無力感と「凹みやすさ」
○無力感が強いと「できない自分」に強く反応する
無力感とは罪悪感の一形態です。
自分は無力だ、知恵や力がない、能力がない、経験がない、などと自分を責める気持ちともいえます。
自分に何かがないからダメなのだと感じるという意味では、自分に価値がないと感じる無価値感と同じような性質があります。
が、ここでは「自分に何かしら力や能力などがない」という意味合いで捉えていただくといいと思います。
さて、無力感が強いと「できない自分」に強く反応するようになります。
それは「できる」ということで自分の気持ちが凄く楽になるという側面もあれば
「できない」ということで自分を激しく責めてしまうという側面もあります。
※例え話です。
とても無力感が強いタイプのAさんは、いつも人からの評価を気にしていました。
人からできないと思われることがすごく嫌で、いつも背伸びをしているような感覚が拭えず生きづらさを感じていたのです。
そんなAさんはある仕事のプロジェクトメンバーに抜擢され、重要な任務にアサインされました。
自信はなかったけれど、がむしゃらに仕事に打ち込んだAさんは素晴らしい結果を残し、周囲や上司からの定期評価がグンと上がったのです。
この現実は、Aさんの気持ちをものすごく軽くするものでした。自分はできる、人からもできないやつだと思われない、と安心し、気が大きくなっていったのです。
が、急にプロジェクトにトラブルが発生し、Aさんが担当している仕事上に問題があるということが分かりました。
すると、Aさんの気持ちはとたんに落ち込み、やっぱり自分はだめなヤツだ、人からもそう思われているに違いない、と感じつらい気持ちを抱えるようになったのです。
そしてまたAさんの背伸びをしているような感覚が戻ってきて、生きづらさを感じるようになったのです。
*
これは一つの例え話でしかありませんが、このように気持ちの浮き沈みが激しくなることや
できる・できないということに強く反応してしまう場合、無力感という感情の影響を考えることができるのです。
○無力感が強いと「できない自分」が許せなくなり凹みやすくなる
多くの人の中には「誰かの役に立ちたい」「人の喜びになりたい」という気持ちがあると言われています。
だからこそ、「誰かの役に立てない」「人の喜びになれない」と思うと、自分を許せなくなるとも言われています。
ただ、「誰かの役に立てない」「人の喜びになれない」と思うことで自分を許せないとしても、無力感があまり強くない人の場合
「きっと次はうまくいくさ(そのための準備をしよう)」だとか
「自分の問題点や課題点を探りながらも、自分を認める姿勢」を保つことができる場合があります。
しかし、無力感が強い人の場合
「きっと次はうまくいく」という気持ちより「絶対にうまくいかない」「もう無理だ」という気持ちが強く出てきたり。
「自分の問題点や課題点を見つけるたびに、すごく凹む」ということが起きやすくなります。
言い換えるならば、すでに必要以上の無力感を抱えていると、これ以上の無力感を抱えることが辛すぎて、自分を責めてしまうのです。
だから、無力感できない自分を感じるたびに、激しく凹んだり、できない自分を嘆くことにも繋がりやすいのですね。
そもそも無力感は罪悪感の一形態なので、「できない」という事実だけで、まるで自分が罪を犯したような、人に迷惑をかけるだけの存在のような感覚を覚える方もいます。
もちろんこれは誤解で、人には「できない」という部分があり、できないこと自体は何ら悪いことでも、恥ずべきことではないのです。
確かに「できることの価値」は素晴らしいものがありますが、「できない」は悔しいことではあると思いますが、自分の価値がなくなるということではないのです。
しかし、できないことを「まるで毒だ」と感じるような、自分の価値が全くなくなってしまったような感覚をもたらすことも少なくないのです。
これはしんどいですよね。
なので、できれば強くなりすぎた無力感があるなら、それを整えたいところなのです。
が、実は無力感(罪悪感)はどうにも引きずりやすい性質もあるようなのです。
言い換えるならば「できない自分がなかなか許せない」と感じることが多いわけです。
そこで次回は「無力感を引きずり続けてしまう理由」について解説したいと思います。
(続)
- 無力感について 〜うまくいかないことでずっと自分を責める〜
- 無力感が引き起こす「凹みやすさ」
- 無力感を引きずり続けてしまう理由
- 無力感からの解放を目指して