もうすぐ祖母の命日です。
今日は、18才まで一緒に暮らしていた祖母のことについて、感じたことや思い出を綴りたいと思います。
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おばあちゃんは、おはじきで遊んでくれました。
おばあちゃんは、内緒でお小遣いをくれました。
おばあちゃんは、私が小さいころ両親に叱られると、かばってくれました。
でも、実は父の本当の母親ではありません。
ではどうして、おばあちゃんは うちに嫁いでくることになったかというと…
むか~し、むかし、
父の話によれば、実母が病気で亡くなった後、数年後のある日、突然おじいちゃんのところに祖母がやってきたというのです。
「〇〇さんの家へ嫁に行きなさい」
「食いっぱぐれることはないから」
おばあちゃんは、そう両親に言われ、おじいちゃんのことをほとんど知らないまま嫁いできたといいます。
ふと、そんなおばあちゃんの姿を見て育ち、私は成長するにつれ、おばあちゃんはおじいちゃんのことを「本当に愛していたのだろうか?」と、なんとなく考えるようになりました。
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まだ私が小学生の頃、おじいちゃんが、突然、倒れてしまったときのことです。
田舎に住んでいたこともあり、救急車でもなかなか受け入れ先を見つけられず、遠くの病院まで行かなくてはなりませんでした。
そこでおじいちゃんは治療を受けるために、そのまま入院することになります。
管でつながれていて、ずっと眠り続けるおじいちゃん。
その後、おばあちゃんは何年もの間、病院へ通い続けたのです。
昔の人ですし、「愛している」なんて言葉は一度も聞いたことはありません。
けれど、おばあちゃんはおじいちゃんをとても愛していたと、私は思いました。
それは、心理学では愛の表現は人それぞれだといいます。
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例えば、
・言葉で「大好きだよ」と表現する聴覚派
・ハグをしたり、手をつないだりして触れ合う触覚派
・バラの花束やプレゼントで表現する視覚派、などがあります。
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こうした献身的なおばあちゃんの姿を見ると、言葉ではなくて行動で、おじいちゃんのことを「愛していたんだなぁ」と思ったのです。
ところが、おばあちゃんには こんな一面もありました。
それは普段はとても優しい人なのですが、たまにヒステリックになること。
(ヒステリーの症状は、自分のいろいろな感情やつながりを断つことと似ています)
いつからか食事中の会話は、うるさいからと禁止。
子供のころに食事中のおしゃべりができなくて我慢していたことをよく覚えています。
しかし、心のことを学んでいくと、そうするにはそうするだけの理由があるといいます。
おばあちゃんはどんな気持ちなのだろうと考えてみると
ヒステリックなのは、「誰も私のことなんて、わかってくれない」という心の叫びを上げていたのかもしれない。
食事中の会話をうるさいと感じるのは、楽しく笑って食事をするような家庭で育っていなかったからなのかもしれない。
心はいつもひとりぼっちだったのではないかと思いました。
きっと、どんなに寂しくても、誰にもその気持ちを話すことができずにいたんだろうな…って。
おばあちゃんが、たまにヒステリックになってしまうことや、食事中のおしゃべりを禁止したことも、だんだんと理解できるような気がしたのです。
ただ…
その一方で、人の記憶は曖昧なものでもあります。
子どもの頃は、とくに愛されにくい態度をとってしまうことは 誰しも少なからずありますよね。
それでもおばあちゃんは私を愛してくれました。
大好きな桃をいつも切ってくれたり、どこか行くたびに何かおもちゃを買ってくれたり、可愛がってくれたのです。
何年たっても、おばあちゃんの命日が近づくと、過去のことを思い出されます。
一緒に過ごした日々は、今ではかけがえのない宝物です。
たとえそれは、血の繋がりがなくても、心で繋がっている、私にとって大切な家族のひとりだから。さまざまなことがあり、ぶつかり合うこともありましたが、それは本物の家族の絆があったからこそだと思います。
おばあちゃんは、いつも私を自分の子供のように愛してくれた人でした。
私をずっと見守ってくれている、大きな存在です。