お気に入りの朝に現れるお母さん

私の朝は早くて、慌ただしいです。
息子のお弁当を作ったり、洗濯物を干したり、庭の水撒きをしたり、お皿を洗ったり、家族みんなを起こしたり、そんな朝の家仕事を一通りしてから仕事に出掛けます。

マンション暮らしの私は、家を出ると、同じ時間帯に出掛ける人たちに出くわします。
だいたい同じ顔ぶれです。
出勤や登校の時間帯で、みんな少し急ぎ足だけど、コロナの制限が外れた今は、「おはようございます」と、皆さん声を出して挨拶してくれます。
もちろん私も、相手に届く声で朝の挨拶をしています。

マンションの外に出ると、決まって朝の散歩から帰ってくる母より少し若いおばさんにも会います。
お互いを見つけると、少し離れたところから笑顔になって、「おはよう」と声を掛け合います。
そして必ず、「今日は、午後から雨降るよ。何時に帰るの?雨に降られない?」とか、近所の老人ホームで働いている私に、「あそこに勤めて何年になるの?本当えらいね。無理しないのよ」とか、私の方から「暑くなったね」「お散歩が気持ちいい季節だね」とか、一言二言おしゃべりをします。

それから火曜日と木曜日の朝は、ちょうどマンションの敷地を出るところで、マンションのゴミ出しや清掃にやってきたおばさんとも顔を合わせます。
そのおばさんは、いつもテンションが高く元気で、私の顔を見るなり、大きく手を振りながら、「おはようございます」と挨拶してくれます。
丁寧に立ち止まって、「今日も奥さんの顔見て元気出た」とか、「奥さんの顔見るとホッとするの」とか、「今日も一日頑張りましょう」とか言ってくれます。
別れ際には必ず、「ガンバ!」と言いながら、ガッツポーズを作って笑わせてくれるので、私も同じようにガッツポーズを作って「頑張ってきまーす、行ってきまーす」と、元気よく言うようにしています。

私は、こんな風に過ごす朝を気に入っています。
早起きして体を動かすと気持ちがいいし、人と挨拶ができると気分がいいです。
でも私の場合、気持ちがいいのには、気分がいいのには、もう1つ、母親が関係した理由が隠れていました。

私の母は10年ほど前から認知症です。
体は元気だけれど、その症状はだいぶ進んで、鼻歌を歌ったり、笑っておしゃべりしたリするけれど、会話は成り立ちません。
娘の私のこともわからなくなりました。サポートなしでは生活できなくて、今は老人ホームで暮らしています。

そんな母なので、もう甘えることも、慰めてもらうこともできないんだなって、私は時々さみしく思うことがあります。
おばあちゃんと孫、私と母と同年代くらいの親子連れを見かけると、羨ましく思います。
朝の散歩帰りのおばさんや、ゴミ出しのおばさんにだって、「お母さんが、こんな風に元気だったらな」と、何度思ったかわかりません。

だけどそれは、目の前に母はいないのに、もうかつてのしっかりした母と会えないとわかっているのに、私の心はいつも、お母さんを思い、探し見つけようとしていたということです。
心でずっと、母を恋しがっていたんです。

いつしか私は、おばさんたちを、「まるで、お母さんみたい」と思うようになっていました。
おばさんたちに、「頑張ってね」「行ってらっしゃい」と言われるたびに、私の心には、やさしいお母さんが蘇って、あたたかな気持ちを貰っていたんです。

息子のお弁当を作っていると、お母さんの作った温かいお弁当を心が感じていました。
洗濯物を干して、庭に水やりをすれば、朝の太陽の下で笑ってるお母さんを、大きな声で家族を起こせば、「なんでもいいから朝ご飯は食べていきなさい」と言うお母さんの愛を、心が思い出し感じていたんです。

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私たちの心や感情には、時間の概念がないのだと言います。
過去と似た場面では、その過去の感情が蘇るのだそうです。
朝の挨拶に気持ち良さや、心地良さを感じていたのには、慌ただしくても朝仕事が好きなのには、大好きなお母さんへの思いと、私がお母さんに愛されていた過去があったというわけです。

みなさんの日常にも、大好きな誰かへの思いや、愛されていた過去が隠れているかもしれませんね。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

夫婦の危機を乗り越えた経験から 夫婦関係修復、男女関係の問題を得意とする。 また子育て、家族、自分自身の性格の相談も多い。 「声に癒される」「話していて元気になった」と声を頂いている 介護福祉士として、老いと死を受け入れていく人達、その家族の心のケアを行っている。夫、息子、娘と4人暮らし