■息子が不登校だった頃、始業式は最悪の日だった
うちの息子は小学生の頃「不登校」になりました。
集団登校をする子どもたちの姿を見て、体が震えて泣き出したこともありました。
行かなければならないのに行くことができない自分。
行かなければならないのに行きたくないと感じてしまう自分。
みんなは学校に行っているのに、自分は行けない。
そんな自分のことが情けなくてみじめに思えて、自分のことが嫌いになる。
息子はそんなふうに感じていたようで、どんどん自分を追い込んでいって、家の外に出ることもできなくなりました。
わたしはわたしで、そんなわが子が目の前にいるのに、上手に手を貸すことができずにいる自分に憤りさえ感じていました。その頃の私たち親子にとっては始業式の日は最悪の日。なぜなら、学校に行けない自分を普段以上に強く意識させられる日だったからです。今日はそんなときを思い出しながら・・
■揺れる親の心~大切だから心配になる~
子どもが学校に行きたくないと言い出したり、行けなかったりしたりすると、親は少なからず動揺します。「あ、そうなの。それなら無理せず休んでいいよ。」と笑顔で言い続けられる人もいるかもしれませんが、少なくともわたしはそんなふうにはできませんでした。
「学校にも行けないなんて・・。そんなことでこの先やっていけるんだろうか?」
「学校の先生や近所の人にどう思われるだろう??」「わたしの育て方が悪かったの?」というような思いと、 目の前で動けなくなっているわが子にどう手を差し伸べたらいいのかわからない戸惑い。「なんで普通に学校にいってくれないんだ!どうして私を困らせるのよ!」と子どもを責めたくなる気持ち。いろいろな思いでいっぱいいっぱになって、寄り添った方がいいと分かっていても、不安や心配やイライラがつのって、息子に八つ当たりしてしまうことも少なからずあったのです。
「学校に行かない」ことで起こるであろう未来の困難に思いをはせて心配になるのは、子どものことが大切で愛おしいからだし、悩んで落ち込んだり、荒れたり、あきらめたり、ひどい言葉を口にしたりする子どもの姿を目にするが、言いようもなく辛く悲しいのも、子どものことが大切で愛おしいから。
根っこにあるのは「大切」「愛おしい」「かわいい」という思いなのに、表面に現れる親心は様々です。
■「子どもが学校にいけない」という事実を<困ったことにしない>とは?
こんな言葉を聞いたことがあります。
「子どもが学校に行かない」ということを「困ったことだ。」「問題だ。」と感じているのはあなたなんだから、その感じ方を変えれば「不登校」は「困ったことにも、問題にもならない。」んだよ。
確かに、「学校に行かなくても大丈夫。」「学校の先生や周りの人がどんなふうに思うかなんてどうでもいい。」「この子はこのままで大丈夫だし、困難なことがあってもなんとかできる。」と感じられたとしたら、「学校に行けないことなんてどうってことないし、このままでもなんとかなるよ」と思えるのかもしれません。そして、そうに思えたら、不登校は困った問題ではなくなるのかもしれません。
とはいえ、なかなかそんなふうには思えないから、困るんですけれどね。
思えない理由の一つは、私たちの中にある「〇〇しなければ幸せになれない」という思いこみです。
親は子どもに幸せになってほしいと思えば思うほど、自分の中にある「〇〇すれば幸せになる」「〇〇しないと幸せになれない」という思いに縛られます。
例えば
勉強ができないと幸せになれない。
友達がいないと幸せになれない。
我慢ができないと幸せになれない。
と思っていると、
学校に行けない=上記の3つのことができない=幸せになれない、となるというように、です。
そして、「このままだったら、うちの子は幸せになれない。困った、どうしよう??」
と不安な気持ちが湧き上がってくる、というわけです。
このような場合には、自分自身の心の中にある「幸せになるためのルール」を見直して、「そうじゃなくても大丈夫かも?」「これ以外にも幸せになる方法はあるかも?」とルールをゆるめると、「学校に行けないことは必ずしも困ったことではない」と変化させることができます。自分の心の中のルールが変わるだけで、「私を困らせる問題」が「困らせる問題ではなくなる」のです。
■子どもの持つ「問題を乗り越える力」を信頼する
学校に行けないという思いを抱えている子どもと、その姿を目の前で見る親。
どちらも「辛い」し、「苦しい」です。また、親は子どもよりも多くの経験をしている分、その経験を生かしてなんとか子どもを助けたいと思います。
けれども、たとえ親であっても、子どもと入れ替わることはできません。子どもの悩みも苦しみも悲しみも怖れも、子ども自身のものであって、親は身代わりにはなれないのです。それは、めちゃくちゃはがゆくて、じれったくて、切ないことだから、
親は、子どもに対してついついやってしまうのです。
「転ばぬ先の杖」
失敗しないように、転ばないように、困らないように、先回りして手を貸すというようなことを。
失敗から学ぶこともある。転ぶから学ぶことがある。そうわかっていても、見守りきれずに、口を出したり、助け舟を出したりしてしまうのです。
けれども、子どもには子どもの思いがあります。
それは「自分の悩みやしんどさに親をまきこみたくない」という思いだったり、「自分で解決したい」という思いだったり、「学校に行けない自分なんてサイテー」という思いだったり。
そして、そんな気持ちを抱えながら、悩み苦しみ、それでも自分の足で立ちたいと思いもあって、というように、子どもの心の中にも複雑な思いがあるのです。
この「子どもの思いを見守る強さ」、いいかえれば、「子どもの成長する力を信じる力」「子どもが悩むべき問題を先回りして解決しない忍耐力」を持つことが親にとっては大切なことだと思います。
親であるわたしたちが、悩んだり、失敗したりしながら成長してきたように、子どもたちも悩んだり、転んだり、失敗したりしながら成長していきます。わが子の持っている「成長力」を信じて、いつでも手を貸せる状態で見守ることにチャレンジしてみませんか。
次週は池尾千里カウンセラーが担当します。お楽しみに~。