毎年バレンタインデーのころになると咲き始める、実家のしだれ梅。
「今年も咲いたよ」
実家に入ってくれている妹から、毎年写真が送られてきます。
私がこの梅の花が咲くのを心待ちにしていることを、妹はよく知っているからです。
まだ色の乏しい実家の庭に、春の訪れを一番に教えてくれるのが、このしだれ梅です。
長く垂れる枝に、たくさんの濃いピンクの花が競うように咲いて、満開になるとまるでふんわりふくらんだドレスのスカートみたい。
しだれ梅はとてもエレガントです。
しなやかな枝、やさしいピンクの花の色と、そして上品で優雅な香り。
私はこのしだれ梅が大好きでした。
満開になった梅の根元に潜り込んでは香りを吸い込み、枝越しに空を眺めるのが私のお気に入りでした。
ピンクのシャワーに包み込まれているようで、植物に癒されるというのはこういうことなんだと感じるほどでした。
リビングの窓越しに見るしだれ梅も、2階のベランダから見下ろすしだれ梅も、小さな鳥たちが集まってくるしだれ梅も、どれも全部私のお気に入りでした。
*
去年の秋のことです。妹から嬉しい報告がありました。
妹の長男、私にとって甥っ子夫婦に赤ちゃんが産まれるという知らせでした。
妹がおばあちゃんになる!
私は甥っ子が生まれることがわかったとき以上にドキドキして嬉しくて、気持ちがそわそわしていくのを感じていました。
「ジェンダーリビールケーキ」といって、お腹の赤ちゃんの性別をみんなに発表するために作られたケーキの動画も、妹に見せてもらいました。
カットされたケーキの中がブルーベリーだったら男の子、いちごだったら女の子。
ケーキの中は、ブルーベリーでした。
まえじまの家に新しい家族が増えることになって、早速実家の敷地内に甥っ子夫婦の家を建てる計画が持ち上がりました。
いくら住む家は別だとしても、同じ敷地内に親と祖父母もいるところに一緒に住むなんて、大変なんじゃないの?大丈夫?と気にかけていたところ、甥っ子本人からこの話が出たと言うのです。
家を離れて実家のことを妹家族に任せっきりにしている私からしたら、こんなにありがたいことはないと思いました。
四世代が一緒に住めるなんて。
昔からやさしくて責任感の強い甥でしたが、甥っ子夫婦には本当に頭の下がる思いです。
最初は素直に喜んでいたのですが、話が進んでいくうちにあることがわかってきました。
同じ敷地にもう一軒家を建てるのですから、庭の木を切らなければならないのです。
庭には、父と母がふたりで選んで植えた木がたくさんあります。
しだれ梅の他にも、豊後梅、南高梅、かぼす、柿など、実のなる木もあります。
私が林間学校でもらってきて種から育てた、ブナの木も。
でも、それを切らないと家は建たないのです。
生きている元気な木を切らないでほしい。
私は苦しくなりました。
パーキンソン病で今介護施設にいる父が、この家にいない間に木を切らないでほしい。
お願いだから、父が帰ってきてからにしてほしい。
そうも思いました。
病状から、父はもう家には帰って来れないことも頭ではわかってはいるんです。
私は悲しくて胸が締めつけられるようで、涙がとまりませんでした。
この涙のわけを思うと、この庭から私がもらってきたことがたくさんあったことに気がついたんです。
*
しだれ梅も、花が終わると実がなります。
毎年ゴールデンウィークには、ハシゴをかけて梅の実を収穫するのが恒例でした。
「今年は梅が60キロ取れたから、また密造酒(梅酒)を作って送るからね」
そう言って、私好みの甘くない梅酒を毎年漬けてくれた父。
実家に帰ると床下収納から古びた梅酒の瓶を取り出して、「ようこ、これ10年ものの梅酒、飲む?」とニヤニヤしながら言う父。
「お母さんはすぐ酔っちゃって飲めないから」と笑う父。
かぼすだって、出張先の大分でとても気に入った父が、わざわざ苗木を二本買って帰って庭に植えたもの。
私は毎年実家から送られてくるかぼすを、心待ちにしていました。
この庭から、私はこんなにもたくさんの喜びをもらっていたんです。
妹家族も、何度も話し合ったそうです。
移植するためには多額の費用がかかること。
移植しても、根付く可能性は低いということ。
幹にひびが入っているしだれ梅は、もう寿命が近いということ。
ケンカになったと言っていたくらい、木を切ることに葛藤があったことが伝わってきました。
木を切ることにゴーサインを出したのは、父でした。
貧しくて悔しい思いをして育った父は、広い庭に実のなる木をたくさん植えて収穫を楽しむことが夢だったのかもしれません。
家族でわいわい言いながらの収穫は、父にとって幸せの象徴だったのかもしれません。
父と母のおかげで、私は植物の持つすごい力、美しさ、豊かさを知ることができました。
植物を愛することを教えてもらいました。
ずっと大切に感じてきた木や花がなくなってしまうのはとても悲しいことです。
でも、新しい命もやってくるのです。
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私は、父の決断を尊敬しています。
まえじま家の庭は生まれ変わるのです。
私たち家族の思いも新たに。
きっと父はそう感じているのだと思うんです。
父は家長らしく、リーダーシップを取ってくれたんです。
今までたくさんのすばらしい経験をこの庭でできたこと、私は本当に幸せだと思っています。
父と母と、妹と、そして甥っ子夫婦と生まれてくる赤ちゃんに、大切なことを気づかせてくれてありがとうと、私は感謝しています。
きっと来年の今ごろは、また違う庭の景色になっていることでしょう。
偶然ネットで、しだれ梅の盆栽を見つけました。
50センチほどの背丈の、ピンク色のとてもかわいらしいしだれ梅です。
この子を、私の部屋に迎えれたいと考えています。