。
他にも、どちらか一方の解釈で思い込んで伝えられていたり、そっとしておこうと気を使っているうちにタブーになってしまったりして「闇」になっていることがあれば、違う見方を見つけることで光が当たるかもしれないと思うんです。
もしもあなたの家族・親族に「闇」があって、心に影を落としているとしたら、いつか光に照らされますようにと願っています。