最悪な出来事を最悪なままにしないために。
今回、担当させていただく大門昌代です。どうぞ、よろしくお願いします。
生きていると、「どうしてこんな経験をしなくちゃいけないのだ!」と感じるような出来事に遭遇することってあります。
人生最悪の経験だと感じる出来事も起こるかもしれません。
できるなら、そのような出来事に遭遇もしたくなければ、そのような経験もしたくはないものですが、最低最悪の気持ちになった時、どのようにすればいいのでしょうか?
一つの方法なのですが、「誰を理解するためにこの経験をしているのだろう?」と考えてみるのです。
例えば、お酒を飲んで大失態をしてしまったとしましょう。
それまで、上司には逆らわず、取引先には気を使い、会社での評価も良かった。
でも、どうしても参加しなくちゃいけない接待があり、上司や取引先の人と一緒に飲んでいた。
普段なら、飲みすぎないように注意し、飲み会中も上司や取引先の人には、最大限の気配りをしている。
ところがその日、体調があまり良くなかった。
でも、自分だけ飲まないのもいかがなものかと思って、お酒を飲んでいると、体調が悪いので、酔いが普段より早い。
酔っ払い状態になって、記憶がなくなるほどの状態になり、朝起きた時には、自分のベッドで寝ていたものの、どうやって帰ったかもわからない。
最悪の気分で、会社に行ったら、上司や同僚から「昨日、大暴れだったな」と笑いながら言われた。
詳しく同僚にどんな状態だったのかを聞いたら、上司や取引先の人に絡みまくっていたとのこと。
もう最悪。
今まで必死で築き上げてきた品行方正な自分が、崩れ去る気分。
上司や取引先の人に合わせる顔がない。
できるなら、起こってほしくない出来事ですし、気分は最悪ですよね。
そんな時にちょっと考えてみるのです。
「誰を理解するために、この経験をしているのだろう?」と。
今の自分のように、品行方正な自分が崩れ去る気分を味わっていたのは誰だろう?
周りの人に合わせる顔がないと、思っていたのは誰だろう?
もしかしたら、遠い昔の若かりし頃のお父さんかもしれないし、引きこもり生活が長い兄弟かもしれない。
お父さんと連絡を取ってみる。
兄弟と話してみる。
話すことができない状態なら、「もしかしたら、今の自分と同じ気持ちだったのかもしれなな」と思いを巡らしてみることで、その人のことを理解できたり、許せたり、受け入れたりできるかもしれません。
その人との切れたつながりを、取り戻すことができるかもしれない。
それだけでも、最悪の経験をした意味があると思いませんか?
辛い思い、悲しい思いをした時、「どうしてこんなことが起こるのだ!」「どうして私なんだ!」と思ってしまいます。
でもそんな時、「誰を理解するために、この経験をしているのだろう?」と考えてみることで、その辛い経験、悲しい経験も意味のあるものになります。
私たちが、辛い思い、悲しい思いをした時、そんな経験には意味はないと思ってしまいがちです。
人間は、意味がないことがとても辛く苦痛に感じます。
あなたが毎日出勤して、積み木を積み上げるだけの仕事をやらされていると思ってください。
しかもその積み木は、就業時間になると、上司が現れて全て崩してしまう。
その積み木を積み上げる作業は、誰かの役に立つこともなく、評価されることもないのだとしたら、耐えられないと思いませんか?
苦痛ですよね。
意味がないから。
感じたくない痛みや寂しさであったとしても、痛みを知ることで、優しくなれます。
寂しさを知ることで、自分の周りの人たちとの絆が大切なものであると知ることができます。
「誰を理解するため」そのように考えてみることで、起こってほしくない出来事で感じた感情が無意味ではなくなります。
もしかしたら、辛い失恋をしたのは、同じような経験をした友達を理解するためかもしれない。
もしかしたら、彼が約束を守ってくれない悲しい経験をしたのは、子供の頃、約束を守らなかった自分を叱った親を理解するためかもしれない。
そんな風に考えてみることで、今まで気づかなかった自分の中にある「愛」に気づけるかもしれません。
「誰を理解するために」と考えるのが難しい時は、「何に気づくために」と考えてみてもいいかもしれません。
普段見過ごしている何かに気づけるだけでも、意味がありますよね。
最悪な出来事を通じて、誰を理解し、何に気づくことができるのか?
そう考えてみることで、嫌な経験、辛い感情も乗り越えやすくなります。
簡単ですけれど、参考になりましたら幸いです!
ありがとうございました。
(完)