私が生まれてきた理由

ずっと向き合いたかった、私が生まれてきた理由。

生きづらく感じて心のことを学び始めたころ、私がいつも思っていたことがあります。
「私は何のために生まれてきたんだろう。私は何のために生きているんだろう。」ということ。

あのころはうまくいかないことばかりで疲れ果てて、一人でいくら考えてみても、その答えが見つかることはありませんでした。

実は、今日7月25日は私が生まれた日です。
だから敢えて、私が生まれてきた理由を受け取りたい、そう思ったんです。

56年前の今日、私は父と母の第一子として生まれてきました。

調べてみると、その日の静岡の天気は晴れ。最高気温30.2度。
こんなに暑いときに産んでくれた母には、今でこそ本当に感謝なんですが…。

母からは、「お父さんは男の子が欲しかったから、生まれたのが女の子でがっかりしたのよ。」と何度も聞かされていました。
私はこの言葉を聞くのが大嫌いでした。
男の子じゃない私は父からは愛されていない、そう感じるからでした。

私が生まれた翌年の12月、妹が生まれました。
妹には病気があって、3歳と4歳のときに手術を受けています(今は元気に暮らしています)。

私の原稿には、病気のあった妹に何度も登場してもらっています。
妹には「何度もひっぱり出してごめんね。」という気持ちですが、この私の成り立ちに妹は欠かせない存在なんです。

父と母は、病気の妹と、あのころ一緒に住んでいた父方の私の祖母の介護もあったので、私は幼いながらに自立する必要を感じていたのでしょう。

私は父の望んでいた男の子ではなかったし、母が抱っこするのは妹ばかりだし、家族の中心は妹で私はいつもひとりぼっち。
「私は愛されていない」という思い込みができあがりました。
愛してもらうために幼い私がしたのは、もっと我慢して、がんばって「いい子」でいることでした。

今でも私の中には、あのころ我慢した「私のことも抱っこして欲しい。私のことも見ていて欲しい。」という思いが残っていたりします。
私の寂しさを両親に気づかれないように、両親の手を煩わせないように私はがんばっていたんです。

「両親でさえ、いい子の私でいないと愛さない。」と思い込んでいたので、他人に私が受け入れてもらうためには、相手の顔色を伺って、自分のことよりも相手が望んでいることを優先するのが当たり前になっていました。
自分が我慢していることに気づかないくらい、私の心はマヒしていました。

心のことを学んで、嫌ってきたこの自分の成り立ちがわかってくると、愛されないと思って我慢ばかりしてきたと思っていたけれど、その我慢は幼い私が幼いなりに一生懸命考えて、自分で選んだ愛情表現だったとわかりました。

痛みのある妹に母を譲りたかったし、両親を心配させないように、手を煩わせないようにすることは、私の愛でした。
妹にも、父にも母にも、私は笑っていて欲しかったんだと気づいたんです。

自分の中の愛に気づくと、私は我慢ばかりして自分の思いを表現できなくて嫌ってきた自分のことを「へぇー、私ってそうなんだ。」と、少しづつ受け入れられるようになっていきました。
気がつくことも増えていきました。
妹が私に譲ってくれていたことがありましたし、父と母が私のためにしてくれたこともたくさんありました。

母が「生まれたのが女の子でお父さんはがっかりした。」と言ったのも、今ならわかる気がするんです。
母はきっと「お父さんは男の子が欲しかったかもしれないけど、やさしい娘でよかったって思ってるでしょ。」と、父と私に言いたかったんじゃないのかなと思えるんです。

私が生まれてきた理由、それはこの家族で愛することを学ぶため、愛されていることを学ぶため。
自分の価値を受け取るため。
そのために私はこの家族を選んで生まれてきたんだと思うんです。
寂しくて、悲しかったことも辛かったこともあったけれど、喜びもそして楽しかったこともありました。
全部私が「愛」を学ぶためだったんです。

そして私はこの家族で学んだことを、誰かに伝えるために生きている。
まだ気づいていない誰かの価値を伝えるために。
あなたはひとりぼっちじゃないよ私は見てるよって、誰かの寂しさを抱き締めるために。
私はやっと、自分が生まれてきた理由を受け取り始めているように思うんです。

私をお父さんとお母さんの娘に産んでくれてありがとう。
妹のおねえちゃんにしてくれてありがとう。

そして私と出会ってくれた人たちに、
私と出会ってくれてありがとう。私と関わってくれてありがとう。
私に愛させてくれてありがとう。私を愛してくれて本当にありがとう。
そう思うんです。

もしあなたが、何のために生まれてきたのか、何のために生きているのかわからないと思っているとしたら。
あなたが欲しいと思っていることに、ヒントがあるのかもしれません。
愛されていない、愛されたいと思っていた私が、愛を学ぶために生まれてきたんだと思えたように。

私もまだまた学びの途中です。
これからどんな寄り道をしてどこにたどり着くのか。
誰と出会って、どんな経験をするのか。
楽しみにこの学びの旅を続けていきたいと思っています。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

「私にはなんの魅力も価値もない」と自己嫌悪し、自分を隠してきた生きづらさを乗り越えたことから、お客さまの中に隠れている魅力や才能を引き出し、本来の自分らしさを取り戻すことを大切にしている。 やわらかな雰囲気を持ち、どんなことでもやさしく受けとめてもらえた、前向きになれる、と好評である。