2年前のちょうど今頃、次男がシンガポールの大学に入学するため、羽田国際空港まで見送りに行ってきました。
でも、出発時刻の1時間半前には私は次男とさよならしちゃった。
まだ1時間は一緒にすごせる余裕があったにもかかわらず。
○母親と彼女
その日は次男の彼女も空港にお見送りに来てくれていました。
出発のカウントダウンが始まった出国2週間くらい前から、時間を惜しむようにほぼ毎日会っていた2人。
毎回、彼女は泣いていたそうです。離れたくない!って。
その気持ち、わかるな〜っと思っていました。
私も同じ気持ちだったから。
お母さんも我が子と離れるのは、それはそれは寂しいものなのですよ。
そして出発の日、空港で私、次男、そして次男の彼女の3人でお茶をしていた時。
やっぱり彼女は、私がいるからか、どこか緊張しているようでした。
本当は次男とハグしたり。
甘えたり。
行かないでよ〜って泣いてみたり。
色々としたいんだろうな〜って、私は思いました。
次男も本当は彼女ともっと話をしたいだろうに、気を使って私に話を振ってきたり。
あー、次男は次男で板挟みなのかなー、なんて思ったりしちゃいました。
もしかしたら、世の男性達ってこうしてお母さんと嫁の板挟みにあっているのかな〜、なんてちょっと思ってしまったり。
私の夫もそうだったのかな。(もう義母は亡くなっています)
そんなことを考えながら、私は自分の腕時計にチラッと目を向けました。
次男が「ママ、もう行かなきゃいけない時間なの?」と問いかけてきます。
全くもって、予定は何もありませんでした。でも、、。
「うん、ママもうそろそろ行かなきゃ。じゃ、ママ行くね」
「じゃあお店の出口まで送るよ」と次男。
「ありがとう」と応える私。
私は「じゃあ、○○ちゃん、最後まで次男のお見送りよろしくね!今日は来てくれて本当にありがとう」
と席に残る彼女に声をかけ、お店の外で息子とハグをし、早々にあっけなく別れてきました。
18年間、ずっとあなたと生活を共にしてきたけれど。
もう次男の心の中はお母さんじゃなくて彼女、なんだろうな。
「そんなの当たり前か!もうお年頃だもんね」なんて思いながら、電車のホームに向かいました。
色々な意味で、息子を手放す日となりました。
私は帰りの電車内では、何も感じないように、ただただ貪るようにスマホを眺め。
家に帰宅してからは、撮り溜めしていたドラマをひたすら見ていました。
それは次男がもう私のところから巣立ってしまった現実の中にある、「寂しさ」を感じないようにしていたから、の行動でした。
○愛する存在がいるということ
我が次男のように海外に行かなくとも、例えば県外の大学に通うようになって親元から離れるお子様を持つ親御さん。
お子さんが就職を機に、離れて暮らすことになった方もいることと思います。
3時間おきにおっぱいをあげていた、赤ちゃん時代。
幼稚園の送り迎えに明け暮れていた時。
アメリカ駐在中の小6の時には、心臓カテーテル手術を行い、息子の死を意識することもありました。
ありがたいことに、本当に奇跡のご縁で今があります。
本当に命の尊さを学ばせてもらう体験でした。
もう親として、物理的には関われないけれど。
これから親としてできることは見守ること、なのでしょうね。
いつでも子供たちが帰って来れる、故郷(ふるさと)という場所を守ること。
これからの私の役割はそこかな、と思いました。
その日の夕方、近所のスーパーに行った時、
「あ、もう次男のためにグミを買わなくていいんだ」(次男はグミオタク)
「彼の大好きなコーンフレークももう買わないんだな」
「アロエ入りのヨーグルトも」
「大好物のサラミも、買う必要はないんだった」
と思った時。
毎日どれだけ次男の喜ぶ顔を思い浮かべながら、買い物をしていたのか。
毎日どれだけ次男のことを考えて生きてきたのか、その日のスーパーで思い知らされました。
もう買う必要は無くなったんだ。
その時、思わず涙がこぼれ落ちました。
他の買い物客に泣いていることがバレないように、髪の毛で顔を隠しながら。(スーパーで泣いてる人って、めっちゃ怪しいですよね〜)
あぁ、愛する人がいるってこんなにも幸せなことだったんだな。
泣きながら、そう気付かされました。
○愛する幸せ、愛を受け取る幸せ
あれから月日は流れ、今年の夏も2週間という短い間でしたが、次男がシンガポールから帰ってきてくれました。
そして今年結婚した長男も、次男に会うべく半日だけでしたが実家に帰ってきてくれました。
こんな時、私は子供達の大好物をできるだけ多く食べさせたくなってしまいます。
あなたももしかしたらご実家に帰った時、テーブルいっぱいに並べられた料理の数々に面食らったことがあるかもしれません。
あれも食べさえたい、これも食べさせたい。
そんな気持ちに、あなたのお母さんはなったのかもしれません。
この夏の私のように。
心理学的に見て、「食べ物」というものは「愛情の象徴」として見ることがあります。
赤ちゃんが泣いた時、お母さんのおっぱいを口に含ませてあげると、赤ちゃんは母乳を飲み、そして安心感に包まれて眠ってしまうことが多いもの。
母乳を飲むという行為は、お母さんの愛情を赤ちゃんが感じられるものの一つとして見ることができるのですね。
「ママのご飯は、やっぱり懐かしい味がするなぁ!」
そんな声を聞くと、愛情を受け取ってもらえたように感じ、本当に幸せな気持ちになります。
あなたの愛したい人は、誰でしょうか?
それは人でなくても良いのです。
家族同様のワンちゃんでも、猫ちゃんでもあなたが愛情を持って接してあげたい存在なら。
そのような存在がいることは、本当に幸せなことだと、私は家族を通して実感しました。
そしてあなたを愛してくれている人は、誰でしょうか?
お父さんやお母さん?おじいちゃんやおばあちゃん?
あなたのお友達?パートナー?
あなたが「ありがとう!」とその愛を受け取ってくれると、あなたを愛したい人は本当に心から喜びますよ。
「ママのご飯は、やっぱり懐かしい味がする!」
本当にこの一言で、私は一生分の幸せを感じられた気がしましたから。