からかわれるという同じ出来事に対して傷つく人と、傷つかない人がいます。
起きている現象は一緒なのに違いがあるのはなぜなのでしょう?その鍵の一つが自己肯定感というものになってくるようです。
自己肯定感が強いと外から否定的な言葉がやってきても、自分の持っている自己肯定感で防御でき傷つかずに笑って許せる、流せることが増えるようです。
前回笑って許せるタイプの方とお話をしていると2つの特徴が見えてきます。
それは・・・・ 自己肯定感が高い と 自分の不完全さを許しているということを書きました。
それはなぜなのでしょう?
自己肯定感が高いと笑って許しやすくなる
自己肯定感が高いと笑って許しやすくなるのを逆に言うと自己否定的なものがあると笑って許せないことが多くなると言えます。
ちょっと例をあげて説明してみます。
ハゲていると人に「ハゲ」とからかうと傷つく感じがしますよね? 太っている人に「デブ」とからかうと傷つく感じがしますよね?
しかし、ハゲていると人に「ハゲ」とからかっても中には傷つかない人もいます。 「お前のほうを見ると太陽が反射してまぶしいわ」 「なにを!そんなことを言う奴は目がつぶれてしまえ。くらえ!つるピカフラッシュ」 とからかっても傷つかずにユーモアで返せる人っています。
太っていることをからかわれても「人生で今が一番マックスなんだよね。ハハハハハ(笑)」 と笑ってなんとも思わずに流せる人もいます。
起きている現象は一緒なのに違いがある。この違いってなんなのでしょう?
ハゲているということ、太っているということにコンプレックスを持っているとからかわれることに傷つきますが、コンプレックスに思っていない人は傷つかずにユーモアで返せたり、なんとも思わずに笑って流せたりするようです。
コンプレックスを持っている、つまり何か外観的に劣っているように思ってしまったり、良くないこと、恥ずかしいことのように否定的な感じ方を持っていると傷つくわけです。
それはからかってくる相手が外観的に劣っている、良くないこと、恥ずかしいことのよう言っていることに自分で同意してしまうからなんですね。
『相手が外観的に劣っている、良くないこと、恥ずかしいことのよう言っている。そして自分でも外観的に劣っている、良くないこと、恥ずかしいことのように思っている。 ということは、やはり劣っているように、良くないこと、恥ずかしいことなんだ』
というように感じて傷ついてしまうわけです。
(*説明するまでもないかもしれませんが、これは言われたほうの感じ方の問題なので、からかう方は悪くないと言っているわけではありません)
しかし自己肯定感を強く持っていて、それは外観的に劣っている、良くないこと、恥ずかしいことではない、私の人間としての価値が下がるようなことではないと思っていると、このからかう言葉に関して同意をしないので傷つくことを防御しやすくなるのです。
からかわれても自分はこれでいいんだと肯定できていると『別に悪いことじゃないからこれでいいじゃない。そんなことで私の価値はなんら変わらないよ』と感じることができて相手の言葉に笑って許せる、笑って流せるようになるわけですね。
違う例えも使って説明してみますね。
先ほどの例をちょっと違う言い方にしてみます。
先ほどのハゲていること、太っていることに否定的に思っていると・・・・という部分を、自分はとろい、自分はダメだという言葉に置き換えます。
自分は何をやってもとろくてダメな奴だと自分のことを否定的に思っている人がいるとします。
このことがコンプレックスになっているわけです。
そんな人に職場の同僚が「まだ仕事終わってないのかよ。とろいなぁ」とからかったとします。
すると、この自分でも気にしている自己否定感がある部分に刺激が加わるわけです。
『とろいなぁと相手から非難めいた感じで言われている。そして自分は何をやってもとろくてダメな奴だと思っている。やっぱり自分はダメなんだ』という心の動きがおこり、気持が沈んでしまうわけです。
しかし、自分はとろい、自分はダメだではなく『自分はすることが遅いところがあるけれど私の良いところは他にある。何事もまじめにコツコツするところが自分の良いところ。私なりに頑張っているからこれでいい』と自己肯定ができていたとしましょう。
すると、からかわれても自己肯定感が高いと、『遅くても良いじゃないか。焦ってミスをするよりも自分なりのペースで正確にできればいいじゃないか。自分なりに頑張っているからこれでいいんだ』というような感じ方ができ傷つくのを防御できやすいんですね。
傷つかず笑って許せる、流せる為には自分を肯定するということがどうやら鍵になるようですよ。