居場所が見つからない、どうせ川から拾われた子だから
「お前は〇〇川から拾ってきた子だ」と言われたことはありませんか?
この話は、日本全国地域を問わず、言われた経験のある方は少なくないようです。
そう言われて、かつては「この家に居場所がない」と思い、今どこにも自分の居場所がないと感じていませんか。
●「お前は川から拾ってきた」話
ある日突然、親兄弟などから「お前は〇〇川から拾ってきた子だ」と言われるところが始まりです。場所が橋の下になった「〇〇橋の下から拾ってきた」バージョンもあります。
大抵は、その話が「本当なの?」と驚き、ショックをうけるくらいの年頃の子供に対して言われることが多いようです。
●言われた子供の気持ち
人が言うことを信じやすい素直な子供ほど、大きなショックをうけて悲しむでしょう。そして「嘘だよ」と訂正されて笑い話になった人は、この話を忘れてしまうでしょう。
また、このお話が事実ではないことは、いずれ理解する日がきます。なぜなら、顔や声が似ている、親子を証明する公式文書を見る機会などで、疑いようがなくなるからです。
●心の奥に残る疑惑
事実ではないと理解したとしても、「なぜそれを言ったのか?」を探求する子供も少なくありません。多くの場合は、ネガティブな理由と結びつけて考えます。
例えば、「私のことだけ家族と思っていない?」「本当は私がいるのが迷惑?」「私はこの家に必要ない子供?」など。自分が愛されていない、邪魔者と思われているなど、家族への疑惑が心の奥に残ることもあります。
大人側には、軽い冗談のつもりだったとか、言われた時の子供の反応がかわいいから言ってみたとか、駄々っ子がおとなしくなるから言っていたとか、大人側の事情があるでしょう。でも、子供の発想では、大人の事情には思い至らず、「愛されない」「嫌われている」と誤解してしまったりするものです。
●本当の親がいるなら
また、中には「お前は〇〇川から拾ってきた子だ」と言われてホッとする子もいます。「本当の親が別にいる」と思うことが希望になる場合があるようです。
「本当の親じゃないから、私の気持ちをわかってもらえないんだ」「本当の親じゃないから、私のことを大切にしてくれないんだ」などと思うことで、親にして欲しいことがしてもらえない気持ちに折り合いをつけようとします。
「私を愛してくれる親はどこか別のところにいる」と思うことによって、自分が親から「愛されない」「嫌われている」と感じなくてよくなり、心が傷つくことから自分を守れるわけです。
この場合、「今いるところは本当の居場所じゃない」と考え、そうふるまうことがあるかもしれません。ちょっとだけ反抗的だったり、親をバカにした態度をとったりしやすくて、なおさら親からの否定的な言葉を引き出すこともあるようです。
●どちらが愛を止めたのか
「川から拾ってきた子」の話にネガティブな意味づけをすると、親からの愛を受け取れず、愛されない私の物語や居場所がないと感じる理由になります。
「愛されない」「嫌われている」と思い、「なんてひどいことを言う親だ」と思ったとしたら、そんな親から「愛されていた」と思うことは難しくなるでしょう。「本当の親は別にいる」ことを希望にして、実の親を否定してきたとしたら、「実の親から愛されていた」と認めるのに抵抗が出るでしょう。
だって、愛してくれた親を悪者にしてきた自分と出会ってしまいますから。親を嫌った罪悪感が強いほど、愛されていたとは受け入れたくないでしょう。自分の方が親からの愛情を受け取ることを止め、親を拒絶していたと認めるのは、勇気がいることですし、心の成熟さが必要です。
●居場所を感じるために
もし、育った家族に対して「居場所がなかった」と思っているのなら、かつて止めてしまった親からの愛を「今」受け取ることに取り組んでもいいのかもしれません。
当時は「何でしてくれないの?」「何でそんなことするの?」と思ったことがあったでしょう。そう思うことは悪いことではありませんが、それは「親は当然愛してくれるもの」という子供側の立場からの捉え方です。今は、当時の親の置かれた状況、当時の親の気持ちの状態を、大人の目線で想像してみませんか。
もし、親が子供を上手に愛せなかった理由や、当時の理想的ではない状況下でしてくれたことに気がつけたとしたら、親に「ありがとう」と思えることも見つかるかもしれません。ただし、親の愛し方が、子供の望む愛し方ではないこともよくあります。「この人なりの愛情」という想像力が必要かもしれません。
ちょっと勇気が必要ですが、「愛されていなかった」という誤解を解いて、「本当は愛されていたのかも」と思い直すことができたとき、あたたかい気持ちが感じられるのではないでしょうか。「私は愛される存在だった」と認めることができると、安心を感じる自分の居場所が見つかりやすくなるでしょう。
(完)