私の心をあなたにあげた

どんなに真っ暗でも、誰かと支え合っている限り、そこは地獄じゃない。
つながりの力動は「ふたりを一緒に」前に押し出します。

もう一度、陽の差す場所へ。

心理学を学んで、いちばん抵抗があった考え方が「自分の痛みより目の前の人を大切にする」というものでした。

いやいや、辛いときは、自分を優先して、大切にするべきは自分でしょう。
ずっとそう思っていましたし、世の中には同じような考え方が溢れています。

楽になります。一時的には。
誰かに関わるときの厄介な感情を感じなくていいですし。

でもやっぱり、一時的なのです。根本が解決していません。
だからなのか、得られない感覚があるのです。

前に進めている、という実感。

楽しい気持ちも持続しない。飽きてしまう。
何かがずっと、変わらないなあ…と実はどこかで感じているのです。

「抜け道」はこうです。

自分の問題ばかりを見つめるのではなく、自分を必要としている人を援助する。
心がつながります。

不愉快な感情を覚えることもあるでしょう。
でも、不愉快さを突き抜けてつながることができます。

すると、つながりの力動が「ふたりを一緒に」前に押し出すのです。
現実が動きはじめます。

私を必要としている人なんかいるの? と思うかも知れませんね。

どんな人でも、たったひとりで生きることは不可能です。
どんなときでも、人は誰かを助け、誰かに助けられて生きています。
どんな小さなことでも、誰かに必要とされているのが事実です。

意識が自分に向きすぎている、いわゆる自意識過剰の状態。
劣等感、無力感、無価値観や罪悪感などを感じているとき。
あるいは不満や怒りにまみれているときほど、周りは見えていません。

逆説的ですが、自分の気持ちに邪魔をされて、自分を必要としている人が見えなくなっているのです。

援助って…具体的にどういうことをすればいいの? と思うかも知れませんね。

こう思ってみてください。
「私の心をあなたにあげます」。

心をあげるために、どう行動したらいいかな? と発想できるでしょう。
伝えそびれている感謝を言葉で表すことかも知れません。
喜んでくれそうなちょっとした何かをプレゼントすることかも知れません。
ただ会いに行くことかも知れません。電話やメールをしてみることかも知れません。
ファンレターを書くことかも知れません。ただ、祈るだけかも知れません。

ケースバイケースです。
全くアイデアがなかったとしても、心をあげよう、と意欲を持つと、ふとインスピレーションがやってきます。

大丈夫です。肉体や物質には制限がありますが、心は無限です。
どれだけあげても、なくなることはありません。

癒しの原則的な考え方に、こういうものがあります。
あなたが何かで止まっているとき、周りには必ず、あなたを必要としている人がいる。

心をあげられると感じられる、つながりの力動が「ふたりを一緒に」前に押し出すのでしたね。

ギラン・バレー症候群という、重篤な神経の病気に罹患して丸3年が経とうとしています。
治癒率も予後も良い病気とされているのですが、残念ながら私は重症化して、予後不良で身体障害者となりました。
日々暮らしながら、後遺症の回復に取り組んでいます。

自己免疫性疾患ですが、障害されたのは全身の神経です。
闘病開始時、自分の意思では全く身体を動かせず、生活動作は全介助、寝たきりでした。
今も、何にもつかまらず、自分の足で立って歩けるのは100mくらいでしょうか。
人の多い場所や、長い移動は車椅子です。

しかし、身体がままならない分、心には制限がない事実や。
つながりの力動が、非常にパワフルに現実を動かす事実を、3年で思い知りました。

もらおうとするのではなく、心をあげようとすると、インスピレーションがやってきます。
あるいは、私の体感だと奇跡が起きます。
道が、突然開けるのです。何度助けられたことか。

誰かとのつながりにこそ、奇跡は起きる。そう思うようになりました。
心をあげることで、誰かと心がつながると、現実が動き出すのです。思ってもみない形で。
もうこれ以上は無理だ、と絶望しても、誰かを援助すると、必ず道が開けるのです。

急性期、暴走している免疫の誤動作を止める血液製剤を入れることになり。
緊急入院した大学病院のベッドの上で、点滴をされながらただぼんやりと天井を見つめていました。
絶飲食が9日間だったことは覚えています。

記憶もはっきりしない時期でした。
起きていることが衝撃的すぎて、ぼんやりするしかありませんでした。

あまりにもできることがなかったからかも知れません。
ひとつ思い出したことがありました。

以前、私がある出来事でめちゃくちゃ落ち込み、もうカウンセラーは辞めるべきだと思っていたときに。
師匠でもある、カウンセリングサービス代表の平準司に言われたことです。

引きこもるなよ。

傷ついて、自分の殻に閉じこもっていても何も変わらない。
これまでと同じように、自分を与えていくことが大切だと理解しました。
私にとっては大きな挫折の経験でしたが、立ち直ることができたのです。

時計の秒針がコチ、コチと進むのを見つめながら、思い至りました。
これまでずっと学んできた心理学を、実践するべきではなかろうか。
人生でいちばん、絶望している今こそ。

「自分の痛みより目の前の人を大切にする」。

そう思い浮かんだとき、真っ先に私の心は反応しました。
いやいや、辛いときは、自分を優先して、大切にするべきは自分でしょう。
ましてや。

死にかけているじゃん、私。

こんなときに? 自分を労って、休むことに集中しようよ。
こんなに辛いのだから、今は自分優先だよ。
引きこもっていても、みんな同情してくれるよ。

ところが、ずっと考えているのです。お題目か何かのように。
「自分の痛みより目の前の人を大切にする」と。

自分の問題ばかりを見つめるのではなく、自分を必要としている人を援助する……とは?

一日中ベッドに横たわり、すべてのことを介助してもらっていました。
正真正銘、私が援助される側です。

援助される人が、援助する人を援助するなんて、随分とトンチキな考えのように思いました。
合っているのか間違っているのか知りたい。
でもgoogle検索すらできません。何かを持つことはできないのです。ましてやスマホなんか。

手前味噌ですが、いろんな辛い出来事を何度も乗り越えてきた私が。
これは流石に無理だ、乗り越えられる気が全くしない、ここで死ぬか一生寝たきりだと思うくらい辛い。

誰かのことなんか、考えなくていい。
今、誰かを援助するなんて、犠牲以外の何ものでもない。そう思っていました。だけど。

違う、と心の奥から小さな声がするのです。
すると、小さな声をかき消そうとする、なんだか冷たい声も聞こえます。

病人らしく大人しくしていればいいのだ。
患者が援助するなんておこがましい。

でも、小さな声はいうのです。違う、と。

身体を全く動かせず、何もできないことは、本当に辛いです。
苦しくてもただ、はらはらと涙を流すしかありません。
拭うことも鼻をかむこともできませんから、垂れ流しです。
私はもう、誰のよろこびにもなれないのか。

身体が辛い事実より、もっと辛いのは。
目の前の人と、心のつながりが切れていることだったと、今はわかります。

ありませんか、例えば、大好きな人と喧嘩してしまい、大好きなのにつながりが切れてしまった経験が。
ふたりでいるのに、ひとりよりずっと寂しい。
誰かといるからこそ、ともにあると感じられないのは、とても苦しいです。

逆にいうと、誰かと心がつながった感覚があると。
辛い現実に、立ち向かう勇気が出てくるのです。

くれるのを待っているのではなく、自分から、心をあげる。

コロナ禍が拡大して行った時期でした。家族にもあまり会えません。
目の前にいるのは、主治医のチーム、ナース、リハビリスタッフ、看護助手さんたち……。

援助なのかどうかわからない。
でも、あげようと意欲を持つと、インスピレーションがやってくるって本当ですね。

「思いつく限りの感謝を言葉で表す」「すごいなと思ったことを褒める」と決めました。
正直、どうしても苦手でうまく関われない人もいましたが。
不愉快な感情を突き抜けて、相手を選ぶことが出来たこともありました。
すると、意外なほどよくしてくれる。

身体は全く動かせません。
だからこそ、心をあげることにしたのです。

相手はよろこんでくれます。私も嬉しい。
すると、現実は何一つ変わらないのですが、つながりを感じることで、心の辛さが消えるのです。

毎日回診してくれる担当医には、自分から笑顔で挨拶をすることを心がけました。
正直それくらいしかできないけど、心をあげる。

治療の信頼関係とともに、絆ができてゆく感覚がありました。
少し、笑える日も出てきました。

心をあげたって、別にすぐ治るわけじゃないのでしょう? と思いますよね。
はい、もちろんすぐには回復しません。

しかし、心をあげるとつながりができて、生まれるものがあるのです。
希望です。

目をつむったらここで、私の世界は終わるかも知れない。
でも、目の前の人を信じてみよう、生きることに賭けてみよう、という希望が生まれるのです。

傷ついて、自分の殻に閉じこもるのではなく。
心をあげる。

自律神経が壊れたからでしょう。
眠ったら死ぬと感じて、毎日2時間ほど、うとうとできるだけとなりました。
肉体がついえる恐怖に怯えて、苦しむ私を見兼ねたナースが、当直していた担当医を真夜中に呼び出してくれました。

とても静かに、私が死なない理由を伝え続けてくれましたが、正直、恐れの方が勝ります。
でも、自分から心をあげたからこそ、先生が毎日一緒に頑張ってくれていることはわかるのです。
目の前の人を信じてみようと思えました。

ひとつ学んだことがありました。

患者が辛いのは当然です。
でも、ベッドサイドで患者を見ている人たちもまた、辛くないわけがないということです。

足を洗ってもらったとき、ほんの少しだけ動いたのを見て、よかったねと泣いてくれた人がいました。
眠れない夜に、ただ一緒にいてくれた人がいました。

夜中に目覚めて、別の部屋から聞こえてくる物音に、お看取りだと気づいた瞬間。
当直の医師とナースが「○○さん、頑張って!」「今ご家族くるからね!」「まだだよ!まだ行っちゃだめだよ!」と、叫んでいるのが聞こえました。
最期に家族を間に合わせようとする、執念を感じました。

正直、私がこれまで患者だったとき、感謝を伝えたことなどほとんどありませんでした。
怒ったり攻撃したり。痛ければ、あなたのせいだと言外に語る態度を取ってきました。
辛いのだからしょうがない、私は悪くないと思っていました。

でも、一番近くで援助しているからこそ、回復して欲しい、少しでも辛さが軽くなって欲しいと思っている人たちです。
入院中、何度も、ごめんね、辛いね、しんどいね、ごめんね、痛いね、ごめんねと。
医師にもナースにも、リハビリスタッフにも看護助手さんたちにも、どれだけ言われたことでしょう。
胸を痛めていないわけはなかったのですよね。

あなたが何かで止まっているとき、周りには必ず、あなたを必要としている人がいる。

だとしたら、殻に閉じこもっているとき、私の周りには胸を痛めている人たちがいて。
私を必要としている人たちがいる。

自分の辛さは、誰かを理解するためにあると言います。
私が苦しんでいるとき、目の前の人もまた苦しんでいるのだと実感できるようになりました。

求められるように愛せないことが、人のいちばんの苦しみだといいます。

毎日、何度も、様子を見にきてくれる担当医と、冗談が言えるようになった頃。
嘔吐が続いて苦しかったこともありました。
痛くないのに、なぜか全身に痛みを感じてパニックになったこともありました。

辛いとこぼしたら、切なげな表情をしていました。
「一緒に頑張ろうとしか言えないけど…。」

はっとして、思いました。
先生も辛いって思うことを見落としていた。責めているわけじゃないんだ。
私はとっさに、辛さを手放して、心をあげました。
「違う、先生は最初から、一緒に頑張ってくれている。」

温かな気持ちになったからか、辛さはどこかに行ってしまいました。

「自分の痛みより目の前の人を大切にする」。
大きな挑戦だったと思います。だけど徐々に勘所を掴んでいったように感じます。

苦しさに耐えきれず、回診のときに、ぶっきらぼうに話してしまった瞬間に。
あっ、これは間違えている、傷ついて閉じこもることを選んでしまったと、わかることもできました。
一日に数回、顔を見にきてくれるので、次の回診で謝りました。

「先生ごめん、さっきの態度はよろしくなかった。」
「うん、いいよ。」

ありがとうと言うだけで、すごいねと褒めるだけで。
あるいはごめんと謝るだけで、心が温かくなるとなぜか。
治療にあたる人たちが隠している悲しみとつながれて、溶ける感覚がありました。

心をあげることで、心がつながり。
力になろうとする人たちの、力になれない苦しみが解放されるからではないかと思っています。

だからなのか、現実は何ひとつ変わっていないのに、止まっている事態が、前に進む感覚がある。
明日も生きてみようと、希望を持てたのです。

リハビリ病院に転院する直前の教授回診で、ベッドに10分座れた私を見て。
マスクの上からのぞく、たくさんの先生たちの目が笑っていたことが忘れられません。
きらきらしていました。

転院の日、みんなにお見送りしてもらいました。
ひとりひとりと思い出があるなあ…と感じ、運ばれてゆくストレッチャーも護られた温もりの象徴のようで、号泣してしまいました。

担当医の顔が見えたとき、精一杯叫びました。先生ありがとう!
思ったより、全然声が出なかったけど。

でも、いつも穏やかでのんびりした先生が、はっとした表情を見せたと同時に走り出してきて。
ストレッチャーに駆け寄り「あっちの病院に行ってもがんばってね」と言ってくれたのは、かえすがえすも、エモいです。

急性期はほんのイントロダクションです。
ここからまだまだ、しんどい辛いは続きます。もちろん、今も。
一度全て壊れた身体を回復させるということは、本当に大変なことです。

それでも「自分の痛みより目の前の人を大切にする」ことで、事態が動かなかったことなど一度もありません。そればかりか、本当に多くの、数えきれないほどの奇跡が起きて、私の世界は一変しました。

どこまで回復するのかは分かりませんし、遅々としています。
もっと回復してくれたら嬉しいとは思います。
しかし、停滞している感覚はありません。

私は心をあげ続けました。
もうだめかな…と思っても「自分の痛みより目の前の人を大切にする」ことで、決まって奇跡が起きるのです。

ふたつきに一度外来に通い、経過観察をしてもらっている今の主治医は。
あのときストレッチャーに駆け寄ってくれた、急性期当時の担当医です。
起きた奇跡のひとつです。再会できたときに撮った写真は、部屋に飾ってあります。

あのとき、真夜中だからとても静かに語っていただけで。
私を闇に置き去りにしないという執念を感じました。
私がどんなに、死んでしまいそうで寝るのが怖いと泣いても、死なない理由を伝え続けてくれる姿に、絶対に引き下がらないな、この人は、と思ったのです。

「自分の痛みより目の前の人を大切にする」。

知っているのです。
辛いからといって、閉じこもったり引き下がったりするのではなく。
這いつくばってでも顔を上げて、残された人生に直面し、全身全霊で人を愛して生きることが。
絶望の底で私が死なない理由を、必死に語ってくれた人の愛に報いることだと。

つながりの力動は「ふたりを一緒に」前に押し出します。
カウンセリングに復帰させていただいてからは、痛感します。目の前の人を援助して、一緒に進む。
誰かを援助させてもらえるからこそ。私は前に進むことができる。

絶望的な状況でこそ自分を与えるとは、こういうことだったかと。
天国へはひとりで入ることができないとは、こういうことだったかと思うのです。

私の心をあなたにあげた。あなたの命を私は感じた。

たとえ身体が動かなくても。つまずき倒れても。地を這っても。どんなに真っ暗でも。
誰かと支え合っている限り、そこは地獄じゃない。

朝焼けの陽が差してきたから、さあ、今日も、生きよう。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛、夫婦、親子関係を中心に、対人関係全般および、自分をそのまま肯定できるような、全体的自尊心を育むのが得意。 言葉になりづらく気づかれにくい、個的な感情・感覚に焦点をあてながら、「こころの力」が、よりよく発揮できる状態を目指すカウンセリングを心がけている。夫と実母の3人暮らし。