子育てしていて、わからないとき、どうしていますか?
特に第一子の子育て。「育児書やインターネットで調べながら育児している」そんなお声もちらほら聞こえてきます。子育てで大きく役に立ってくれる情報がたくさん載っている育児書。でも、その「育児書がしんどく」感じられてしまうとき、ありませんか。
本日は
①「育児書(ネット、周りの意見)がしんどい」とき
②心理的になにが起こっているのか
③育児書との付き合い方
④ここから学べることはなにか
⑤自分自身をしんどいから解放してあげるために
以上を、綴ってみたいと思います。
①育児書がしんどい
育児書には
「こどもが〇か月、〇歳のときには、これくらいできている目安」が書かれていたりします。
「なので、こう育てましょう」
「こうやって、親は関わってみましょう」
そんなふうに、子育てに「一般的に」役に立つと思われているものが書かれていることも多いかと思います。
・育児書と私たちの気持ちと
育児書を読んだときの、感想は人それぞれです。
「こうすればいいのね!」
と、前向きになる方もいれば
「完璧にやらなくては」
と、責任を感じながら、背負ってしまわれる方もいるかもしれません。
私自身は上記のように感想を持つプロセスを経て、
「育児書がしんどい」
に、行きつきました。
最初は私にとっての育児の指標にもなってくれました。でも
「そのとおりにやろう」
と、思っても、できないことが私には続きました。「親失格」。そんな言葉で、自分を責めます。そして私は「自信」を失って生きました。
だから、育児書が、私はしんどかったのです。そして、同じように感じていらっしゃる方、少なくないようです。
②心理的になにが起こっているのか
育児書には、子育ての「ふつう・一般的なこと」が、書かれていることが多いのかなと思います。
でも、私たちの顔が全員違います。同じように、私たちには、個性があり、特性があり、発達段階も成長度合いも、人それぞれです。みんなそれぞれ、違うはずなのです。
でも、育児書に書かれているのは「ふつう・一般的なこと」。そこに、こどもや自分をあてはめようとしてしまう。そんな心のなかではなにが起こっているのでしょうか。
・コントロール
未知の「育児」に関する不安から、「コントロール」が働いているといわれています。わからないことに対して、私たちは不安を感じるものです。だからこそ、この不安を解消したくて、それぞれ違うはずの自分自身やこどもを「育児書どおり」にコントロールしようとしている可能性があります。
③育児書との付き合い方
育児書とにらめっこしているとき、私たちができないことがあります。今、目の前にいてくれている「こども」を見てあげることです。それができなくなってしまいます。それは、こどもにとって、どう思うでしょうか。
・デートマニュアルとにらめっこしている人とデートしたい?
ご自身は、デートマニュアルとにらめっこしている恋人と、デートしたいですか?
私は
「そんなにデートマニュアル読みたいなら、一人でご勝手にどうぞ」
と、思って実際に相手を置き去りにして帰宅してしまう派です。私はそんな関係は寂しいから嫌です。
「私は、ここにいるのに。私を、見て欲しいのに。私と、一緒にいて、一緒に楽しんでほしいのに。デートマニュアルには、『私の答え』は、一個も書かれていない」
と、思います。きっと、育児書をにらめっこの親御さんを目の前にしているお子さんも、同じように思うのではないのかなと、思います。
とはいえ、
「デートに関してなんにも知らない。全部教えて」
と、言われても、私は
「いやさ、ちょっとはデートマニュアルでも読んで勉強しようよ」
と、思う気持ちも持ち合わせています。
だから、「育児書は、デートマニュアルみたいなもの」と思うと、私たちは育児書といい距離感でとらえなおしができるのかもしれません。
知識として、あると役に立つことが、けっこうある。でも、本当に目の前に必要なことは、
「目の前の相手と自分」
との間でしか、答えがでない。そんなふうな、関わり方ができるようになると、
「育児書がしんどい」
から、抜けられるのかなと、思います。
④ここからなにを学べるのか?
育児書にとらわれているとき、私たちは未知の育児に対して「不安」を、感じていると考えられています。
私自身は
「間違えて、子育てしていないだろうか。こどもを不幸にしていないだろうか。こどもに関するサインを見逃してないだろうか」
と、とても不安でした。
・私が不安だった理由
「私の不幸は、親のせいだ」
という、私のとっても恥ずかしい、大人になりきれていない、依存の自分の思いがあったからです。そしてその思いを映し鏡にすると、
「こどもの不幸は、親である私のせいだ」
と、見えてきてしまうのです。
「それだけは、いやだ!」
私は、強烈に思いました。「自分の不幸を親のせいにしている」とき、きっと自分のこどもも「親である私のせいだ」と思うだろう。でも、私はそんなの絶対に嫌だ。私のせいにされたくない。こどもを不幸にしてはならない。だから、私は育児書にしがみついて、必死だったのです。
自分の人生に責任をとれていない、自分の責任を親になすりつけていた態度がありました。私はそんな自分のパターンを発見しました。
でも、自分の人生は自分が作っています。自分の不幸は、親のせいではありません。
自分の人生に責任を持とうと決めたことで、育児書どおりという「コントロール」を、手放せたように思います。
みなさんは、どんなご自身の思いがおありでしょうか。そしてその思い。どんなふうにお子さんにうつし鏡のように映し出されているのでしょうか。それを紐解いてあげることで、「育児書がしんどい」から、抜け出すことができるようなのです。
⑤自分自身を「しんどい」から解放してあげるため
自分の人生に自分が責任をとるということは、自分のことを幸せにしてあげられる力が、自分にあるということを受け取るということでもあると、私は思っています。自分自身のしんどさに、苦しんでいらっしゃるとしたら。自分自身を「しんどい」から、解放してあげませんか?誰のせいでもない、自分自身のこと、幸せにしてあげませんか?
・自分自身のこと、幸せにしてあげませんか?
「お子さんを不幸にしたくない」
そう強く思う時。それはもしかしたら、自分自身こそが「不幸」を感じてきたという思いが映し出されている可能性もあるかもしれません。もしかしたら、ご自身の思いを癒してあげることが必要かもしれません。そのためにも、育児ばかりにかかりっきりにならず、ご自身もまた、幸せにしてあげることが大切なのかもしれません。
あなたの幸せ。
どんな時に感じますか?
ご自身のために、そしてお子さんのためにも、そんなご自身を幸せにしてあげる時間も増やしてあげてみてくださいね。
みなさまの何かのお役に立てることがあれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
来週は、小川のりこカウンセラーです。
どうぞお楽しみに。