大事なのは叱ったあと?~イヤイヤ期から反抗期まで~

叱るうえで、親側の成熟さを、子育てするうえで痛感しています。「叱り方、伝え方」そのものも大事です。しかし、「叱ったその後」の親側の態度に、もっとも成熟さが現れるように私は感じています。叱ったあとすぐに気持ちを切り替えられる親子の関係性そのものが、こどもにとっての「世界観」になっていくことがあるようです。それはお子さんが大人になったとき、社会で信頼関係を構築していくために大きな財産にもなってくれることだと思います。

 

■私の叱った話

ある日のことです。娘の部屋に洗濯物を届けたついでに一言
「お部屋、片づけようか! 一緒に手伝うよ」
と、私なり明るく娘に言ったつもりです。しかしながら、娘からは
「今やろうと思ったから! 出てってよ!」
と、部屋を閉められてしまいました。

私、正直、かなりイラっとしました。
「なんで普通に『はーい』とか、言えないのかしら?」
と、思ってしまったのです。ちなみに反抗期の頃の私は、叱られた後ものすごく反抗的な態度でしたので、人のことは言えません。

・きみが、怒っているからじゃないの?

そのあとも、数日かけてずっと娘は不機嫌でした。そこで、夫に相談しました。
「なんであの子はずっと怒っているの?」
「え? きみが怒っているからじゃないの?」
と、夫から返事が返ってきたのです。
「私が怒っている?? そんなはずないじゃない。娘が、怒っているのよ! 夫まで、全然私のことわかってくれていない、最低!」
と、さらに怒りは加速し、夫のことまで心でののしってしまったのです。

 

■夫の叱った話

別の日のことです。
「おい! ここ片付けろ!」
夫が娘を叱りました。
「うるさいなー!! やればいいんでしょ!!!」
娘もかなりイライラ。私は内心、自分の経験から
「これは、長引くぞ……」
と、思っていたのです。

30分後のことです。
「やだ~! お父さん、こっちのほうがいいよ!」
と、テレビを見ながら父娘で盛り上がっているのです。

「なにが起こったの??」
私は目を疑いました。衝撃が走りました。

娘は、私に対して、数日間も感じの悪い態度を私にしてきたのです。でも、夫に対して、娘はあっという間に気持ちを切り替えているのです。

・娘の問題ではない、私の問題

「なんで? あの子はあなたともう話しているの?」
私は夫に再度問いかけました。
「おれは、もう怒ってないからじゃない?」
と、夫も再度伝えてきました。

娘の問題ではないのかも。私の問題なのだと、認識した瞬間でした。

 

■社会人になった時の、幼稚な私

私の問題なのだと認識したときに、思い出したことがありました。仕事で上司に叱ってもらったときのこと。私は
「教えて下さってありがとうございます」
が、言えませんでした。

それどころか気持ちを切り替えられずに、落ち込みすぎて傷ついてふさぎこみました。その態度は会社での私の評価を大変落としました。自分自身も、なんでこんな幼稚な態度しかとれないのか、どうしたらいいのかもわからず、苦しかったものでした。

 

■幼少期の話

振り返ると、私の両親は厳しかったのです。私自身、10歳まではまったく手のかからないこどもだったと言われながらも、幼少期から叱られた後
「そんな子はうちの子じゃないから、家に帰って来なくていい」
と、家を追い出され、泣いて叫んで家のドアを叩いても、家のなかに入れるのは数時間後でした。

 

■叱ることと罪悪感

夫の態度は
「叱った。伝わった。だから、もう終わり。すでに当たり前に、娘も許されているし、叱ったオレも許されているでしょ。それだけ娘も自分も信頼している」
という、大人な態度です。

一方の私は「叱られたあとも、許されずに、見捨てらえる」という思い込みを、私は大人になってもまだ握りしめていました。それは「叱る側に立つということは、見捨ててしまうことだ」という思い込みにもなっていました。その思い込みがあるままこどもを叱ってしまった私には罪悪感がありました。しかもその感情、責任を自分でとらず、
「そんなことを私にさせるのは娘だ」
と、娘に怒りが持続してしまったようなのです。

「私が怒っているからじゃない?」
と、言った夫の言葉は、その通りでした。私の態度は未熟なものだったなと、思うのです。

・罪悪感

私たちは心のどこかで
「なにもこどもを叱らなくてもよかったのに」
と、叱った自分を責めているところがあるかもしれません。それは罪悪感です。その罪悪感、気分のいいものではありません。
「そんな気分にさせるような、叱られるようなことをしたこどもが悪い」
と、自分の感情に自分で責任をとらずに、こどもに怒りを感じることがあるようなのです。

 

■罪悪感の最大の罠と、理解

罪悪感の最大の罠は、愛をとめてしまうことです。罪深い自分なんかと、愛することそのものを禁止してしまいます。それは、こどもからしたら悲しいことです。
「私のこと、パパやママは好きじゃないのかも」
と、感じさせてしまう態度かもしれません。

・愛を止めることもまた、苦しい

親側の「上手にこどもを愛せない」思い。それは、とても苦しいものです。なぜなら、こどもたちを本当は愛しているから。その愛は自然に湧き出します。でも、それをせき止めることは、地獄の苦しみかもしれません。私の親もそうだったのだと思います。親も辛かったのだと思います。私も同じような苦しみを味わい、少しずつ親への理解に至りました。

でも、そうなるまで両親のことを許せずにいたのは、私のほうでした。だから、娘を叱る私も娘から
「叱るお母さんなんか許せない」
と、思われていると、自分の思いをうつしだして、投影して見ていたのだと思います。でも、夫から、「叱ることはそういうものではないのだ」
ということを、教えてもらいました。

 

■本当に自分がしかったことを、自分にさせてあげる

そんな私は、娘と夫が、叱ったあとに談笑していたのが、衝撃だったのでした。私も、
「幼かったころ、叱られた後もすぐ許してもらえて、普通に親と談笑したかった」
そんな思いが、湧き上がってきました。

数年かけて、夫にも協力してもらいながら、今では娘を叱ったあとも
「ふつうに会話する」
という私にとっては奇跡をみせてもらっています。

 

■許されていることをしらないと、謝れなくなる

許されていることを知らないと、心から謝れない人になります。叱ってもらったことの本当の意味を受け取れなくなります。謝ったら、許されるのだということを、知ること。学ぶこと。それは、大人になったとき、本当に愛されやすい態度を作ります。
叱っても、叱られても、伝わったら、お互いがそれで終わり。
「もうすでに許されている」
私も娘と一緒に、その感覚を育んでいる道半ばです。

みなさまの何かのお役に立てることがあれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。

来週は、小川のりこカウンセラーです。
どうぞお楽しみに。

[子育て応援]赤ちゃんの頃から、思春期の子、そしてそんな子どもたちに関わる親とのお話を6名の個性豊かな女性カウンセラーが、毎週金曜日にお届けしています。
この記事を書いたカウンセラー

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恋愛・夫婦・子育て・人間関係など、生きづらさや悩みを抱えたかたに、穏やかに、寄り添うことを大切にしている。「話すことのすべてを大切に聴いてもらえる安心感」がある。あらゆる人のなかにある豊かな才能・魅力に光をあて、生きる力を一緒に育む。共感力の高いカウンセラーである。