終わりなき自己嫌悪からの脱出
一見わかりにくい自己嫌悪ですが、あなたもまわりにもいるかもしれません。
自分を嫌うことにも何らかの意味があって、目的やメリットがあるのではないか?と考えてみるのが心理学です。
「自分を守るため」「誰かを守るため」に自己嫌悪が使われることがあることを、みなさんはご存知ですか?
◆自己嫌悪する目的:自分を守るため
自己嫌悪とは自分で自分を嫌う感情のこと。
ときに、徹底的に自分を嫌うことで、他者からの攻撃を避けることに使われることがあります。
たとえば、あなたの目の前にこんなふうに自分を責めている人がいると思ってください。
「私は本当にダメ人間で何の役にも立ちません。私はこの世の中に必要のない人間ですよね。もう消えたほうがいいですよね」と。
そんなふうに徹底的に自分を嫌っている人がいたら、あなたはその人に対してどんな言葉をかけるでしょうか。「そんなこと言わないで。あなたのおかげで救われる人だって、きっといるはず」と言いたくなるのではないでしょうか。
これは罪悪感が強い人に多いパターンなのですが、「私はこんなにも自分のことを責めています。
だからもう責めないでください」と自分を守るため(防衛)に自己嫌悪が使われることがあります。
本来の防衛は「傷つくことから自分を守るためにする」のですが、自己嫌悪が強い人の防衛は、あらかじめ自分を嫌っておくことで、誰かに嫌われたときにダメージを軽減するという、少々ややこしい防衛の仕方をします。
たとえば、「私なんてどうせ愛されないのよ」と自分を嫌っている人がいる。すると、失恋したときに、「ほら、やっぱり!誰も私のことなんて愛さないのよ!」と、あたかもわかっていたかのように言うのです。
あらかじめ自分に傷をつけておくことで、誰かにさらに傷つけられたときに、さほどの痛みを感じないで済むようにしているという意味でも、自分を守るための防衛になるのです。
◇自分を守るために自己嫌悪する人へのアドバイス
心理学にはこんな言葉があります。
「自分で自分を扱うように人からも扱われる」と。
あなたが自分を嫌ってちっぽけに扱うと、他の人からもそう扱われても仕方のない存在だと思われやすくなるのです。
またこんな言葉もあります。
「私たちは無意識的に、心の内側と外側を一致させながら生きている」と。
自分が自分をどう扱うかは、他人からどう扱われるかに大きく影響するのですが、私たちはそれに無自覚です。
私たちは他人が自分をどう扱うかには敏感なのに、自分が自分をどう扱うかには鈍感なところがあるのです。
ぜひ「自分との付き合い方」をチェックしてみてくださいね。
◆自己嫌悪する目的:誰かを守るため
誰かを守るために自己嫌悪することもあります。
これは無価値感が強い人に多いパターンですが、自分を嫌うことで誰かが嫌われないように守ってあげているともいえるのです。
たとえば、よくあるのは自己犠牲的なお母さんです。
あちこちでトラブルばかり起こしてくる問題児の息子を守るために、お母さんがこんなふうに言うことがあります。
「本当に申し訳ありません。あの子は悪くないんです。すべて母親である私が悪いのです。どうかあの子を悪く思わないでください。小さい頃はとてもやさしいいい子だったのに」と。
「どうか私を嫌ってください。でも、あの子は嫌わないで!」という心境がお母さんの中にはあります。
これは、お母さんは自分の身を差し出してでも、息子を救いたいわけですよね。
こんな自己犠牲的な自己嫌悪もあることを知っておいてください。
あなたのまわりにもこのような守り方をするような人がいるかもしれません。
◇誰かを守るために自己嫌悪する人へのアドバイス
「犠牲は愛ならず」と心理学では考えます。
あなたの犠牲によって誰かを守ろうとしても、その誰かはあなたに迷惑をかけ、あなたの幸せを奪ってしまったかのように感じるでしょう。
犠牲はひとつの愛のあらわれであることに間違いはありません。
しかし、結局のところは「自分は迷惑な存在で、誰も幸せにできない存在なのだ」といったネガティブな感情を感じさせてしまう愛し方なのです。
犠牲をする人は「自分が本当に幸せになることが、まわりの人の喜びになる」ということに気がついていない人です。
どうかあなたが幸せになることで、まわりの人たちに幸せを感じさせてあげてください。あなたが幸せになることで、家族を救うこともじつはできるのです。
このように自己嫌悪にも何らかの目的があることもあります。参考になりますと幸いです。
(完)