シングルだから寂しいのではありません
今回、担当させていただく大門昌代です。どうぞ、よろしくお願いします。
最近では、結婚しようが、一生独身で暮らしていこうが、昔ほどはとやかく言われない時代になったのでは無いかと思います。
そうは言っても、相変わらず「まだ結婚しないの?」とか、「結婚してこそ一人前」みたいな考え方に触れることは、たまにありますが、それでも昔に比べれば、独身であることで、とやかく言われる回数は、格段に減ったなと勝手に思っております。
この記事を書いている私自身は、離婚経験があり、現在も独身です。
子供達は成人し、シングルライフを満喫させていただいているわけで、とても充実しております。
それでもたまにこのように問われることがあります。
「一人って、寂しく無いですか?」
どうやら、シングルライフは、寂しいものだという思い込みが、私たちの中にはまだまだあるのかもしれませんね。
そうかと思えば、配偶者もいて、子供たちもいるけれど「寂しい」とおっしゃる人もいらっしゃいます。
そう考えると、独身だから寂しい、既婚だから寂しくないということではなさそうですよね。
私たち人間は、誰かと分かち合うことができないと寂しいと感じ、誰かと分かち合うことができると寂しくないようなのです。
分かち合うのは、感情や体験などです。
例えば、配偶者がいても、お互いが何を考え、何を感じているかの共有がないと、寂しさを感じます。
会話がないご夫婦がこれにあたりますよね。
また、会話はあるけれど、業務連絡のようなものばかりだとしても、やはり寂しさは募ります。
「夫婦なんてこんなものよ」と、寂しさを抑圧していることもありますけどね。
例えば、独身であっても、楽しい体験をしたことを話せる相手がいたり、悲しい体験したことを、一緒に泣いてくれる友人がいたりすると、寂しさは感じないものです。
それよりも、気持ちを分かち合えることに安心感を抱きます。
一緒に働く同僚はたくさんいる。
仕事という体験を分かち合っているけれど、寂しさを感じるということもありますよね。
それは、職場では感情の分かち合いがされづらいからかもしれません。
趣味などプライベートな場だと、同じ体験をしながら、「楽しかったね」と感情の分かち合いがされます。
また、少々困難なチャレンジであっても、「協力していこう!」と、困難さも分かち合えたりもします。
しかし、職場では、私たちは感情自体を抑圧していることが多く、「仕事だから」と淡々とこなしていることが多いので、同僚とは思っても、仲間とは思いにくいものです。
でも、例えば一つのプロジェクトを成功させるために、職場の仲間が「一緒に頑張っていこう!」と感情を分かち合うと、寂しいとは感じなくなります。
もちろん、意見が衝突することだってあるかもしれません。
でもそれもまた、それぞれの意見を分かち合っているのです。
少し見方を変えれば、寂しいと感じる時というのは、誰とも分かち合えていない時とも言えるわけです。
寂しい時に「寂しい」と言える誰かがいると、ずいぶん違いますよね。
直接会う人だけでなく、電話やネット経由でも分かち合うことはできます。
しょっちゅう一緒に遊ぶ友人はいなくても、連絡すれば気持ちを分かち合える人がいると、寂しくないのです。
一緒に暮らす家族がいても、気持ちを分かち合える人がいないと寂しいのです。
分かち合うって、なかなか説明するのが難しいものなのですが、誰かが話した話に、誰かが体験したことに、「それ楽しいよね!」「それ面白い!」「それは辛かったね」「なんだか私まで悲しくなってきたよ」と感情を分け合うことと考えてもらえるといいかもしれません。
分け合うと言っても、感情は物質ではないので、目には見えないのですが、誰かの喜びを我がことのように喜んだり、誰かの悲しみを我がことのように悲しんだりしたことって、多くの人にはあるのではないでしょうか。
それが分かち合った経験なのです。
分かち合いという言葉が、ピンとこないようでしたら、シェアというのはどうでしょうか。
最近では、様々なものをシェアするようになっていますよね。
車をシェアしたり、オフィスをシェアしたり。
一つの物を、共有しましょうということですよね。
自分が感じている感情をシェアするのです。
「楽しい」「嬉しい」「寂しい」「悲しい」どれも感情ですが、これらの感情を言葉などで表現し、シェアするのです。
一人でも楽しいけれど、誰かとならさらに楽しかったり、一人では抱えきれない悲しみを、誰かが共有してくれたら和らいだり。
分かち合うことができれば、寂しくはありません。
分かち合えないと、寂しいのです。
簡単ですけれど、参考になりましたら幸いです!
ありがとうございました。
(完)