愛を伝えるということ

自分は愛されるにふさわしい。
自分は愛されるだけの価値がある人間だ。
それは、特に意識することなく、自然とこころに備わっていて、その感覚を元に日々過ごしていく。
人が活き活きと毎日生活する上で、この感覚は最強ですね。

自分は愛されている。だから私には何が起きても大丈夫、何とかなる、何とかする。

自分を信頼出来ているということ、自信にもつながるものです。
それは、子どもの頃から、何度そう思える体験ができたか…ということなんですよね。
今日はそんなお話です。

自己価値のお話

・自分は愛されているか

カウンセリングの現場では、自分が愛されているとは思えず「どうせ私なんて…。」と、自分をちっぽけに扱ってしまう方によく出会います。
そう思ってしまう方の多くが、甘えられたり、いっぱい褒められたり、そういう思い出がとても少ないようです。
一般的な見方は、子どもの頃の家族関係や親との関わりが影響するものなのですが、だからと言って、必ずしも親に原因があるわけではありません。
私たち人は、誤解してしまう生き物です。
特に子どもの頃は、まだ生活する上で最小限のことしか知りませんから、ありとあらゆる誤解をしてしまうんですよね。
私たちが子どもの頃に欲しかったもの。それは、

お父さんとお母さんに愛されたい。

これだけしかありません。
そして、この愛されるか愛されないかということは、彼らの恐怖でもありますよね。愛されないと一人になる。誰もいなくなるような感じの恐怖感。親の愛を得られないと安心して生きていけません。
それと同時に自分のためにいろいろとしてくれる親は、子どもにとっても無条件に大切な存在です。常に笑顔でいて欲しい、自分のそばで楽しそうにしていて欲しい。
だからそのために、時に頑張って子どもも努力します。
顔色を窺ってしまうこともあるだろうし、無理して手伝って逆に怒らせてしまうこともあるよね。上手に出来ないこともいっぱいあって、そういうことでも叱られちゃう。
そういう経験をしながらいろんなことを学ぶものなんだけど、その過程で、自分はここにいていいのか。愛されているのかということを少しずつ感じていくものなんですよね。

・出来なくても大丈夫という教え方

自己価値の低さ。それは自信のなさのことです。
自分に価値がないんだと思ってしまうと、自分を表現することも躊躇するだろうし、何事にも消極的になってしまいます。
子どもの頃は、こんな難しいことは分からないし知りません。
でも日々の生活の中で、
私は(ぼくは)ここにいていいのかな。
私は(ぼくは)お父さんお母さんの邪魔になっていないのかな。
私は(ぼくは)お父さんお母さんの迷惑になってないのかな。
こういった感覚は、自分がミスしてしまって叱られたり怒られたりする度合いだけ、出てきます。
でもこれも子どもだから当然ですよね。何も知らない子どもにとって、失敗の連続は学びの連続であって、上手く出来なくてミスが多くて当然だけど、やはり子ども自身から感じるのは、出来ないと、自分は全然ダメだ という感覚なんでしょうね。
だけど、

あなたは大人よりまだまだ小さくて、何をするにも大変だから失敗して当然なんだよ。
失敗は悪いことではないんだよ。

というのを、子ども自身がどれだけ知っているのでしょう。
ミスがたくさんで当たり前。
小さな手でコップ一つ持つのも、親と違って不安定。
親がさっと出来ることも、子どもの頭では親と同じように出来なくて当然で、
それが出来なくたって、失敗したって、繰り返していれば嫌でも出来るようになる。
そういうことを子どもは知っているのでしょうか。
書いている私も思います。
私は自分の息子に、

「始めたところだから、出来なくて当然なんだよ。」と。
「大丈夫。出来るようになるよ。」
って言ってあげたのでしょうか。

こういうことを伝えていくことも、彼らの自己価値を育てていくには大事なことなのかもしれません。

 

愛している、大好き、という言葉

・愛の言葉が人を育てる

昭和な私にとって、子どもの頃、愛しているとか、大好きとか、こういう言葉を自分がもらったことはほとんどないように思います。
それは時代の違いもあるでしょうね。
そもそも戦後の厳しい世の中で、厳しい生き方をせざるを得なかった両親ですから、子どもを受容し寄り添って生きることよりも、日々の糧を得ることと、生きるため一生懸命日々何事も“頑張る”ということが主だった世の中です。
大好きという言葉は親どころか、周りからもほとんど聞くことはありませんでした。
だけど今は思います。

愛の言葉というものが、人の自己価値を育てるんじゃないかと。

それは、愛してるとか大好きという気持ちはもちろんのこと、
あなたは笑顔が可愛いね。
頑張ったんだね。
こうしてくれたのがすごく嬉しいよ。
ありがとうね。

言われると誰もが嬉しい言葉です。
きっと今の若い人は、私のようながっつり昭和な人間よりも、それがずっと上手な気がします。
愛してるよ、大好きだよー、ありがとうねー。
私の周りでも、息子の友だちやママ友の間でも結構聞く言葉です。
だけどね。
近い関係だと、結構忘れがちなのが、この愛の言葉なんですよね。

・愛を言葉にする勇気

私も最初はすごく照れがありました。
心理学を学び、自分に向き合う過程において、それはようやく口に出来るようになったことです。特に息子でたくさん練習したような気がしますね。
息子はやんちゃで本当に元気で、はしゃいでモノを壊すこともよくありました。
そんな我が子にガミガミと説教してしまうこともあったけど、私なりにすごく勇気を出して言ってたんですよね。

「あなたは本当に調子に乗るとモノを壊したりひっくり返したりよくするよ。もう少し気を付けて行動しなさい。だけど・・・。それでもあなたが大好きでママの宝物だってことは一切変わらないからね。それも覚えててよ。」
「また失くしたん!? これで何回目!? 本当にいい加減にしなさい!
だけど…。ママはあなたにいっぱい怒っちゃうこともあるけれど、それでもあなたは大好きでママの宝物なの。怒ったからって大好きは無くならないよ。それは忘れたらあかんよ!」
ということを、毎回必死に意識して、伝えていたことを思い出します。
そんな息子は今、
「そんなに怒ったら俺も悲しいけどかーちゃんも大事な俺を傷つけたって傷つくで。」
などと生意気な子になりました。少なくとも昔の私よりもメンタルは強いと思います。

愛を伝える方も慣れないと難しいんですよね。
そう思うと私の両親も、私の前では言えなかったけど、心の中では結構いろいろ思っていてくれたんじゃないかなぁと今は思います。

 

今だからいっぱい伝えていく

私たちはみんな同じだと思うのですが、当たり前のように思っているとそれがすごいことだと気付かないものです。当たり前のように感じてしまうと、そこに感謝や愛情ってなかなか気づけなくなってしまいます。
だから意識しておいて欲しいと思います。
それは当たり前じゃないんだって。
すごいことなんだって。
親が子どもを愛することも当たり前じゃないと思う。愛があることはすごいと思います。
それは子どもだって同じ。ちいさな子どもが、親を大好きなのは当然かもしれないけど、その愛の大きさはすごく大きなものですよね。
旦那様のお給料が毎月振り込まれる。
それも何年も経つと当たり前のように感じて待ってしまうけど、それだってすごいことですもん。

私たちは近い存在の相手に対し、褒めたり感謝したり、愛を伝えることはなかなか出来なくなってしまうものです。あまりにも近くなりすぎて。
でも生まれたこと、そばにいつもいること、元気でいること、
それは当たり前のようですごいこと。とても大切なことですよね。

だから、愛しているよ。大好きだよ。ありがとうね。嬉しいよ。
そんな言葉は、近い距離の相手ほどたくさん伝えて欲しい。
特に何も知らないまだいろいろ上手に出来ない子どもにとって、これらの言葉は何よりのご褒美です。ことあるごとに恥ずかしがらず勇気を出して言い続けて欲しいと思います。
それが子どもが成長していく過程において、自分は大丈夫なんだ、というしっかりした自己価値を育て上げ、自分は出来るんだという自尊心を持てるのではないかと私は思っています。

このお話が、子育て中の親御さんにとって少しでも日々の何かにお役に立てれば幸いです。

 

次週は、高塚早苗カウンセラーです。
どうぞお楽しみに。

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この記事を書いたカウンセラー

About Author

アルコール依存症の父からの虐待経験、学生時代のいじめから、恋愛依存、不倫や風俗を経て、自分を抑え付けるような結婚生活後、8年で離婚。その後自分に向き合い、今は穏やかに生きる。 過去のあらゆる経験をもとにして、恋愛関係、家族関係を得意とし、お客様と共に成長するスタイルを取る。