自分の幸せを二の次にしている人が、セカンドポジションになる
◆「私は選ばれない」という思い込みがありませんか?
誰かの本命ではなく2番目。セカンドポジションになる人に、エレクトラコンプレックスの敗者のパターンをもつ人がいます。
エレクトラコンプレックスとは、幼い頃にお父さんの愛情を巡って、お母さんと自分のどちらが愛されるのかという心理的争奪戦があり、それに勝てばエレクトラの勝者となり、負ければエレクトラの敗者となります。
セカンドポジションになりやすい人のなかに、この争奪戦に負けたエレクトラの敗者のパターンをもつ人がいます。(※必ずしもそうだというわけではありません。)
負けたということは、「自分は愛されない。選ばれないのだ」という思い込みをもちやすくなります。その思い込みが心のどこかに残っていると、無意識的にセカンドポジションを選んでしまうことがあるようです。
妻や彼女がいるという、わかりやすいセカンドポジションばかりではありません。たとえば、彼がいつも仕事優先でなかなか会ってくれない、マザコンでお母さんの意見ばかりを大切にする、趣味のほうに夢中になってこっちを向いてくれないなど。いつも自分と彼の間に「障害」「邪魔」「距離」「壁」などがあるのです。
「どうせ自分のものにはならない」と半分諦めながら好きになっているような感覚です。いつも片思い、遠くから見ているだけ、独り占めできない、遠距離恋愛ばかりというパターンで出てくることもあります。
◆「私たちは選ばれない」という母子癒着のケースもある
また、これは日本にとても多いケースとして、エレクトラの敗者の変形パターンがあります。どういうことかといいますと、エレクトラコンプレックスは、本来であれば「勝者」と「敗者」が存在しますが、「両者とも負け」というパターンがあるのです。
両者とも負けパターンはいわゆる「母子癒着」のことをいいます。たとえば、お父さんが仕事で家にいない、家庭に無関心である、単身赴任でまるで母子家庭のようだというような場合は、妻も娘もどちらもお父さんの愛を獲得していないのです。これはお父さんにとっての本命が仕事になっており、妻と娘の間に争奪戦が起こらないので、両者とも負けになるのです。
すると「私たちは選ばれない」となりますから、選ばれなかった者同士で癒着するのです。もちろんさみしさを紛らわすために。これはとても日本的なパターンで、お母さんもお父さんの愛情を手に入れていないから、私も手にいれるわけにはいかないと、お母さんの悲しみに寄り添りそうために癒着するのです。すると、娘にとってお母さんは本命のようになりますから、自分の恋愛が二の次になるのです。
◆自分が負けることで誰かを幸せにしている
セカンドポジションになる人の多くに敗者のパターンがあるのは、その原型に「お父さんに愛されなかった」という悲しみが潜んでいることが多いようです。
エレクトラの敗者パターンのもつ人の多くに、「3人が苦手」という人が少なくありません。人が3人集まると社会ができるといいますが、2人だと1対1になりますが、3人になると2対1になる可能性が出てきます。
敗者パターンをもつ人は、「私は選ばれない」「いつも2番目」という感情が刺激されますから、3人でいることを居心地悪く思うことがあるようです。もちろんここに過去の「三角関係の古傷(父・母・自分)」が投影されているとは、なかなか気がつかないでしょう。
3人になると、自ら身を引く、相手に譲る、注目されないようにする、といった行動が多くなるのです。「どうせ選ばれない」と思うから。そして、恋愛だけではなく対人関係でもセカンドポジションに甘んじるという…。
しかし、その深層心理を辿っていくと、そうなってしまうにはちゃんとワケがあります。「仲の良いパパとママが見たかった。ただそれだけを願っていた。」という子供心の愛があるのです。
「自分が負けることで、誰かを幸せにする。」「自分が貰わなければ、誰かが貰うことができる。」「自分が選ばれてしまうと、他の誰かが泣く。」心のどこかにそんな思いがあるのです。だからこそ譲ってしまうし、受け取ることができなくて、自分の分まで誰かにあげてしまうのです。
私はそんな心やさしき人に、アファメーションを作ってプレゼントすることがあります。
「私は愛し愛される関係性を選びます。ようやく私が幸せになる順番がやってきました。」
何度もこれを繰り返して言ってもらうのですが、最初は心がザワザワして言いにくいのですが、それでも繰り返していくと涙が出てくることも…。
自分の幸せを二の次にしてしまう人がセカンドポジションになるのですから、「そろそろ自分を幸せにしてあげよう。次は私が幸せになる番だ」という勇気が必要なのです。
この記事は「自分を幸せにする勇気」を届けたくて書いています。必要な人のもとに届きますように。
(完)