私の夫は、私の笑っている姿が好きだと、言います。
それは
「ちさの微笑みが、まるで僕の女神のようで癒される」
からなのです。
という話では、残念ながら、ちょっとだけないのです。
いや、男の子の
「ちょっと」
はちょっとではなく。
全然、違うようなのです。
どれだけ違うのかというと、私が笑うと、夫は私の笑う姿を物まねし始めます。
「ふふふふ、はははは、あ~はっはははは!世界を、征服した!」
と。それはそれは、嬉しそうに。
その笑い方のことを、英語ではEvil laugh(悪魔の笑い)と呼びます。
当然ながら、私は
「世界を、征服した!」
などとは、一言も言っていません。
もちろん、露とも思っていません。
ただ、私は
「おもしろい」
と、思い笑いスイッチが入ってしまうと、おなかの底から笑い声が出てしまうのです。
そのため、非常に低音で、おなかの底から笑い声が響いてしまいます。
「こわいよ~。悪魔の笑い」
と、夫はうれしそうに言うのです。
■笑いが消えた日
そんな私たち夫婦にも、笑いが消えてしまったことがあります。
待望の第一子である、娘が生まれた頃のことです。
私自身、娘の浅い眠りに、毎日ひどい寝不足でした。
カーテンの隙間から朝日が昇るのを確認すると、非常にほっとしたのを覚えています。
なぜなら、夫も眠りが浅い人。
夜はできるだけ夫の睡眠を削らないよう、娘を泣かさないように必死だったからです。
私はどんどん痩せていきました。
そしていきなり、今までないほど体重がリバウンドしました。
自分のすべてを後回しに、女性であることを切り捨てる毎日。
私は、自己嫌悪の塊になりました。
母であることだけに、一生懸命になってしまっていたのだと思います。
そんな私の姿は、夫にとっても、
「非常に寂しいものだったのだろうな」
と、今の私は思うのです。
■罪悪感が生み出すもの
私は当時、夫の思いが、全くわからなかったです。
わかろうと、していませんでした。
「私ばかりが大変で、苦しくて、辛い。でも、私という存在が、きっと夫のことも苦しめている。私は、夫に捨てられる。私は、夫に嫌われている」
と、私は私ばかりを見ていました。
そして、夫を「私を責める人」にも、仕立ててしまいました。
なぜなら、私の罪悪感があったからです。
私は、夫を見ていませんでした。
自分が夫のことをさぼっていることを知っていたからです。
■カウンセリングを受けて
私は両親の離婚から、
「家族というものが、あっという間に壊れることもある」
ということを、実際に体験をしています。
家族の危機が我が家にもひたひたと迫る音が近づくのが聞こえてきた私たち夫婦は、カウンセリングを受けました。
そのカウンセリングのなかで、夫がポツリと言いました。
「私に、笑っていて欲しい」
と。
私、全然笑ってなかった。笑えなかった。
深刻になると、私たち人間はどうやら笑えなくなってしまうようなのです。
■幼い頃の祈りを思い出す
私はこどものころ、両親を見ていてずっと思っていました。
「お父さん、お母さん、お願いだから、笑って。そのために、私はなんでもする」
幼い頃の私は、布団のなかで声を押し殺し泣きながら、祈りました。
「私、娘には、そんな思いをさせたくない」
■幸せになっていい
やっとやっと、私は覚悟を決めたのでした。
せっかくご縁ができて結婚までした夫に。
命をかけて生まれてきてくれた娘に。
「深刻さを手放そう。笑って生きたい。もっと、シンプルでいい」
と。
娘を傷つけることなく育てることに一生懸命になりすぎて、力み過ぎていたのかも。
それは、私の母もそうだったのかもしれません。
でも、その力みが今や娘をも、傷つけることになっていました。
夫だって、私に怒っていたわけではなく、ただ、寂しくて、辛かっただけなのです。
そのうえ、責任感の強い夫にとって、私が全然笑っていないということが、どれだけ地獄だったのだろうと、振り返るのです。
そして、ただ私が笑っているというだけで、夫は救われるようなのです。
私、思うのです。
おそらく、世界中の旦那様が、奥様に対して
「隣で笑っていてくれることでどれだけ、救われるか」
と思っているのだろうと。
逆にいえば、奥様が笑っていないとうことで、世の旦那様は、
「妻を救えなかった。申し訳ない。そしてそんな自分は無力で、罪である」
と、誤解なのですが、ものすごく深く罪の意識や無価値観を感じてしまうようなのです。
■頑張ることだけが、いい結果がでるとは限らない
必死に頑張ることがとにかく必要な時期、人生でも何度かあるかと思います。
それは、人生においてとても大事で大切な時期なのだと、私も思います。
でも、私自身は、
「歯を食いしばれば、頑張れば、『必ず』いい結果が出るとも限らない」
ということも学びました。
ベストを尽くしながらも、緩むこと、深刻さを手放すこと、楽しむこと、つながることの大事さに気付いたころから、なんと!娘がよく眠ってくれるようになったのです。
私の力みや必死さが、もしや……娘の眠りを邪魔していたのかもしれません。
■笑いの力
私たちは、どれだけ癒されても、悲しみや、不安が一切なくなるなんてことは、ないのかなと、私は思います。
悲しいときは悲しみ、不安なときは不安を否定することなく、でも、本当に大事なことを大事にしていくこともできます。
いろんな感情を抱えながらも、同時に、私たちは喜び、楽しみ、幸せになっていいのだと、私は思います。
「泣いて、笑って、もっともっと、幸せになっていい。笑顔でいる、幸せでいることを、自分に許可する。私たちの笑顔は、大切な人を笑顔にもする。そして、光にも希望にもなる。みんなの幸せにも、なる」
私は、そう思っています。
深刻だったころ。はっとみると、娘が一生懸命、私たちに笑いかけてくれていました。
娘が、この家の沈んだ空気をなんとかしようとしてくれていたのでした。
娘の笑い声は、非常にかわいらしかったのです。
「娘の思いを、無駄にしたくない」
私は、娘の家族に笑顔を分かち合おうとする姿に、感謝しかありませんでした。
私たち夫婦もつられて、一緒に笑えるようになった日が、訪れたのでした。
■笑いとセクシャリティと
この出来事から、「笑いの力のすごさ」を、私は教えてもらいました。
笑いは、腹の底から、あがってきます。
それはセクシャリティの感覚に、とても近いものだと、私は思うのです。
セクシャリティとは、性的なものだけではありません。
生きる力、そのものです。
生きる力を、産み、大きく育て、実らせてくれる力。幸せな人生を、創っていく力。
だから私は、いっぱい笑って、これからも、生きていく。
そんな私の微笑んでいる姿に、夫も
「僕の女神!」
なんて、きっとぞくっと魅了されているはず。
「うん。地獄の笑いが、今日もすごい。ぞくっと恐怖を感じる」
「えっ!」
なんて一緒に笑う日、私幸せだなと、心の底から思うのです。