「人に何かしてもらうこと」をどう感じますか?
あなたは人に何かをしてもらったとき「ありがとう!」と言うことが多い人でしょうか。
それとも「すみません」と言うことが多い人でしょうか。
何かをしてもらったとき、それをどのように感じるかによって出てくる言葉が変わってきます。
どちらが良い悪いということはないのですが「すみません」という言葉が出るとき、心の中には感謝よりもなぜか心地悪さがある場合も多いのです。
そして心地悪さを感じているとき、その行動に込められた相手の思いを受け取れていないことがあったりします。
自立的な人が感じやすい「受け取ることへの抵抗感」
実は私は、誰かが好意からしてくれることに対して、な〜んか心地悪さを感じる人でした。
(これは心理学を学ぶようになってから気づいたことでしたが)
もちろん誰かが私のために何かをしてくれることはありがたいのです。
ですが同時に「貸しを作ってしまった…!」とでもいうような、自分への不足感がセットになっていました。
(実際はまったくそんなことないのですが笑)
これは自立的な人が持ちやすい心理で、自分が「してあげる」ことは得意だけど、人に「してもらう」ことがとにかく苦手なんですね。
人に何かしてもらうときって自分が依存の立場になるため、自立心の強い人は抵抗感が出ることも多いのです。
そしてこの心理状態があまりに強いことで対人関係、とくに心の距離が近いパートナーシップで問題が起きることがあります。
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たとえば、我が家は共働きで家事を分担制にしています。
ですが仕事が忙しいと、つい家事が後回しになってしまいます。
私がバタバタしてる間に、夫がシンクに溜まったお皿を洗ってくれたことがありました。
こんなとき、シンプルに考えれば「わ〜、ありがとう♡」だと思うのですが、素直に感謝できない私がいたりします。
なぜかというと、先ほどの「貸しを作ってしまった!」という意識です。
しかもシンクにお皿を溜めている私の心には「やるべき家事もできてないダメな自分」という焦りや罪悪感も。
(私は自立心に加えて罪悪感もとても強いのです……)
この貸しの意識と罪悪感は心の中で夫に映し出され「夫はきっと“皿くらい早く洗えよ”って呆れてる!」という勝手な思い込みにつながります。
そして「あー、もう!私が洗うまで待っててくれていいのに!」と、まるで夫を責めるような感情が出てきます。
(さすがに今の私は「はっ!違う、ここは感謝だ!」と思い直すのですが、昔はそのまま声に出して言ってました……)
これ、夫の「妻が大変そうだから助けよう」という気持ちを、まったく受け取れていないですよね。
私が同じことをしてこんなこと言われたら「喜んで欲しいだけなのに、なんで?」と思います。
このお話は日常生活のひとつの出来事です。
けれど「自分の愛や優しさを受け取ってもらえない」ということが何度も続くと、パートナーはどう感じるでしょうか?
自分の愛がなんだか伝わらない、相手に喜んで欲しいという思いを受け取ってもらえない。
このチリツモって、まるで自分の愛に意味がないような、ものすごく寂しい気持ちにならないでしょうか。
受け取ることは「自分の価値を思い知ること」
それでは、この「受け取る」というのは、具体的にはどんなことなのでしょうか。
「ありがとう」は、もちろん感謝を表す受け取りの言葉です。
ですが、感謝にも実は2種類あると私は考えているんです。
1つめは
・自分を価値のないものだと思う前提での感謝
こんな自分に時間やエネルギーを使わせたのだから感謝しなければ……といったもの
2つめは
・自分を価値あるものだと思う前提での感謝
私を大切に思って時間やエネルギーをかけてくれて嬉しい!といったもの
1つめの感謝では「相手が見てくれている自分の価値、大切に思う気持ち」までは受け取れません。
相手の気持ちを受け取るとことは「感謝しなければ」と謙虚になることとは少し違います。
「どれだけ相手に大切に思われているかを思い知る」ということなんですね。
相手はあなたが大切で価値があると思っているから、何かをしてあげたい・与えたいと思うわけですから。
心地よい人間関係の多くは、お互いに愛や優しさを与える・受け取る、という循環で生まれます。
心の距離が近いパートナーシップならなおさらのこと。
受け取ることが下手だった(今でも得意ではありませんが……)私だからこそ、受け取ることの大切さについて、声を大にしてお伝えしたいのです。
実はお皿の話など比べ物にならないほど、夫とは盛大な拗らせや泥沼がありました。
けれどいつも問題改善の鍵は、私が夫の気持ちを受け取ることでした。
相手のことを1番に考えて愛せる優しい人ほど、受け取ることが苦手だったりもします。
ぜひ、少しのお時間でも「受け取ること」に思いを巡らせていただけたら嬉しいです。