自分が怒りをもちつづけていないと、だれかが不幸になる
こんばんは
神戸メンタルサービスの平です。
彼女はいつもイライラしていました。
見た目は温厚で素直なタイプなのですが、いつも怒りを押し殺すようにして生きてきたのです。
カウンセリングにやってきた彼女におかあさんのことを聞いてみると、「母親はヒステリックなタイプで、なにかというと私に怒りをぶつけていました」と答えてくれました。
その怒りは、彼女の父親、つまり、ご主人にも向けられ、夫婦ゲンカが絶えなかったそうです。
ですから、彼女の子どものころのいちばんの願いは、「父と母が笑いあうこと」でした。笑顔ある家庭、笑顔ある暮らしがほしかったのです。
思春期になると、彼女にもおつきあいする相手ができるようになりました。
パートナーといるときはニコニコとして過ごしたいと彼女は思うわけですが、いつも、しばらくすると、イライラしはじめてしまうのです。
「怒っちゃいけない」と思えば思うほど、自分にがまんを強いることになっていきます。
そのため、彼女にとってのデートとは、「笑顔になるどころか、イライラを隠すかのように無表情になること」だったりしたのです。
当然、会話も弾みませんから、いっしょにいておもしろいわけがなく、半年を待たず、ボーイフレンドは彼女のもとを去っていきます。
そんな彼女にも、忍耐強く、やさしい‥‥、というか、気の弱い彼ができ、二人は結婚し、子どもも生まれました。
彼女は「子どもにはぜったいやさしくする」と心に決めていたのですが、なぜか自分の母親同様、子どもに対してヒステリックになってしまうのです。
そして、そんな自分のことを「最低最悪だ」と思い、カウンセリングを受けにやってきたわけです。
彼女の話を聞き、私は二つの話をしました。
一つは、心理学には「ああなりたくないと思うと、ああなってしまう」という法則があるということです。
これはとくに両親やパートナーなど近しい関係性の人について「ああなりたくない」と思っているときに起こりがちです。
たとえば、父親や母親について、「なんで、あんな人なんだろう?」と思うと、そこには大きな興味が涌きます。
そして、「なんで、あんな人になってしまうのか」を学ぶためのいちばんの近道として、自分が「あんな人」になることで、その人の気持ちを理解しようとするようなのです。
不思議かもしれませんが、われわれ人間はそれほどまでしても、理解できない人の気持ちを理解したいと思うようです。
彼女に話したもう一つのことは、こんな話でした。
「子どもというのはよくね、自分がいやな役割を引き受けることによって、だれかを助けようとするんだよ」
「だれかを助ける?」
「そう、君の場合は、おかあさんの怒りを自分が飲み込むことで、おかあさんが怒らなくてすむようにと考えたんじゃないかなぁ?」
私がそう言うと、彼女はなにかを思いだしたように泣きはじめました。
「たしかに、母が父に対してヒステリックになりそうなときは、私が先に父に食ってかかったりしていたかも‥‥」
そうすることで、父親の怒りが母親に向かわないようにしていたと、彼女は泣きながら言いました。
なかなか理解しがたいのですが、「自分が怒りをもちつづけていないと、だれかが不幸になる」というヘンな心理がそこにあるわけです。
しかしながら、母親の怒りを子どもである彼女がもったところで、母親の怒りがなくなるわけではありません。怒りがただそのまま彼女にコピーされただけのような状況です。
すると、母親は自分そっくりになった彼女を見て、さらに自分を責めることにもなります。
「その逆でもいいんだよ」と私は彼女に言いました。
「あなたが幸せになり、笑顔になったとして、おかあさんが自分を責めることはないでしょう?」
あまりに当たり前のことなのですが、彼女はびっくりしながら「それはそうね」と答えました。
そして、この大きな気づきが、彼女にとっての救いとなったのです。
では、来週の恋愛心理学もお楽しみに!!