他者への攻撃心、本当に責めているのは自分自身のことかも
つい人を責めたくなってしまうことはありませんか? 「できればしない方がいい」とわかっているし、人を責めた後は自己嫌悪をするのに、なぜか人を責める気持ちが抑えられないのだとしたら。自分が持っている罪悪感が影響しているのかもしれません。
人を責めたくなる心理には様々なものがありますが、今回は罪悪感の観点から3つの心理を解説していきます。
●自己攻撃をしなくて済む
罪悪感を持っている状態では、「私が悪い」「私のせい」と感じます。例えば、「予定通り仕事が進まなかったのは私のせい」「先輩が大変な思いをしたのは、迷惑をかけた私が悪い」など。罪悪感があると「私が悪い」と思っているので、「すみません」「ごめんなさい」「申し訳ありません」が口癖になる人も多いです。周囲の人からは、謙虚すぎる人、自信がない人といった印象を持たれやすかったりもします。
仮にすべてにおいて「私が悪いです」「私のせいです」と自分を責めて、激しく自己攻撃をしているとしたら、どのくらい心に負担がかかるでしょうか。それは相当なもので、ご本人はめちゃくちゃ辛いはずです。物騒な例えになりますが、いつも否定の言葉のナイフで自分を傷つけているようなものではないでしょうか。
そして、この否定の言葉のナイフを自分に向けなくて済む方法のひとつが、人を責めることです。「なんで私ばかり責められるの?あの人だって悪いじゃない」と。「あの人が悪い」「あの人のせい」と誰かを責めている時だけは、ナイフの矛先を自分から外して、自分を責めるのを休むことができるわけです。
本当にしたいことは、誰かを責めることではなくて、自分を責める時間を減らすことなのかもしれません。
●「私は悪くない」と証明したい
多くの方は、「親がもっと〇〇だったら」「上司がしっかりしていれば」「社会が△△だったなら」などと思った経験があるのではないでしょうか。成長の過程で、不完全なものを嫌い、正しさを求め、特に目上の存在に反抗的になる時期があるものです。
しかし、大人になってからも「あの人が〜すべき」と人を責めるような気持ちになりやすかったとしたら、心の調整が必要かもしれません。怒ることはエネルギーを消耗します。怒り続けることも、辛いんですよね。
罪悪感の観点から心理をひも解いていくと、何でも「私が悪い」と納得しようとすることはとても苦痛です。どこかで「私は悪くない」と認めてほしいと感じるでしょう。そして、自分自身で「私は悪くない」と思えない場合、「正しさ」という武器を使いたくなるようです。
「法律では」「ここのルールでは」「常識では」といった「正しさ」を主張して、「私は正しい=私は悪くない」を手に入れようとしたりします。そして、正しさを使って、「あなたは間違っている」「あなたが〜すべき」と誰かを責めてしまうわけです。
本当にしたいことは、「私は悪くないよね?」と確認がしたい、誰かに「あなたは悪くないよ」と認めてほしい、といったことなのかもしれません。
●「していない」罪悪感がある
成熟さをもって理解を進めるならば、「あの人が〇〇しないのが悪い」と他人を責めている時、実は自分の方にも「していないこと」があるようです。それは、シンプルに言うと、その人を大切にすること、その人を愛することです。
極端な話、相手が悪者ならば、「そんな人を大切にしなくていい」と思っても許される気がするのではないでしょうか。相手が悪者であればあるほど、その人を大切にしない自分、その人を愛さない自分を正当化しやすくなるわけです。
言い換えると、心理的には「大切にできない」「愛せない」と申し訳なく思う罪悪感がある分だけ、相手の悪いところを見つけて「だってこんなに悪いんだから大切にできなくても(愛せなくても)仕方がないでしょう」という態度になることがあります。
本来大切にしたい人や愛したい人を責めてしまう背景には、「してあげたいことがあるのに、上手にしてあげられていない」と自分を責める気持ちがあるのかもしれません。
例えば、「なんで〇〇しておかないの!」と夫にキレてしまうけれど、本当は夫に優しくしたいのにできない自分が隠れていないでしょうか。あるいは、「親なのに〇〇してくれない」と不満に思ってしまうけれど、本当は親孝行したいのにできていない自分が隠れていないでしょうか。
「していない」罪悪感が自分にあって、その罪悪感を感じたくなくて、「相手が悪い」と責めていませんか。本当にしたいことは、「大切な人を大切にしたい」「愛する人を愛したい」なのかもしれません。
●課題は自分自身の罪悪感
人を責めたくなる時、「悪いのは相手」「変わるのは相手」と思いがちです。しかし、もし自分が持っている罪悪感が人を責めたくなる気持ちに影響しているのだとしたら。自分の罪悪感を癒すことを課題にしてみてはいかがでしょうか。
(完)