無力感と「大切な人を助けられなかった」思い
○無力感を引きずり続けてしまう理由を考察する
さて、前回の記事で
『実は無力感(罪悪感)はどうにも引きずりやすい性質もあるようなのです。言い換えるならば「できない自分がなかなか許せない」と感じることが多いわけです。』
と書きました。
今回はその理由について解説していきたいと思います。
実は、無力感を引きずり続けてしまう理由は、初回の記事に書いた、次の部分が大きく影響していることが少なくありません。
『無力感が強い人は「人から望まれたい・頼られたい・役に立ちたい」という気持ちと、しかし望まれることに対する不安の両面を抱えやすく、自分でも何がしたいのかわからなくなる方もいらっしゃるようです。』
つまり、無力感とは、自分には力がないという罪悪感の一形態。
ならば、無力感を引きずり続けてしまう理由として
「自分は大切な人を助けられなかった(喜びになれなかった)」という経験がもたらした様々感情の影響
が考えられるのです。
○無力感のルーツは「大切な人を守りたい、助けたい」という気持ちにあることが多い
無力感のルーツは「大切な人を守りたい、助けたい」という気持ちにあることが多いです。
例えば、親、家族、恋人、仲間など、大切な人を傷つけた、守れなかった、助けられなかったという思いが隠れていると、今の現実で「できない」と感じることで強く痛みを感じることがあります。
「できない」ということで胸がうずいたり、苦しい気持ち、耐えられない気持ちになることがあるわけです。
また、このような無力感を感じる出来事は、今だけでなく過去に起きたことである場合が多いです。
例えば
子供時代に親を助けられなかった(本当に親のことが好きだった)
大切な親友が傷ついていたのに何もできなかった(本当に友達のことが好きだった)
恋人の苦しみを分かり合うことも、拭ってあげることもできなかった(本当に恋人のことが好きで愛おしかった)
このような「自分が愛する人が傷ついている(ように自分には見える)」という現実を前にして、何もできない自分を感じると
「自分は役立たずだ」
「助けたいとか大切だと思っているけれど、何もできないだめなヤツだ」
と自分を責めてしまうのです。
それも自分の心の深いレベルでは愛ゆえに、相手を大切に思うがゆえに生じていることなのかもしれません。
また、自分の子供時代や若かりし頃に起きたことであるならば、能力的にどうすることもできないことがあったのかもしれず、それは自分が悪いと思うべきことではないのかもしれません。
が、それはあくまで客観的な意見にすぎない、とスルーされてしまう場合も多いようです。
実際に、その当時の現実的な出来事として「大切な人、愛する人のために何もできない自分」を感じることは、とても苦しいことだからです。
それゆえに「できない自分」を恨み、責めたり、強い屈辱感などを感じることもあるでしょう。
このような体験やその記憶、そこに伴う感情をを自分の心の中で封じつづけ、頑張って生きてこられた方もいらっしゃるのかもしれません。
が、その体験、記憶、そこに伴う感情をうまく消化できていないとき、今、この現実、この瞬間で起きる「できない」に強く反応してしまうことがあるのですね。
もちろんこれは一つの考え方ではありますが、しかし、無力感を感じやすい人の中には、過去に助けられなかった誰かを今も思い出す方も少なくないようです。
とかく現実的な無力感の強い人の言動を見ると
「自分が思うように現実をコントロールしたい人」
のように見えることが多いものです。
が、「どうしてそこまでできないことを嫌がり、現実をコントロールしたいと感じるのか」という視点で見つめていくと、どうしても受け入れられない、受け入れたくない何かがそこにあることが多いです。
それこそが大切な人に対して無力であった自分であるならば、そこもまた理解し、尊重されるべきことではないでしょうか。
(続)
- 無力感について 〜うまくいかないことでずっと自分を責める〜
- 無力感が引き起こす「凹みやすさ」
- 無力感を引きずり続けてしまう理由
- 無力感からの解放を目指して