犠牲と貢献の違いについて

罪悪感か、それとも与える意識によるものか

恋愛でも仕事でも、どこか自分の利益をかえりみず尽くした結果、大変に疲れ果ててしまう方がいます。また、恋愛でも仕事でも「貢献」を意識して行動し、どんどん自信や能力を高めていく方もいます。外側から見ると「尽くす」という同じような行動をしているように見えるのですが、その結果は全く異なる場合があるのです。そこで今回の講座は犠牲と貢献の違いについて解説します。

恋愛でも仕事でも、どこか犠牲を続け、自分の利益をかえりみず尽くした結果、大変に疲れ果ててしまう方がいます。

例えば、やっと出会えたパートナーのために尽くし続けた結果、どこか気持ちの面で燃え尽きを感じ、好きな人と一緒に痛いのだけれどもすごく苦しい気持ちやうんざりした気持ちを感じるようになってしまった。

自分のプライベートな時間を削ってまで仕事を続けてきたのだけれど、いつも報われない思いが続き、ドンドンとやる気を失ってしまった。

そんなケースが該当するでしょうか。

また、恋愛でも仕事でも、どこか「貢献」を意識して行動していった結果、どんどん自信や能力を高めていく方もいます。

外側から見ると、同じように恋愛や仕事に関して「尽くしている」ように見えるのですが、その結果は全く異なる場合があるのです。

では、この犠牲と貢献の違いはどこにあるのでしょうか。

○犠牲は罪悪感を動機とした行動

犠牲は「罪悪感」が行動動機となっている場合が少なくありません。

罪悪感とは「私は毒である」「私は罰されるべき存在である」といった感覚をもたらすもの。

つまり、犠牲とは「私は毒」「今の私が悪い」「私は罰されるべき」といった意識的、または無意識的な思いがベースとなっているのです。

「私は罰されるべき存在だから(このままでは愛されないから)尽くすべきだ」
「私は不十分な存在だから(このままでは周りに申し訳ないから)自分のことを顧みず尽くすべきだ」

そんな思いが強くなってしまうことが少なくないのです。

だから、尽くしても尽くしても、必死に頑張っても、ちっとも報われた感覚がやって来ません。

誰かが喜んでくれる、誰かのためになっている、そんな事実があったとしても、一時「ホッ」とできるだけで、報われる思いや充実感、達成感を感じることが少なくなるのです。

これはまさに罪悪感の影響と言えるのですが、この状態を別の視点で眺めると「自分がいない状態だ」とも言えるのです。

もし、自分が罪悪感にふさわしい存在であるとしたら、そんな自分が幸せや頑張った報酬を望んではいけないわけですよね。

つまり、自分が何かを欲したり、何かしらのリターンを求める(報酬や能力の向上)ことが難しくなるのです。

その上で、自分の利益を顧みず尽くすわけですから、犠牲はやはりとても苦しいものと言えるでしょう。

○貢献は自分の意志で与えるという行動

一方、貢献は「自分の意志でなされるもの」といえます。

貢献とは「自分を罰するような行動」ではなく、自らの意思で物事や社会、ときにはパートナーや家族のために役立つように力を尽くしている状態と言えます。

これは恋愛や夫婦関係など「人を愛する」という場面でも同じことが言えるでしょう。

「私は愛するパートナーの役に立つように尽くしたい」。
「私は本当に好きなこの会社の役に立つために尽力すると決めた」。

このような思いはまさに与える意識そのものです。

つまり、貢献を意識して行動することは、自分の能力や経験を深めるだけでなく、自分を許す、自分を肯定する材料にすらなる場合があるのです。

何より貢献することによって、自分が喜びを感じますし、充実感で満たされることもあるのです。

○自分の存在価値を認めながら、与える意識を持つこと

「私は罰されるべき存在だから(このままでは愛されないから)尽くすべき」

「私は愛するパートナーの役に立つように尽くしたい」

この言葉だけを比べていただいても、その違いは一目瞭然ではないでしょうか。

もう少しシビアな表現を使うとするならば、犠牲は自分のためになされ、貢献は自分と相手のためになされるもの、と言えるかもしれません。

ただ、犠牲をするととてもつらく苦しい思いを抱えることが多いわけですから、実際のところは自分のためにもならない場合が多いのではないでしょうか。

自分の中にどのような思いがあるにせよ、犠牲は手放しておきたいところかもしれませんね。

もし、あなたが犠牲ではなく貢献という意識を持って、誰かや何かに対して与えたいと願われるなら。

また、今までの自分が犠牲的な行動を取り、心が疲れ果ててしまっているならば。

可能な限り、自分を罰したり、自分の価値を認めない態度を手放していくといいでしょう。

まずは、自分の存在価値を認めながら、与える意識を持つことです。

言い換えるならば、どこか「私が関わってもいいのだろうか」「私が与えてもいいのだろうか」といった不安や自分を過小評価するような遠慮を行動動機にしないことです。

私はこれがやりたい。こんな風に貢献したい。相手のために与えたい。

素直にそう思う習慣を身につけてみるといいでしょう。

自分の存在価値を認めながらも、同時に与える意識を持つことで、犠牲を手放し、あなたにとって大切な人や物事に積極的に関わることができるようになるでしょう。

(完)

この記事を書いたカウンセラー

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年間400件以上の面談カウンセリングを行う実践派。「男女関係向上・男性心理分析」「自信・自己価値向上」に独特の強みをもち、ビジネス・ライフワーク発見なども対応。明快・明晰かつ、ユーモアと温かさを忘れない屈託のないカウンセリングは「一度利用するとクセになる」と評され、お客様の笑顔が絶えない。