加害者意識と罪悪感ゆえに起こることがある
失恋について4回シリーズでお届けしていますが、ふと思いました。「ふられた人がいるのならば、同じ数だけふった人がいるということだよね?」と。
別れを告げられた側もつらいけど、別れを告げる側だってそれなりにつらいはずです。それともそんなことはないと思いますか?
誰だって、自分が愛した人が悲しむ姿や落胆する姿を見たい人はいないでしょう。別れを告げる側だって苦しい気持ちがあることが確かです。
「もうあんなヤツ、顔も見たくないわ」という終わりもあるかもしれません。しかし、嫌いになったわけではないけれども、ここから先の未来が見えないから別れる場合もあって、別れを告げる側だって簡単ではないのです。
別れを告げる側は、どうもふたつの苦しさをもっているようです。
“相手を悲しませることへの苦しさ”と“もう愛せないことへの苦しさ”と。
一度は愛した人との繋がりを切ろうとするのですから「本当にそれでいいのか?」と何度も自問自答します。自分さえ別れようと思わなければ、このまま続いていくかもしれないのに、あえてそれを断ち切ろうとするのであれば、なおさら悩むでしょう。
別れを告げるためには、どこかで“相手を傷つける覚悟”をしなければいけません。でもその覚悟がなかなか出来ない人がいるのです。その覚悟ができないときに、何週間も返信をしないとか、音信不通になるとか、なんらかのうやむやとした態度になることが多いようです。
別れを告げようとする側も、自分がとても酷いことをしようとしているという、“加害者意識”をそこでは感じているのです。だからこそ、罪悪感を感じていてうやむやにしたくなる。
なかには「自分がふるのがつらいから、相手に嫌われてふってもらうように仕向ける」なんていうケースもあります。これは「ふられたとみせかけてふる」というやり方です。
「ええええ?そんなのって酷い!!」と思うかもしれませんが、少数ではありますが罪悪感に向き合えないタイプの人がこうなります。もちろん無意識的なことで、本人には自覚がないと思いますが。
◆加害者意識と罪悪感ゆえに
このように、別れを告げる側は、自分が愛した人を傷つけるのですから、加害者意識と罪悪感を感じます。そのため“補償行為”をしやすくなります。補償行為というのは、罪を償うためにする行動のことです。それは一見良い行動のように見えますが、その優しさが酷なのです。
たとえば、自分から別れを告げたのに、3週間後に「どう、元気でやっている?」なんていうメールをふと「元彼女」になった人に送ってしまう。
その返事が「つらすぎて、毎日泣いているよ」というものであれば、「ごめんね、僕のせいだよね。君は何も悪くないからね」なんて優しい言葉をかけてしまう。自分で傷つけた人を自分でなぐさめるなんて、なんとも皮肉なことなのに、それを傷つけた相手へのせめてもの償いにしてしまうのです。
または、その返事が「もう大丈夫だから、気にしないで」というものであれば、「もしかしたら無理してそう言っているんじゃないの?」なんて気遣ってしまう。まったく責めることもない健気な姿をみて、もしかしたら自分の選択は間違っていたのかもしれないと思い始めて「ねぇ、ご飯でも行かない?」なんて誘ってしまうのです。
このようなケースでは復縁することもありますが、短期間で終わってしまうことが多いようです。なぜならば、愛情ではなく同情で繋がっているから。
男女関係ではこのようなことがたくさん起こっています。だからこそ、何度も縁を戻したり、腐れ縁のように別れられない人たちがいるわけです。
別れを告げられる側もつらいけれども、別れを告げる側もつらい。別れを告げる側も傷つける罪悪感から補償行為をしてしまうことが、おわかりになったのではないでしょうか。
別れを告げる側に何が起こりやすいかというと「別れたものの、ここから先に進めない」という問題を抱えるようになります。言い換えるのならば「自分だけが幸せになってはいけない」という加害者意識と罪悪感を背負いこむのです。
ですので、別れを告げる側にも心の整理は必要です。ここ、意外と盲点ではありませんか?だって、別れを告げた側の人はあまりカウンセリングをお使いになりませんからね。ふる側だって決して無傷ではありませんから、ご相談いただけたらと思います。
(続)
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