怒りの下の感情は?

それが愛であるならば、私たちはけっして傷つかず、腹が立つこともないのです。

こんばんは

神戸メンタルサービスの平です。

先日のある月曜日のこと、私は外出先から夕方6時過ぎに自宅に帰りました。

毎週月曜日は当社の定休日であり、ふだんは帰宅が遅くなる私も家族(といっても、いまは私と奥さまの二人だけなのですが)と一緒に夕食をとります。

この日はたまたま当社のカウンセラー約80人への報酬の支払日で、経理担当の奥さまは朝から銀行に行ったりと大忙しだったため、私が帰ったときにはお昼寝中でありました。

このような状況のとき、わが家での夕食のとり方は3パターンあります。

パターン1:奥さまが疲れているので、外食をする。
パターン2:奥さまに外食をする気力もないときは、私がなにか買ってきて、家で食べる。
パターン3:奥さまがお昼寝によって気力・体力が回復できた場合は、時間が多少遅くなってもなにか作ってもらって家で食べる。

私が帰ってきたことに気づいた奥さまは、寝ぼけまなこで「おかえり」と言ってくれたので、「夕食、どうする?」と聞いてみました。

すると、奥さまは「なんか作る」と答え、ふたたび寝てしまったのです。

さて、その時点ですでにおなかが空いていた私でしたが、奥さまが疲れていることはわかっていたので、時計の針がギリギリがまんできる7時半を指すまでは、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍んで待っていたのであります。

そして、いまから作っても、食べられるのは8時半を過ぎるであろうなぁと思ったころに起こしてみたところ、奥さまはこう言ったのです。

「え、食べてきたんじゃないの? 私の分は私が作ると言ったつもりだったんだけど‥‥」

待ちに待ったところにこんな無下なことを言われたら、大喧嘩が始まってもおかしくはないですよね。

「愛するきみのことを私がこれだけ気遣っていたにもかかわらず、きみは自分のことしか考えていなかったのか!」

「あまりにもひもじいので冷蔵庫の中をゴソゴソしたところ、甘栗の袋を見つけたので、血糖値が上がる心配があるのに完食してしまったではないか!」

などなど、すべてを奥さまのせいにし、大暴れしたかもしれないのです。

心理学を学ぶ前の私であれば、きっとそうなっていたことでしょう。

私たち人間は、自分がしているような愛し方を、相手にもするようにと押しつけるような傾向があります。

「おれががまんしているように、おまえもがまんしろ。おれが犠牲しているように、おまえも犠牲しろ。それ愛というものではないか!」というかんじでしょうか。

しかし、私の心理学の師匠であるチャック・スペザーノ博士はこんな身も蓋もないタイトルの本を出していらっしゃいます。

『傷つくならば、それは「愛」ではない』

それが愛であるならば、私たちはけっして傷つかず、腹が立つこともないというのがこの本の教えです。

しかし、もし、あなたがパートナーシップで怒りを感じたり、傷ついたりすることがあるのだとしたら、それは“ニーズ”のなせる業だといいます。

つまり、愛ではなく、相手になにかしてもらいたいという思いがあるから、それが叶わなかったときに怒りや傷心などの感情が生じてくるというわけです。

今回のわが家のケースでも、「晩ごはんを作ってくれない」という思いが怒りの原因になりかねませんでした。

さらにこういうときは、「自分もなんらかやるべきことがあるのに、やっていないからこうなる」という隠れた罪悪感も潜んでいることが多いといわれます。

そして、この場面で、奥さまを攻撃したり、文句を言ったりしたら、奥さまはそのダンナさまに対し、愛を感じるでしょうか? 感じませんよね。

攻撃したいという欲求をもつということは、愛し愛されたり、素晴らしい関係を築こうとしたりするのとは反対の、ひどい関係を自らに与えることを意味します。

すなわち、パートナーシップにおいて、自分で自分に最悪の罰を与えるということです。

私たちの怒りの下には、いろいろな感情が眠っています。

その隠れた感情を見つけ、処理をするのに、怒りという感情はなにかと役に立つことがあるのです。

 

来週の恋愛心理学もお楽しみに!!

この記事を書いたカウンセラー

About Author

神戸メンタルサービス/カウンセリングサービス代表。 恋愛、ビジネス、家族、人生で起こるありとあらゆる問題に心理学を応用し問題を解決に導く。年間60回以上のグループ・セラピーと、約4万件の個人カウンセリングを行う実践派。 100名規模のグループワークをリードできる数少ない日本人のセラピストの1人。