子どもは親を嫌いながら成長してゆく、という側面があります。
「ママなんて大嫌い」
幼児期のその言葉は、つい笑ってしまうほどの可愛らしい「ママなんて大嫌い」だったりしますが、思春期の「ママなんて大嫌い」は笑えないお母さんも多いのではないでしょうか。
■魔のイヤイヤ期と反抗期
幼児期の頃はまだ赤ちゃん言葉が抜けていないので、たとえ「ママなんて大嫌い」と言われても笑って許せることの方が多いかと思います。
とはいえ、あまりにもイヤイヤが続くと、2歳児相手に本気で腹を立てたり、「一体どうしたいのよー」と一緒に泣きたくなることもありますよね。
この頃の子供は感情の制御が出来ないので、感じたことをそのままストレートに表現します。
3歳くらいから徐々に言葉で、なにが嫌なのか、どうしたいのかを伝えることが出来るようになり、8歳くらいから本格的に判断力や感情のコントロールが身についてくるといわれます。
感情面だけではなく子供を危険なことから守ったり、本気のイヤイヤには体当たりで対応することもあるので、親としては心身ともに振り回されて、そんなときは本当にグッタリしちゃいます。
ご機嫌で過ごしてくれたり、スヤスヤ眠っている寝顔は本当に天使のようなんですけれど。
そんなことの繰り返しで、毎日の生活と子育てを必死にこなしているという感じでしょうか。
さて、思春期ともなると親子共々事情は複雑になってきます。
子供自身の
・生活態度
・学校生活
・友人関係
・異性関係
・進路
など、やるべきこと興味を抱くこと考えなければいけないこと、たくさんのことを抱えながら彼らは彼らの世界を生きています。
人と比べて劣等感を感じやすくなるのもこの時期で、それゆえ完璧主義に陥ります。
顔もスタイルもセンスもキラキラなアイドルが、思春期世代に人気なのもこのためです。
「イケてる私になりたい」
「かっこいい大人になりたい」
「でも、なれなかったらどうしよう」
「やっぱり子供のままでいたい」
「大人になんかなりたくない」
身体的にはどんどん大人に近づいて来ますが、思春期特有の大人になりたい気持ちと大人になることへの不安、体の変化に伴う気持ち悪さなども抱えて心は不安定に揺れています。
なので、まだまだ親の受容や承認を求めているのです。
「そんなものなくても平気だよ」と表面的にはツッパリながら、心の底では絶対的な安心感がを欲しているのですね。
ですが、親にはこれがとてもわかりにくい。
見た目には大人と変わらないし、言うこともいっぱしの生意気なことを言ったりしますものね。
親からの愛情や承認を必要としながら反抗的な態度を取るので、ここでも親は振り回されがちです。
そして子供が思春期に差し掛かるころ、親自身が夫婦関係、嫁姑問題、職場でのポジションや人間関係、ママ友とのお付き合いなどの悩みを抱えやすい時期でもあるのでこの時期を乗り越えるにはパワーも必要ですが、スルスルと受け流す遊びというか余裕も必要なんです。
■戦う子育て
ウチの娘が中学生だったころ。
学校に行ったり行かなかったりの五月雨登校をしていました。
五月雨登校とは、1週間のうち2~3日登校しては休むというスタイルです。
思春期にして反抗期の娘。その心の内は当然、複雑です。
心身ともに自分が変化する落ち着かない感じ、思春期特有の完璧主義からの無価値感。自分と友達とを比べては感じる劣等感。
さらには、親への不満。
特に、私は離婚していたので
「なんで、ウチにはお父さんがいてないのさ!だから学校はイヤ!」
という理由で学校に行かない娘。
周りのみんなにはいるのに「ウチにはお父さんがいない」という事実は、彼女の劣等感になっていたのだろうと思います。
不足感やいつもどこか、なにかが欠けている感じ。無価値な私。みんなとは違う私。
そう感じていたのかもしれません。
そして私としても、それをいわれるとけっこう辛い。
子供って、親の痛いところを突いてきますよね。
けれど、それは学校に行かない理由にはならない。
怒ったり、疲れたり、虚無感や罪悪感を感じたりしながら、あの頃はまさに戦っていたなぁ、と思います。
■パーフェクトな「 ママなんて大嫌い!」
娘が学校を休んで3日目のある朝、学校に行く行かないでなかなか激しい親子喧嘩に発展しました。
一瞬の隙を見て、娘がダッシュしてトイレに閉じこもります。
トイレにはしっかり鍵もかかっているので、私としては打つ手無し。
「ムムッ、やられたか」
しばらく放置していると、ガチャッとトイレから出てきたかと思うと即座に階段を駆け上がる娘の足音。
そして自分の部屋のドアを閉めるときに、娘は力いっぱいの大声で
「うっさい!くそばばぁ‼ ママなんて大嫌い!」
と叫んだのでした。
「・・・? うっさい? くそばばぁ?」
しかも力いっぱい、ありったけの大声で、滑舌もハッキリの
「うっさい!くそばばぁ‼ママなんて大嫌い!」。
ちょっとね、笑えてきました。
トイレから出てくるタイミングと自室へと駆け上がる速さ、声の大きさとその言葉への感情の載せ方。
これまで溜まりに溜まった感情がどうしようもなく目一杯膨らんで行き場を失くし、とうとう破裂したかのような見事なまでの完璧な 「うっさい!くそばばぁ‼ ママなんて大嫌い!」だなぁ、と。笑
溜まってるものが出せてよかったなぁ、と。
ふと見ると開け放たれたトイレのドアからは、まき散らされたトイレットペーパーの海が広がっていました。
さらに脱力したのを覚えています。
■親を嫌うことの必要性
子供は親を嫌いながら成長してゆきます。
特に思春期は親を嫌いにならないと、親から離れて自立してゆくことが出来ません。
親とピッタリくっつきながら、大人にはなれませんよね。
仲良し親子ほど、離れるのに力が要ったりします。
勢いよく思い切りよく離れないと、離れられないのです。
子供たちのこういう心の成り立ちを知っていると、少々暴れられても「まぁ、これも必要よね」と余裕を持って受け止めやすくなります。
親は、特に母親は、子供になにかあると「私の育て方が間違っていたのだろうか」と罪悪感を感じてしまいがちです。
けれど罪悪感に惑わされて「自分の育て方が悪かった」と自分を責めるということは、「我が子はダメな子で間違っている子である」と親が自ら認めたことになります。
この頃の子供は「どんな私でも受け容れてくれるのか」と親の愛情を図っていたりもします。
親に余裕がないと、つい子供の仕掛けに引っかかってお互いが攻撃的になってしまう。
なので親自身が、心にゆとりを持つことはとても大事なことなのです。
時には手を抜いたり、きちんと自分を休ませたり、楽しいことを自分に許したり、自分を認めたり。
むしろ、親が心にゆとりを持つことは子供への責任といってもいいかもしれません。
思春期の子供が全力で本気でぶつかってきたときに、軽やかにかわしたり受け流すことが出来るように。
そして、ここぞというときには子供を受け止めることが出来るように。
反抗期のややこしい時期には、根気と忍耐と体力が必要です。
「いつになったら終わるんだ」と気が遠くなったりしますが、子供は深いところでちゃんとあなたの愛情を感じています。
上手に息抜きしながら乗り切りましょうね。
ちゃんとまた、繋がるときが来ますから。
応援していますね。
来週は、那賀まきカウンセラーがお届けします。
どうぞ、お楽しみに。