あなた以上にあなたを嫌っている人はどこにもいない
自己嫌悪とは、自分で自分を嫌う気持ちのことをいいます。自分を嫌う理由は様々ですが、幼児期から思春期の頃までの自己嫌悪は、自分と他人の比較による自己嫌悪が強いようです。
たとえば幼児期であれば、しつけが始まる時期です。昨日まで親がしてくれていたことを、今日からは「自分でしてごらん」と言われる。子供にしたらある日を境にしてまったく世界が変わってしまうような出来事です。
自分で洋服のボタンを止める。自分でスプーンをもってご飯を食べる。自分でトイレをしてみる。でもそこは幼児なので何をしても最初はうまくいきません。出来なくてあたり前なのですが、本人にしたらこう思うのです。「パパやママ、お兄ちゃんお姉ちゃんに出来ていることが、自分だけが上手くできない」と。これが、私たちの自己嫌悪の始まりでもあるといわれています。
思春期になると、セクシャルエネルギーが出始めて、自分の「性」を意識するようになります。セクシャルエネルギーは、大人になるための性的な変化のことをいいますが、このエネルギーが出てくると体が大きく変化をするので、まわりの人のことを意識するようになります。自分の体の変化が気になるので、まわりの体の変化も気になるのです。
「自分はみんなより遅れているのではないか?」「自分はみんなより劣っているのではないか?」と自分とまわりを比較して、コンプレックスを強く感じるのがこの時期です。自分の良いところよりも劣っているところにばかり目がいきます。
思春期はとくに外見的への自己嫌悪が出やすく、「美しいものへの憧れ」が強い時期です。男女ともにアイドルに夢中になり、クラスでもかっこいい男子やかわいい女子に人気が集中するのもその表れといえるでしょう。
◆競争相手はじつは自分なのでは?
自己嫌悪は青年期になると「完璧主義」へとその形を変えていきます。
自己嫌悪があると「自分は劣っている、欠けている、不完全である」という感覚が強まるので、完璧であることへの憧れが強くなる傾向があります。
「完璧主義」というと、何でも完璧に出来る人のことをイメージするかもしれませんが、そうではありません。「完璧になりたい」というマインドを強くもつ人のことをいいます。
ここが今日のいちばんのポイントなのですが、自己嫌悪が強い人は、完璧ではない自分を補いたいあまりに、高い理想を掲げる傾向があります。そのため「理想の自分」と「現実の自分」の不一致が起こることがあるのです。
理想の自分というのは「あんな自分ならば好きになれるのに」と思う自分のことをいいますが、そこからかけ離れている度合いだけ「現実の自分」のことを嫌悪するようになるのです。
しかし、そもそも理想が高すぎるのだということには、なかなか気がつきません。そして、自己嫌悪した度合いだけ、さらに理想を高めてしまう。そこに現実の自分とのギャップが生まれて、出来ていない自分を責めながら、また高い理想を掲げる。これこそが自己嫌悪と完璧主義の抜け出せないループなのです。
自己嫌悪の仕方は年齢により形を変えていきます。大人の私たちの自己嫌悪は、自分と他人との比較を越えて、今の自分と理想の自分との比較に形を変えていくことがお分かりいただけたでしょうか。
◆自分と仲直りをするために
自己嫌悪の対極にあるものは何かというと、自己肯定です。
自己肯定とは、良い自分もダメな自分も、その両方があって自分だと受け入れている状態のことをいいます。
対して、良い自分ならば受け入れるけれども、ダメな自分ならば受け入れないというのが自己嫌悪です。なので、自己嫌悪を癒すことは、自己嫌悪をなくすことがゴールではありません。
良い自分もダメな自分も受け入れることがゴールになります。自己嫌悪をしている自分ですら、受け入れることが最終的に目指すゴールになるのです。
自己嫌悪が強い人は、良い自分ならば受け入れて、ダメな自分ならば受け入れていないのですから、半分の自分しか受け入れていないことになります。半分の自分しか愛していないことになります。
人は嫌いな人のためには頑張れないですよね。どう考えても、好きな人のためのほうが、何かしてあげたいと思いやすいですよね。
半分の自分しか愛していないということは、半分の自分で生きることになり、自分のもつ力の半分しか発揮できないということにもなりかねないのです。
まずは「今まで嫌っていてごめんね」と、自分と仲直りしてみることから始めてみてはいかがでしょうか。
(完)