「予定しておりました18時発の便は欠航とさせていただきます」
保安検査所を抜けたロビーでアナウンスが流れる。その日から降り出した雪と風の影響で飛行機は飛ばなかった。搭乗時刻の変更を繰り返していたので、変更なら時間がかかっても飛ぶかもしれないと期待していた。
「明日の朝なら飛行機は飛ぶかもしれません」
チケットの変更手続きを済ましスーツケースを抱えて自宅へと帰る。中身が入れ替わっているわけでもないのに、待ち疲れた体には荷物が重く感じられた。
翌早朝、航空会社からメールが届く。
「本日の朝の便は欠航になりました」
またチケットを変更しなければ。何度電話しても航空会社には繋がらない。ネットで変更しようにもエラーが表示される。多くの人がチケットの変更手続きをしようとパンクしているようだった。空港まで行って変更手続きをしなければいけない。今度はスーツケースなしで向かう。体は軽い。足取りは重い。
「明日の朝の便なら飛ぶ可能性はあります。」
夜の便もその時点で欠航になっていた。チケットを翌日のフライトに変更してもらう。新しいチケットを受け取り、「明日こそは」と飛行機が飛ぶ期待と願いを胸にしまう。
丸一日時間が空いたのは好都合だったかもしれない。忙しさを言い訳にそれまで手をつけてなかった書類の整理や雑務をこなしていく。予定通りに行かないもどかしさをやるべきことを終わらせるエネルギーへと変換させていく。
作業が終わると外はすっかり暗くなっていた。頑張ったご褒美に今日は外食しよう。スマホでお店を調べる。すると、そこにメールの着信。嫌な予感。
「明日の朝の便も欠航になりました。」
「ふぅ〜」と大きくため息をついて気分を入れ替える。航空会社に電話をするが繋がらない。ネットもエラーの表示。チケット変更のために、再度空港に向かう必要がある。早朝に向かった道をそのまま繰り返しなぞっていく。
空港に着くと他の便の飛行機は空港を飛び立っていた。乗る予定の飛行機が小さく風の影響を強く受けるため飛べないらしい。
「明日の夜の便なら大丈夫だと思います、、、」
何度も欠航になったので航空会社のスタッフも申し訳なさそうにしていた。あなたのせいではない。天候は誰にも操れない。忙しいにも関わらず丁寧に対応してくださって感謝しかない。チケットを変更してもらう。
空港はスタートのシンボルとして使われることがある。飛行機が空に向かって飛び立つ姿は、新しいスタートと重ねて表現される。そして飛び立つ場所でもあれば、無事に戻ってきたことを迎える場所でもある。
「いってきます!」と「おかえりなさい!」を象徴する空港。
その空港と自宅を行ったり来たりを繰り返す。
自分だけ何も進んでいない。
空港から帰る電車の中で、ふと昔の光景を思い出す。授業が終わった後、教室に残って窓からグラウンドを眺めていた。ボールを追いかけるサッカー部の姿が見える。高校生の時に小学校から続けていたサッカー部を辞めた。学校に行かない日々が続いたからだ。
悔しい気持ち、不甲斐なさと、羨ましさ。
久しぶりに行った学校で窓の外に見える光景は、目を逸らしたいのに逸らすことが出来なかった。
自分だけが取り残されたような感覚。
自分だけどこにも進んでいない。
自分にはどうすることも出来ない「何か」に抗えないまま時間だけが過ぎていった。学校に行かなくなり、部屋に篭るようになった。
大人になりその時の後悔と悔しさを取り返すように生きていた。壁にぶつかるたびに、行ったり来たりしている自分に高校生の頃と同じ想いを抱えた。
自分だけが取り残されるような感覚。
自分だけどこにも進んでいない。
翌日、それまで2日間降り続いた雪は雨へと変わった。夕方に空港へと向かう。
今度はスーツケースも一緒に。
飛行機は飛び立つことはできるが、着陸する空港の天候によっては引き返してくるかもしれないらしい。期待と不安を抱えて飛行機に乗り込む。
小さな飛行機は揺れる。地上では風を感じなくても地上を離れるにつれて風は強くなる。
1時間半のフライト予定時間はとっくに過ぎたが、飛行機はなかなか着陸しなかった。着陸しやすい風の向きになるのを待つため上空で旋回を続けていた。
目的地の上空まではやってきた。でも、まだ着陸することが出来ない。
ここまで来たら無事に着陸してほしい。気付けば手に汗を握っていた。
「皆様、大変お待たせ致しました。本機はこれより着陸体制に入ります。揺れが予想されるので、、、」
機長のアナウンスにほっと胸を撫で下ろす。飛行機はジェットコースターのように揺れながら、滑走路に無事着陸した。他の乗客も同じ想いを抱えていたようだ。客室乗務員に「無事に着陸出来て良かったです。本当にありがとうございます!」と伝える方が何人もいた。
到着予定時刻を1時間遅れて、目的の空港にたどり着いた。行ったり来たりした2日間も入れるともっと長かった。
空港に車で迎えに来てくれる予定の人に連絡しようとすると、その人が走って空港に入ってきた。冬にも関わらず額に汗をかいている。
「何度も来たことあるのに、どこで間違えたのか?よくわからない山の中に入ってしまい、めっちゃ焦りました。真っ暗だし。カーナビは壊れているし。」
空の上で飛行機が旋回していた頃、地上でその人もぐるぐると迷っていたらしい。同じようにぐるぐるして、奇跡的にも同じタイミングで空港に到着した。
飛行機が欠航になる度にその人には連絡を入れていた。
やっと出会えたおじさんとおじさんは、遠距離恋愛の恋人に会ったようなテンションだった。
迎えに来てくれた車に乗り込む。車内から窓の外を見る。夜の街、人々が暮らしている光が遠くに見える。
行ったり来たりするのも悪くないかもしれない。
スムーズに行くことばかりではなかった。自分だけが取り残される感覚に呼吸さえ苦しくなった時期もある。
だけど、自分の望んだ方法ではないし、自分が望んだ場所ではないかもしれないけど。辿り着いた場所があって迎え入れてくれる人がいた。
すべてが思い通りではないけど、すべてが最悪ではない。
今回の旅も、ただ飛行機が遅れただけで、それも天候のせいだ。自分のせいではない。
どうしようもない日々の先で、カウンセリングに出会った。かつて自分を迎え入れてくれたように、今度はカウンセラーとして迎え入れる側になった。
高校生の頃に窓の外を見つめている時には知らなかった場所に辿り着いた。
相変わらず「うまくいかねぇな」とか「なんで、こんなことに!」なんて言いながら行ったり来たりを繰り返しているけれども、思い通りに行かなかった日々に感謝するようにもなった。
あの時の、あの悔しさがなかったら、今の自分にも出会えなかったかもしれない。止まっていたと思っていた日々はちゃんと続いていた。
世界が大戦への混乱を極めていく中で、作品を作り続けた喜劇王チャーリーチャップリンは「人生は近くで見れば悲劇だが、遠くで見れば喜劇だ」という言葉を残した。
行ったり来たりして何も進んでないように思える日々も、遠くから見れば前に進んでいるのかもしれない。
思いもよらぬ方法で、思いもよらぬ出会いが待っている。
行ったり来たりする人生もわるくない。