「助けを求めることはきっと迷惑」と感じて怒る
私たちが感じる感情の中で、最も取り扱い困難なのではないかと思われるのが、怒りという感情。
怒りの正体は、「愛してほしい」「わかってほしい」「助けてほしい」という思いを言えなかったり、そもそもそのようなものがあると自分自身でもわかっていないということであり、忙しすぎたり、我慢しすぎたりして余裕がないというのも、怒りの原因です。
今回は、「愛してほしい」「わかってほしい」「助けてほしい」の中から「助けてほしい」についてです。
もしかしたら、自分自身でもなかなか気づきにくい怒りの原因がこの「助けてほしい」なのかもしれません。
また、気づいても一番言いづらい言葉なのかもしれません。
私たちって心のどこかで、「他人に迷惑をかけてはいけない」と思っていたり、「自分のことは自分でやらないといけない」と思っていたりするものです。
もちろん、迷惑をかけまくることを推奨はしませんし、自分でできることは、自分でやっていいと思います。
ただ残念なことに、私たちは、生きているとお互い迷惑をかけ合っているとも言えるわけです。
どうしても体調がすぐれないので、仕事を休んだら、誰かに迷惑をかけてしまうことになるかもしれません。
どうしてもわからないことがあったので、誰かに教えてもらうなんてこともあるかもしれない。
ただそれを、迷惑だと感じるかどうかは、人それぞれ。
でも、私たちは、「迷惑をかけちゃった」と感じることが多いのです。
また、一所懸命努力して頑張っても、どうしても苦手なこと、できないことがあるのも人間です。
全てを完璧にできる人なんていません。
だから、自分でやろうとしても、どうしてもできないことだって出てくるのです。
ただそれを、あまりに申し訳なさすぎて、できない自分はダメだと責めることに忙しくなり、助けが必要なのだと受け入れられなかったりもします。
◆資料をうまくまとめられなくて、締め切りに遅れた。
◆やらなきゃいけないことが多すぎて、うっかりミスをした。
◆会社が倒産して、経済的に大ピンチである。
◆引っ越したばかりで、知り合いがいなくて孤独である。
◆あらゆる手を尽くしたけれど、どうしても問題を解決できない。
このようなときは、助けが必要なときなのですが、私たちはついこのように怒ってしまいます。
「締め切りが早すぎる!」
「忙しすぎる!」
「会社のバカやろう!」
「人なんて冷たいものだ!」
「人生のバカやろう!」
つい、何かのせいにしたくなるのです。
締め切りを設定した上司や、忙しすぎる社会や、業績が悪い会社や、世間や、人生のせいにしもしたくなる。
でもこんなときって本当は、上司や、社会や、会社や、世間や、人生に助けてもらいときなのです。
確かに助けが必要なときですよね。
「助けてほしい」と声を上げられたらいいのですが、声を上げたところで、どうにもならないかもしれないし、迷惑をかけちゃうかもしれない。
私たちは、助けが必要なとき「どのように助けてもらうか」や「誰に助けてもらうか」まで、自分で決めてしまっていることが多々あります。
「上司が締切を伸ばしてくれたら助かる」
「社会が週休4日制になれば助かる」
「会社が業績を伸ばして、給与をアップしてくれたら助かる」
「誰かが声をかけてくれたら助かる」
「神様がなんとかしてくれれば助かる」
最終的には、神様仏様まで指定しちゃいたくなります。
そして、「私を助ける方法」まで指定したくもなってしまいます。
そして、そんな自分が情けないと感じるし、ダメだと感じるので、助けが必要なピンチな状況も、自分でなんとかしようと隠してしまいがちなのです。
でも、あなたが一所懸命頑張っても、うまくいかないとき、どうしてもできないとき、それは助けが必要なときなのです。
誰が助けてくれるのか、どのように助けてくれるのかは、残念ながらわかりません。
それでも「今私は、ピンチです。助けが必要です」と、認めて表現することが大切なのです。
助けが必要なことを認められなかったり、迷惑をかけてしまうからと表現できないでいると、私たちは怒ってしまいます。
助けが必要なのに、それを自分一人でなんとかしなくてはと頑張っているとき、私たちは間違いなく追い詰められて余裕がなくなってしまいます。
余裕がなくなると、私たちは怒ってしまうことが増えるのです。
愛してほしいわけでも、わかってもらいたいわけでもないのに、なぜか怒りが湧いてくるとき、それは助けが必要なときなのかもしれません。
人はなぜ怒るのかを4回シリーズでお届けしました。
参考になりましたら幸いです。
(完)
- 人はなぜ怒るのか(1)〜怒りの正体〜
- 人はなぜ怒るのか(2)〜愛してほしい〜
- 人はなぜ怒るのか(3)〜わかってほしい〜
- 人はなぜ怒るのか(4)〜助けてほしい〜