日本人は「人に迷惑をかけない」を美徳とする文化の中で育ち、つい厚意を遠慮してしまう傾向があります。しかし、人の厚意を素直に受け取ることで、思いがけない喜びや可能性が生まれることもあります。
不登校児のクラス編成と後悔
「たぶんうちの子が学校の門をくぐることはもうないと思うので、クラス編成の配慮は大丈夫です」
去年の夏から不登校を始めた子ども。今年の3月、担任の先生から厚意の手が差し伸べられました。
「お願いのすべては叶えることはできませんが、クラス替えについて何かご意見などありませんか?」
・自分を責めていると、厚意を受け取れない
その当時の私は、親としてふがいない自分を責めていました。
「子どもに対して期待しては、失望してしまう」
そうやって、私は子どもを責めてしまうことを繰り返していたのです。自己嫌悪の中、私は子どもに再登校を期待してしまう自分が苦しくて、元担任の先生の提案を断ってしまいました。自分を責めるのに忙しくて、私は先生の厚意を受け取れなかったのだと思います。
奇跡の再登校
ところが今年度に入り、子どもの担任の先生が替わりました。その先生は、もともと子どもの部活の顧問の先生で、子どもが信頼し、大好きだと慕っている方です。
新しい担任の先生を知って、子どもは学校に行く気になりました。新しい担任の先生も大変気にかけて下さり、相談室登校ではありますが、毎日通うようになったのです。子どもの表情もだいぶ明るくなり、家でもよく話すようになりました。先生も不登校支援に力を入れている方で、先生も大変うれしいとお話しくださり、私も本当にほっとしました奇跡の再登校となったのです。
・親が自分を責めていると、こどもも自分を責めかねない
さて、そんな5月。修学旅行の申し込みギリギリのタイミングを迎えました。先生から「修学旅行どうする?」と聞かれた子どもが「クラスに友達がいるなら、行きたかった」と答えたのです。
その言葉を知ったとき、私は後悔の念に襲われました。3月の段階で、クラス編成で子どもの親友の名前を挙げていたら、子どもは修学旅行に行けていたかもしれない。なぜ、あの時、私は元担任の先生の厚意を素直に受け取らなかったのか。
「私、なんで遠慮しちゃったんだろう」
後悔が押し寄せます。
しかし、親が子育ての後悔をしているのは、子どもにとってもつらいものです。親は自分の選択を責めているだけですが、子どもは
「自分のせいで、親を苦しめているのかもしれない」
と、誤解しかねません。
後悔よりも、学びを受け取る
後悔して自分を責めるよりも大切なことがあります。それは、学びを受け取ることです。起こった出来事を使って自分を責めるのではなく、そこで必要なことを学び、次に活かすことが大切です。
・学んだこと
私でいえば、
「人の厚意は素直に受け取る」
「子どものことは私が勝手に判断せず、子どもに言葉で確認する」
「未来になにが起こるかわからない。奇跡だって起きる」
「こどもも、自分の人生をどうにか生きようと一生懸命尽くしている」
「すぐに諦めずに可能性は最大限に残しておく」
「不登校でも、再登校する可能性は大いにある」
「もっと人を信頼していい」
ということを学びました。
私は遠慮せず元担任の先生の厚意を素直に受け取り
「クラス編成、希望が叶うかどうかは先生にお任せして、こどもの親友の名前だけでも伝えればよかった」
のです。
人の厚意を受け取ることで、みんなが喜びあえる
同じように不登校で悩んでいる親御さんや、普段から遠慮がちで、人の厚意を受け取ることに抵抗を感じる方へ。
人の厚意をもっと信頼して受け取ってもいいのかもしれません。人の厚意を受け取ることは、人に迷惑をかけることではありません。むしろ喜びを生み出します。
反対に、厚意を遠慮することで相手に「私ではお役に立てなかったな」と申し訳ない気持ちにさせてしまうこともあります。相手の厚意を受け取らないことで、自分もお互いも喜びあう機会を少し減らしてしまったかもしれません。
人の厚意を受け取ることで、みんなが喜びあえることを私たちはもっと信頼してもいいのかもしれません。
・遠慮せず、厚意を受け取ることで新たな可能性を
人の厚意を素直に受け取ることは、不登校児のサポートだけではなく、さまざまな場面で有効なコミュニケーション方法です。
遠慮ばかりせず、厚意を受け取ることで、新たな可能性が開け、喜びを共有できる関係を築けるのだと思います。
みなさんの子育ての、なにかのお役に立てたら嬉しいです。
来週は、小川のりこカウンセラーです。
どうぞお楽しみに。