溢れんばかりの愛を注ぎ、幸せを願ってくれる存在

こんにちは。
カウンセリングサービスの青山リナです。

私たちって、自分が思っている以上に、頑張っていますよね。

自分のこととして、自分が頑張っている、って言うことは、いろんな抵抗を感じたり、まだまだだ、って思ったりで、なかなか認めることって難しかったりするんだけど、不思議と自分以外の人のことなら、この人スゴイ!この人頑張ってる!って、認められたりするんですよね。

私の祖母、今はもう亡くなっているんですけどね、祖母はとっても可愛らしい人で、私の知っている祖母の姿は、とても働き者だったのです。

祖父母は、農家を営んでいたので、真夏の暑い日も、真冬の寒い日も、畑に行って、野菜のお世話をして、収穫して、市場へ運んで、なんて毎日を来る日も来る日も繰り返していました。

祖母は子どもの頃、学芸会のような舞台に上がる機会があったらしいのですが、祖母曰く、1人で舞台に上がる晴れ舞台だったそうです。でも、舞台に上がったら泣きだしてしまったらしいのですね。

「おめてまった。。。」
(※名古屋弁で、怖じ気づく、気後れする、というような意味です。)

って、よく言っていました。
その言い方や、その時の表情が、今でも思い出されます。

どうやらとても、気の弱い女の子だったようです。

そんな祖母が、祖母の時代を生きてくるって、本当に大変だったのではないかな、と、今の私は思うんですよね。

まだ祖父母が若い頃は、農業も、畑ではなくて、牛や鶏などの酪農をしていたようで、牛が逃げ出して追いかけて連れ戻す、なんてこともあったようです。

私だったら、とんでもない、絶対そんなことできないな、そもそもやりたくない、って思ってしまう。

もちろん、時代も違うし、環境も、生活スタイルも、生き方も違いますけどね、大人になって、こうして祖母を思い出すと、気の弱い女の子どころか、メチャメチャ強い人だって思うんですね。

そんな祖母が、私が大人になって、地元を離れていた時、よく手紙を書いてくれていたんですね。

祖母の日常で起こったこと、私が元気でやっているかということ、そして、いつも書いてあったのが

「リナちゃんはエライね。すごいね。おばあちゃんにはできないことを、たくさん頑張ってるね。おばあちゃんは、リナちゃんが本当にすごいと思います。おばあちゃんは応援しているからね。」

こんな手紙を送ってくれる祖母は、ひらがなとカタカナ交じりのちょっといびつな文字で、漢字は殆どない、ちょっと読みづらい手紙を一生懸命書いて送ってくれていたのです。

当時は、もちろん嬉しかったけれど、そんなに珍しいことでも無かったので、どこか当たり前、という感覚になっていた私がいました。

今、もう亡くなっている祖母のことを思い返すと、両手になんて抱えきれないほどの、溢れて溢れて溢れ出る愛が注がれていたんだな、と、今更ながら感じるんです。

そんな祖母にも、当時の私は不満もあったし、どこか迷惑に感じることもあったし、嫌な態度をとったこともあったし、いい思い出ばかりじゃないはずなんです。

祖母に悪いことをしたな、と思う出来事も私の中にはあります。

それでも、既に今は亡くなっている祖母。

もしも、天国、なんて場所があって、祖母がそこから私を見ているのだとしたならば、祖母は私に何を望み、何を願うのか。

あんなに愛を注いでくれた祖母です。きっと私の幸せを願っていてくれるに違いありません。

祖母に悪いことをしたな、と後悔する私、祖母に不満を抱えていた私は、それはそれで反省する必要はあるでしょう。

しかし、祖母は私がずっと悔んでいたり、なんであの時…と、ずっと後悔し続けていることを望んでいるでしょうか。

きっとあの祖母は、そんなことを望むわけないんです。
きっとあの祖母なら、こんなことを言うんじゃないかな、と思うのです。

「もういいよ、そんなこと。おばあちゃんはそんなこと、もう怒って無いよ。だからあなたも、そんなことをずっと気にして落ち込んだり、嫌な気持ちになるよりも、あなたがもっと楽しく嬉しく幸せでいることを考えなさい。あなたが笑顔でいられることを考えなさい。おばあちゃんは、あなたが幸せに笑っている姿を見たいよ。」

祖母の笑顔を思い出す時、私はいつも、祖母からそんな風にほほ笑まれている優しくあたたかい想いが流れ込んできます。

今ではもう会えない祖母だけれど、亡くなった今も、祖母は私に愛を注ぎ続けてくれているのです。

私たちの心って、自分が思う以上に無垢で純真だったりします。

人を頑張っている、と認め受け止めることができないと、自分が頑張っている、とは認め受け止めづらかったり、
人を愛さないと、人に愛されている、とは思えなかったり
人を許さないと、人に許される、なんて到底思ないのです。

意識上では、私はこんなにやっているのに、なんて思ったりしますよね。
でも、私がやっていて、相手がやってくれない、と思う時って、相手がやってくれないのではなく、やってくれている相手を見たくない、という状態に陥っていることが殆どです。

私も、祖母に文句やあれしてくれなかった、これしてくれなかった、と不満があった時は、祖母がそんなに優しく愛をとことん注いでくれている、なんて受け止められていませんでした。

でも今は、祖母は亡くなっていますけど、それでもずっと、私に愛を注ぎ続けてくれている存在として、私の中にいます。

それはもしかしたら、私がちょっぴり昔より、大人になれた証拠なのかもしれません。

あなたに愛を注ぎ続けてくれている、あなたの幸せを心底願ってくれている、あなたの大切な人は誰ですか?

きっとあなたにもそんな人がいるはずです。

惜しみなく注がれている、溢れんばかりの愛を、両手いっぱいに受け取りたいですね。

この記事を書いたカウンセラー

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こじれたパートナーシップという自身の経験から、恋愛、夫婦関係、浮気、不倫、離婚、パートナーシップの問題を得意とする。「自分を愛する」ことで本来持っている才能魅力を開花させる。「話すと元気になれる!」「そういうことか!」など、明るく明瞭なカウンセリングスタイルが好評。