話ができる友達の存在に気づいた日。

いつもありがとうございます。
心理カウンセラーの新城謙吾です。

ちいさな成功の積み重ねをしましょう、と聞いたことはないでしょうか。
私たちは、理想の自分を追い求めるあまり、その理想とは違う現実にヤキモキし続けていることが多いようです。
でも、ちょっと視点を変えると小さな成功、小さな幸せは周りでたくさん起きているようです。

今回は、吃音(言葉の発音がうまくできない)を抱える我が家の長男が抱えていた悩みと、私たち親との会話から気づいたお話を書かせていただきました。
よろしければお付き合いくださいませ。

【みんな僕の話を聞いてくれない】

現在高校生の長男。
先日の夕食の時に、長男が私たちに不満をこぼしました。
「・・・学校でみんな僕の話を聞いてくれないんだ」
「話すとスン(無表情)となったり話題が変えられてしまう」

長男は吃音という特性を持っています。

吃音には「あ、あ、ありがとう」とつまづくようになったり、「あーりがとう」、と伸びてしまったり、長男のように「・・・・ぁりがとう」、と、なかなか声が出ない等が見られるようです。

なかなか最初の声が出ないし、親の私たちも非常に聞き取りづらいほど、声を出して話すことが難しいため、話を最後まで聞いてもらえないことが非常に多いそうなのですね。
そして、聞き手は答えを急いでしまうので、最後まで聞かずに「あーー○○ってことね」と決めつけてしまったり、聞いていられなくて離れてしまう人も多くいます。

上記のことを言うだけでも分単位の時間と、全身に力が入ります。
聞いていて非常にもどかしいし、私たちも力が入ってしまいます。

文章は問題なく読み書きができるので、時にスマホのテキストを併用しながら話を聞いた事をまとめると、
「僕が話すと、みんなスン(無表情)となってしまう」
「話し始めると途中で話を切られてしまう」
「話ができない僕をみんな嫌っているのではないか」
「問題なく話ができれば、みんなと仲良くできるのではないか」

このときの長男にとって成功や幸せは、上手く話せないことで皆と上手く関われないから、、
誰とでも問題なく話ができることが皆とつながる方法だと思ったようなのです。

【小さな成功に気づく】

長男の性格は、穏やかで温厚。
人見知りをしないので友達のお母さんに平気で話しかけるし、友達が来たらニコニコ迎え入れる、受け入れ上手さん。
幼少期から吃音はありましたが自然と誰かがそばにいる子でした。
幼いときは言葉よりも態度や行動、感覚でつながり合えていたのでしょう。

でも中学、高校と成長すると言葉はとても大事なツールになります。
本来、とても人と関わり合うことが好きな長男だからこそ、言葉が上手く話せないのはヤキモキしてしまうものでしょうね。

長男に聞きました。
『全く話する子、いないの?』と聞くと、
「みんな話を聞いてくれない」というので、
『話しかけてくる子はいないの?』と聞くと、
「いる」といいます。
その子とは二言、三言で会話が成立するようです。
なんとなくフィーリングが合う。そういう仲です。
あらためて聞き方を変えて、
『それなら、あなたから話しかけて答えてくれる子は?』
「・・・いなくはない」

よかった、いるんだ。
話できてるんだ。

長男がこれまで話してきた世界は、
「みんなと話せないから、自分は嫌われている」
「だから僕には話せる友達はいない」
という思い込みの世界でした。

みんなと仲良くなるためには、何不自由なく話せる事が必要なんだ。

でも、それは吃音がなかったとしてもちょっと難しいと思いませんか?

視線を変えてみれば、長男に何気なく話しかける子がいて、長男から話しかけて受け答えしてくれる子もいるのですよね。

『あなたとちゃんと話をしてくれる子、いるじゃない』

それを聞いた長男は、何か気づいたようで目をぱちくりさせていました。

思い描いていた理想の姿ではないけど、何人かの子は長男へ関心を向けているし、話を聞いてくれていた子もいる。
自分に話しかけてくれる子、関心を持ってくれる子は、自分が思っていた以上にいるのだと。

【道ばたの小さな花を眺めるように】

まだまだ遠くに描く理想の自分は、誰にでもあるとおもうのですよね。
たとえば、遠くに理想の大きな木があって、そこに向かいたいと思ったとします。
そのとき、筒(サランラップの芯のような)から覗いてみた世界しか見えていないとします。
理想の木までは、狭い狭いトンネルを越えた先の遠くて小さい世界に見えるかもしれません。

でも、その筒を顔から離した瞬間、世界は広がります。

道ばたには小さな花が咲いているかもしれません。
花にはテントウムシがとまっているかもしれません。
それらの小さな命に幸せを感じるかもしれないし、理想の木以外にも、素敵な木があるかもしれません。
目指していた木ではないかもしれないけど、その木から幸せを感じられたら、一つの理想を見つけたことにもなりますね。

+

長男の吃音の悩みは、おそらく一生続くでしょう。
それでも彼自身が自分から周りとの関係を切らない限り、小さな幸せ、小さな成功を感じ取っていくことができると思うのです。

私たち親ができるのは、周りと関わりたいと思う意欲の芽を摘まないことかと思っています。
まもなく成人する長男がいまだ隠すことなく見せる悩み、愚痴もまた、私たちの日常にある、小さな花の一つだと思うのです。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

自身の生きることの辛さ、日常の悩みを乗り越えてきた経験から、心の束縛感や生き苦しさ、恋愛、夫婦関係の問題解決を得意とする。 ご相談内容を心理分析しながらお客様と共に考えていくことで、気付けなかった本当の気持ちを洗い出し、アンバランスになった心の整理整頓を行う。