もう一度、あなたから誰かの手を握ってみようと思うところから
恋愛がテーマのカウンセリングではこんなお話を伺うことがあります。
「初めての彼氏がとても素敵な人だったのに、私が子供すぎて素直になれなかったんです。」
「昔好きだった女性のことが忘れられないんです。彼女に決めておけば良かった…」
過去のパートナー、好きだった人への未練からなかなか恋愛に前向きになれないお悩みは少なくありません
今回は、過去の恋愛への未練から今の恋愛がうまくいかない場合の、心理的な解説と問題からの抜け出し方についてお届けします。
■未練と補償行為の関係
私たちは「もっと素直になっていたら…」「勇気を出して告白していたら…」といった成就できなかった思いに未練を感じる分だけ、かつての若かった自分・未熟だった自分を必要以上に責めすぎてしまうようです。
「私はなんて見る目がないんだ!」「ほんの少しの勇気も出せないなんて!」と自分を否定することで、心を過去に足止めをしてしまうんですね。
うまくいかなかった恋愛や、失敗した人間関係があると「今ならもっと上手にできるのに…」と思うこともありますよね。
しかし自分をひどく否定している場合、失敗した自分を責める気持ちの裏には「今の自分の何かを証明したい」という感情が隠れているのです。
自分自身を責めていながら、ダメな自分を感じ続けることもつらいために「ダメな自分を否定したい」気持ちもあるからです。
たとえば「自分が損をしてでも周りに優しい人」であろうとしたり、「聞き分けの良い従順な人」であろうとしてしまうんですね。
もちろん、そんなことをしなくてもあなたは素晴らしい人なのですが、自分を否定しているときにはそれが信じられなくなります。
優しい人、役に立つ人であることをわざわざ証明するための行動は、否定的な(ダメな)自分を隠したい、認めたくないという目的を持っています。
こうした自分の至らない部分への埋め合わせのための努力のことを、心理学では【補償行為】と呼んでいます。
つまり何かを証明をしようとすることは、否定的な自分への補償行為になっているということです。
■失敗をどう捉えるか?
埋め合わせのための努力をしていると、常に何かを「やらなくてはならない」ように感じます。
仕事でも、家事でも、対人関係でも「もっと頑張らないと」と思っているうちに努力がやめられなくなってしまい、次第に疲れてきてうんざりしてきます。
多くの人はこうした状態が続くと「やりたくないことを誰かにやらされている」ような感覚になってきます。
でも、本当は心の中で自分が自分を「ふがいない」「情けない」「失敗した」と不十分な存在だと感じているので、その分だけ自分への要求が強くなってしまうからなのです。
失敗感というのはものすごく自分を責めます。それだけに過去の恋愛の未練を「失敗」のまましてしまうと、失敗を恐れる心理から、次の恋愛に対してどうしても後ろ向きになります。
ですが失敗というのは、特定の「ある時点」だけを捉える視点なんですよね。もしあなたが次に出会ったパートナーととても幸せになれたたら、過去は幸せへの通過点であり、必要だったことであり、むしろ「成功だった」と言えてしまいます。
「あの経験があったことで気づけたことがある。自分を変えることができた。」こうした視点を得られると、自分自身の成長のプロセスとして過去を捉えることができるようになります。
■意識を外へ向けることから
今の状態から抜け出していくのに大切なことは、あなたの外側に意識を向けることです。
あなたが過去の失敗ばかり見てしがみついていたり、毎日がやらなくてはいけないことばかりだったりだとしたら、長い間ずっと一人ぼっちの自分の感じてきたのかもしれません。
あなたの周りにいる人たちへ意識を向けてみてください。
その人がどんな気持ちであなたの側にいてくれるのでしょう?
その人が差し出してくれている手を握ってみようと思ってみてください。もう一度、誰かのぬくもりをあなたの手に感じてみてください。
自分を責めているとき、心は自分だけを見てしまい周りは見えなくなります。でも、あなたはどこかで誰かのぬくもりを求めていたことを思い出せるはずです。
さらに、そのぬくもりを求めているのはあなただけでなく、あなたの周りにもたくさんいると思って周りを見てみます。
あなたが、かつてのパートナーの手をしっかりと握ってあげられなかったという後悔が、今のあなたを責める原因なのかもしれません。
あなたが今、手をしっかり握ってあげたとしたら、喜んでくれる人はいったい誰ですか?
あなたが過去に手をしっかりと握って「ありがとう」と言ってあげられなかった人は誰だったでしょうか?
その人の手をしっかりと握って、その人に感謝するイメージをしてみましょう。
自分を責めていた気持ちがフッと軽くなったと感じられたら、すでに過去の未練を手放し始めたということです。
皆さんの参考になれば幸いです。
(完)