心を遣う子育て

娘「ママ―、見てーーー」
私「今、ご飯作ってるから無理ー」
娘「なんでよー、見てよー」

私には娘がいますが、娘が小学生低学年頃によくそんなやり取りをしていました。
娘は宿題をするときはママが何をしていても ”宿題をしている私” の横に来てくれて「えらいね、がんばっているね」といって欲しかったのです。

子どもは親の”心”を欲しがっている

子どもが欲しいものってなんでしょう?
ありきたりな答えなんですけど、それは愛情です。
漠然と愛情といっても、いろんな愛の形がありますよね。
お父さんやお母さんが外で働いてお金を稼いでくるのも愛情だし、参観日や運動会を観に行くのも愛情だし、ご飯をつくったり掃除や洗濯をするのも愛情です。

そういえば、私の母親は運動会の時は仕事の都合もあって、お昼からしか観に来れなかったんですね。
なので、みんなのお父さんやお母さんが朝からお弁当などの大荷物を持って続々詰めかけているのを見るととても不安でした。

「私のお母さん、ホントに来るかな…」
午前中は不安と戦いつつ、お昼休みに入って母親の顔を見つけるととても安心した記憶があります。

 

子どもの心の土台

子どもは親とのつながりを感じて、安定した確かな心の土台をつくっていきます。
この土台を育むのが親の愛情、心なのですね。

けれど多くの親御さんは、子どもに必要な能力やスキルを身に付けさせてあげなければとそっちの方が気になることも多いのではないでしょうか。
私もあれやこれやと習わせた方がいいかなと考えた時期もありますし、実際に子どもに幾つかの習い事をさせていたこともあります。

もちろん社会に出たときに必要な能力やスキルは大事です。
けれどその前に、親が子どもとの関係にどれくらい心を割くかの方が大切なのです。

なぜなら親との関係で安定した心の土台を持つ子どもは、自分を肯定する自己肯定感や生きてゆく上で必要な能力やスキル、円満な人間関係を手に入れやすいからです。

 

高価なものを欲しがる子ども

娘が保育園に通っていたころ「お誕生日は何が欲しい?」と聞くと「お箸箱!」「たまごっち!」など可愛らしい答えが返ってきたものです。
それが小学校低学年、高学年、中学生と年齢が上がるにつれて高価なブランド物の洋服やバッグを欲しがるようになったのです。

私は娘が小学校3年生のときに離婚しています。
その頃の私は離婚問題でかなり疲弊していました。
心に余裕がなく娘のことをちゃんと見てあげられていなかったと思います。

「ママ、見て—」

宿題をする娘にそう呼びかけられて、ご飯を作っていなくても「今、無理ー」と答えていたかもしれません。
「離婚したダメな母親」
「子どもに父親を失わせてしまった母親」
そう自分を責めることに忙しくて、子どもをちゃんと愛せない。
そのことがまた私の罪悪感になって、自分でも気づかないうちにその悪循環にどっぷり浸かっていました。

そうすると「娘をちゃんと見れていない」という罪悪感を帳消しにするために、安易に物を買い与えるようになっていたのです。
「これをあげるから許してね」と申し訳ない気持ちを穴埋めするために、いつもなら買わないおやつをたくさん買ったり、文房具やオモチャなど欲しいものはなるべく買っていました。
さらに、元夫は元夫で中学生の娘に高価な洋服やバッグを買い与えていました。
やはりこれも補償行為からです。

「娘はコレが好きだから買ってあげよう」そんな気持ちから買ってあげるのと「申し訳ないからせめてこれくらいは買ってあげよう」では、心の遣い方が違います。
前者は愛情から、後者は罪悪感からです。

愛情からプレゼントすると、プレゼントを受け取った相手はどんな顔をするだろうとこちらもウキウキワクワク楽しいし気持ちになります。
けれど後者の罪悪感による補償行為は、ベースが「ごめんなさい」なので相手が受け取ってくれたことに少しは安堵するかもしれませんが、相手の顔色は伺いながら許してくれるかな?という不安は残ったままです。

そして、子どもは親の感情に敏感。
罪悪感からの補償行為で物を買い与えられていた娘の要求はエスカレートしてきます。

「私をちゃんと見てくれないなら、これくらい買ってよね」
「私に心を遣ってくれないなら、それくらいしてくれて当然よね」
「さあ、これはどうよ?」

娘は娘で愛情からのプレゼントではないので心が満たされず、まるで試すかのように、心の穴を物で埋めるかのように要求がエスカレートしていたのです。

 

親が満たされることの大切さ

安全で愛のある目で見守られて安心だと、子どもが感じられるようにするには親自身の心が満たされて余裕がないと難しくなってしまいます。
なので、お父さんお母さん自身がちゃんと自分を休ませたり楽しませたりすることはとても大切なことなのです。
自分自身に休むことや楽しむことを許せないと心は枯渇する一方ですから、子どもに心を遣えなくなってしまいます。
それに、自分自身に許せないものは人にも許せなくなるのです。

私は心理学を学んでから自分が「〇〇するべき」「〇〇してはいけない」という観念にがんじがらめだったのだと気づきました。
学べば学ぶほど、それまでの価値観がガラガラと崩れていったのです。

そして自分自身に休んだり楽しんだり喜びを許しているうちに、いつの間にか娘ともそれを共有するようになっていました。
心を遣って寄り添える時間が増えていったのです。

今では娘と、宿題を見て欲しかったことや高価なものを要求していた頃のことを笑いながら話したりしますが、私はしみじみした気持ちと感謝が入り混じったような気持ちになります。

上手に完璧でなくとも、なるべくお子さんに心を遣いましょう。
その前に、ご自身をたっぷり労わってくださいね。

あなたの子育てを応援しています。

来週は、朝陽みきカウンセラーがお送りいたします。
どうぞ、お楽しみに♪

[子育て応援]赤ちゃんの頃から、思春期の子、そしてそんな子どもたちに関わる親とのお話を6名の個性豊かな女性カウンセラーが、毎週金曜日にお届けしています。
この記事を書いたカウンセラー

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恋愛や夫婦、浮気、離婚などのパートナーシップから対人関係、子育て、また、死や自己受容のテーマなど幅広いジャンルを得意とする。 女性的で包容力があり、安心して頼れる姉貴的な存在。クライアントからは「話しをすると元気になる」「いつも安心させてくれる」などの絶大なる支持を得ている。