セックスは“ヘンなもの”から、“二人の絆”へ
こんばんは
神戸メンタルサービスの平です。
クライアントさんにもいろいろな方がいらっしゃいますが、一見、とてもセクシーな女性から、「セックスが気持ち悪い」、「セックスが大嫌い」というご相談をお受けすることがあります。
また、とても女性らしく見える人が、じつはとても男っぽい性格の持ち主だったというようなケースもときどきあります。
先日も、美男美女の、ともにセクシーな雰囲気を漂わせるカップルが、じつはセックスレスで‥‥というご相談におみえになりました。
きょうは、このへんのお話をしていきたいと思います。
私たちは、おなかがペコペコの状態でレストランに入ると、メニューのすべてを食べてしまいたいというような欲求をもちます。
これは、欲求に関する一つの幻想です。
同じように、睡眠不足でフラフラの状態で3日間の休暇をもらったとしたら、3日間、ずっと寝ていたいとも思うものですよね。
しかし、どんなにおなかが空いていたって、料理は2~3品しか食べられないでしょうし、どんなに眠くたって、15時間も寝たら、どうしたってそれ以上は眠れなかったりするものです。
同様に、男性の多くは怒りをがまんするということを日常的にしています。
だから、もし、万が一、怒りを自分に許可してしまうと、自分は殺人者になってしまうぐらい激しく爆発してしまうのではないかと恐れています。
もちろん、これも幻想ですよね。
満たしてあげることで、私たちはその欲求から解放されるわけです。
逆に、禁欲的になればなるほど、欲求は大きくなるのです。
たとえば、宗教的な修行者は、性的な禁欲を修行の一つの目的とします。
ところが、「セックスをしてはいけない」、「セックスなんかしたくない」などと自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、考えるのはセックスのことばかりになってしまうわけです。
一方、若いうちから遊び回った人ほど、「セックスはもういい」とか「どんないい女としても、だれとしても、なにも変わらん」などと言って、セックスに対する欲求をあっさりと手放すことがあります。
では、その人は宗教的にものすごくレベルの高い人ということになるのでしょうか?
それは、ちょっと違いますよね。
たとえば、だれが見てもセクシーな女性が、「セックスは嫌い」と言っているのだとしたら、その裏側には、いつも、セックスに関するものすごい恐れが隠れています。
だれだって、セックスには、大なり小なり、興味をもっています。それを禁欲的に押さえつければ押さえつけるほど、幻想がつくられやすくなるのです。
つまり、「もし、性的な自分を解放してしまったら、セックスなしでは生きられなくなってしまうのではないか?」とか、「ヘンな女王様とか、ヘンなどれいになってしまったら、どうしよう!」とかいうものです。
じつは、これは、性的に満足していないときの一つのパターンなのです。
男性もそうなのですが、欲求不満のとき、多くの男性は性的にものすごくたくさんの幻想をもちます。
その幻想の数といったら、アダルトコーナーに並んだタイトルぐらいたくさんあります。
ところが、彼女ができ、定期的にセックスする関係になると、いろいろとあった幻想もどんどん消えていくものです。
そして、そのいろいろな自分、ときに、それはとても変だと思うような自分のことも愛して受け入れてもらうことができたと実感したとき、性的な幻想は意味をなくすようです。
ご相談いただくカップルには、「あなたがひそかに思っている、へんてこな性的な幻想をパートナーと分かちあってみてください」と提案します。
それを、あなたの心の中にとどめておくのでなく、パートナーとコミュニケーションすることができたなら、多くの場合、その幻想は消えていくのです。
「セックスはタブー」というエネルギーを使うと、幻想はどんどん大きくなっていってしまいます。
反対に、自分の中のタブーが消え、また、そのタブーをパートナーに受け入れてもらうことができたりしたなら、タブーは愛に変わり、恐れは親密感に変わります。
そして、セックスは“ヘンなもの”から、“二人の絆”へと変化していくようなのです。
では、来週の恋愛心理学もお楽しみに!!