心のどこかにある「なにかに依存したい」という思い
こんばんは
神戸メンタルサービスの平です。
私たち人間は、それは多くのことをガマンしながら生きているといわれています。
すると、そのガマンの度合いだけ、「ビールぐらい飲ませろよ」、「この連休は家から一歩も出ずに、ゲーム三昧で過ごすぞ!」など、心のなぐさみを求めたりしがちです。
ふだん、自己犠牲ばかりしているので、ときにはわがままな自分になることで心のバランスをとろうとするのですね。
つまり、ガマンや犠牲をすることが多い人ほど、なにかに依存しやすいと言い換えることができます。そして、やがて、それがないと生きていけないような状況に陥ることもあるわけです。
心理学的に見る“依存”とは、自分一人で生きていけないとき、だれかを頼り、自分に不足しているところをそのだれかに満たしてもらわなければならないという状態をいいます。
極端な例では、生まれたばかりの赤ちゃんは自分では生きていけないので、親に依存します。
そして、面倒を見てもらうために、ものすごいかわいらしさというギフトを親に与えているといってもいいですね。
ところが、当然のことですが、大人になると、自分の力で生きていくこが求められるようになります。
そのころには、この子ども時代にもっていたものすごいかわいらしさは失われ、代わりに、エラそうに、まるで当然の権利であるかのごとく、依存を主張はじめたりします。
「高い金払ってるんだから、しっかりサービスしろよ!」
「だれの稼ぎで生きてると思ってるんだよ。うまいメシ、つくれよー!」
面倒を見てもらう立場でこんなことを言うわけで、相手の人にしてみればウンザリしてしまいますよね。
“自尊感情”というのですが、私たち人間には「だれかの役に立ちたい」、「だれかの喜びでいたい」という思いがあります。
それは潤滑油のようになって、対人関係をスムーズにする大事な感情だといわれます。
しかしながら、私たちはストレスが多いときほど、人に感謝したり、相手を自分にとってのよろこびの存在として扱ったりすることを忘れてしまいがちです。
まわりの人を奴隷のように扱った結果、人々があなたのもとから人が去っていくなど、大事ななにかを失うこともあるようです。
そして、そんなとき、人間はアルコール、ゲーム、ギャンブルなどの物質的なものに依存していくようなのです。
「人はおれから離れていく。おれ様を裏切る。でも、アルコールはけっしておれを裏切らない。おまえぐらいだよ、いつもおれをいい気分にさせてくれるのは‥‥」というかんじです。
一方で、人がアルコール、ゲーム、ギャンブルなどへの依存を手放すきっかけになるのも人との関係であることが多いようです。
たとえば、結婚し、大事な人ができると、体や生活リズムに気をつかうようになったりしますよね。それによって、飲みにいく回数が減ったり、ギャンブルと手を切ったり、タバコをやめたりする人も多いわけです。
人間なら多かれ少なかれ、心のどこかに「なにかに依存したい」という思いがあるものです。
その依存の状況は、だれかから愛を奪おうとしているうちは消えませんが、その人にとって大事なもの、愛するモノが増えていくと消えていくようです。
あなたがいろいろな人やものを愛するよろこびを手に入れた度合いだけ、依存したいという思いは減っていくわけです。
来週の恋愛心理学もお楽しみに!!