付き合ったばかりなのに、なぜそんなに冷たい態度なの?
◆近づいてほしい、でも近づいてほしくない。
親密感への怖れがある彼でも、フレンドシップ的な関係性でいるときには、意外と積極的に彼のほうから近づいてきたりします。しかし、ある一線を超えて彼女が心を開き始めた頃、彼のほうは突然に心のシャッターを閉じてしまうことがあるのです。
当然のことながら、彼女は戸惑います。カウンセリングでは、このタイプの彼への不安を訴える声をよく聞きます。「付き合う前は積極的だったのに、付き合ったとたんにとても素っ気なくなった」「ものすごく楽しいデートをした翌日から連絡が取れなくなった」と。もうわけがわからないわけです。
このような「来てほしいけど、来てほしくない。近づいて欲しいけど、近づいてほしくない」というような矛盾を抱える人のことを「親密感への怖れをもつ人」と、心理学では表現することがあります。
なぜ親密さを怖れるかというと、心の距離が近くなると相手の感情の影響を受けるので、振り回されたり、嫌われたり、傷ついたりする可能性も同時に生まれてしまうから。それを回避したいとなれば、あたりさわりのない関係性の距離感でいる必要があります。
しかし、そうなるにはそうなるだけの理由があります。親密さがほしかったのに手に入らなかったという、過去のハートブレイクがあるからこそ、そうなってしまうのです。それは愛されたい人に愛されなかったという古傷です。「もう二度と傷つくのは嫌だ」と思う分だけ、自分のハートのなかに誰かを入れることが怖くなります。
だからこそ、ある一線を越えると、まるで今まで積み上げたものを破壊するかのように、関係性のリセットボタンを押してしまう。親密さの手前で怖くなって逃げ出してしまう。すると、いつのまにか人を傷つける「ハートブレイカー」になってしまう。
ハートブレイクした人が、今後はハートブレイカーになってしまうという、なんとも皮肉なことが起こるのです。だからこそ、誰も傷つけたくないと思えば、周囲との関わりを避けてひとりでいるしかなくなります。
しかし、人はひとりで生きることはできないので、心は人を求めます。ただ親密感への怖れがある人が誰かとの関係を求めたときには、傷つくことを怖れる分だけどうしても「完璧主義」になってしまうのです。
自分のことをほんの少しの批判もしないような、完璧な人を求めます。まわりの人から見ると「ものすごく好き嫌いが激しい人」「求める基準が高い人」に見えることでしょう。しかし、こんな自分を受け入れることができるのは、それほどに大きな愛の人であるべきだという深層意識があるからなのです。
となると、親密感への怖れをもつパートナーと関わり続けることができる人は、「(突然に距離を取られるなどの)どんなに理不尽なことをされても、受け入れ続けようとする人」になるということがお分かりでしょうか。
つまり、傷ついた人を見たらむしろ情熱的に愛したいと思う人であることが多いのです。ときには自分の心を犠牲にしてまで愛しているのに、相手の心に触れることができないことに悩みます。さて、あなたはどうでしょうか?
◆近づきたい、でも近づけない。
もしあなたのパートナーが親密感への怖れをもつ人ならば、そのような人を好きになるには、好きになる理由が「私」にもあるはずだと考えてみてほしいのです。
よくパートナーは「合わせ鏡」のようだといいます。
男性側が怖れを感じて近づかせてくれないケース。
女性側が怖れを感じて近づくことができないケース。
これは表裏一体の感情なのです。ということは、親密感への怖れをもっているのは、じつは「自分自身なのではないか?」とみることもできるのです。
深層心理的にみると「自分が怖がっている」のかもしれないのです。その多くは自分への疑いであることがほとんどです。
「私なんかがあなたの喜びになれるの?」
「私なんかがあなたに愛してもらえるの?」
自分への疑いが強くなっているとき、親密感への怖れをもつパートナーと出会いやすくなるようです。このような場合、カウンセリングでは「誰かとの関係性を良くしたいと思うときには、まずは自分との関係性を良くしましょう」と考えます。つまりは自分の内面と向き合うことが関係改善のヒントになるということです。
自分自身が親密感への怖れを癒すことで、パートナーのもつ怖れも癒すことができるのだとしたら、俄然やる気が出てくるのではないでしょうか。このように軸を自分に戻してみることで、問題解決への道筋が作られていくこともあるのです。
(完)