モテることと幸せがつながらない自立女子の憂鬱とその処方箋
「実際、異性から声がかからないわけでもない。自分さえ好意を相手を受け入れようと思えば、ぶっちゃけ付き合うことだってできる。でも、何故かなかなか恋愛に前向きになれないままなんです。」
今回の講座では、自立女子さんが恋愛がうまくいかない事情を探りながら、幸せになる方法までを解説していきます。
愛する才能もあるし、努力もできるし、好きな人の幸せもきちんと願える。そんな自立女子さんからいただく恋愛のご相談。
「実際、異性から声がかからないわけでもない。自分さえ好意を相手を受け入れようと思えば、ぶっちゃけ付き合うことだってできる。でも、何故かなかなか恋愛に前向きになれないままなんです。」
「正直、恋愛というか、パートナーがいなくても私は生きていける。でも、やっぱり愛する人がそばにいてほしいと思うんです。ただ私の恋愛はいつも終わってしまうんです。」
そんなお声をうかがうことも少なくないんですよね。
そこで今回の講座では、自立女子さんが恋愛がうまくいかない事情を探りながら、幸せになる方法までを解説していきます。
◯私しか私を救えない。そんな自立女子さんの恋愛パターン
私しか私を救えない。そんな自立女子さんの恋愛パターンの特徴は「自他ともに依存心を嫌う何かしらの事情を持っている」という部分にあります。
依存心を嫌うと、恋愛の中で「自分の中にある愛される魅力の否定」が起きやすいですし。
いわゆる「惚れる側の立ち位置に立たない恋愛を多く行う」ということを意味する事が多いんです。
結果、惚れられる側の立ち位置で恋愛をすることになり、なかなか「惚れる」ということが難しくなるか、もしくは恋愛だけ超依存的(惚れすぎてしまう)ことになることが多そうなんですね。
なので、できる限り自立的なマインド、与える、愛する、努力するという部分を中心に恋愛関係を構築して行こうとする方が増えるんです。
すると、必然的に恋愛の中で価値観の競争が起こりやすくなります。
・彼がいわゆる惚れた側(依存側)に回ってくれているうちはいいが、彼が自己主張を始めると衝突が起き始める
・彼もあなたを愛したいと思っているならば、お互いの価値観が衝突することになる
このようなことが起きやすいんです。
なので、好きな人といっしょにイても情緒的な消耗感が増したり、結果的に自分が幸せを実感できる時間が少なくなってしまうんですね。
◯自立女子の恋愛問題は「自分以上に与える人が出てきては困る」という問題でもある
さて、実際のカウンセリング現場ではこんなお声を伺います。
「私は彼のことが好きで受け入れてきたつもり。彼のわがままも受け入れてきたつもり。なのに彼に私の思いが全く伝わっていないような気がして、ものすごく辛いんです。どうして伝わらないのっていつも思うんです。」
これはとても深く重い気づきですよね・・・。
ただこの状況、いいか悪いか別にして、心の面から見ると、こんな事も言えるんです。
「そもそもあなたは彼がいても、愛する人がいても、私のことを救えるのは私だけ、という自立的な価値観の中で生きていたのかも」
その価値観の中では、自分以上に自立的(与える)パートナーが登場してもらっては困るんです。
それは自分が嫌っている依存心を受け入れることにつながるからですね。
だから、あなたの幸せを考えるパートナーがいたとしてもその相手の愛は受け取れない。
愛されていけばいくほど、笑顔がなくなったり、心のなかに喜びを感じられなかったり、辛さを感じる機会が増えていったりするのです。
これもまた「依存心や愛される側に立つことへの心理的抵抗」と見ることができるんですね。
◯自立女子のみなさんが幸せでバランスの良い恋愛を手に入れる方法
そんなとき僕がお伝えすることは、こんな感じです。
「あなたはあなたを救える。それは素晴らしいことだと僕は思います。
そもそも自分で自分を救える人を、プライドが高いだけ、とか、かわいそうだなんて、理解ある大人は思わないはずですよ。
むしろ、その生き方がどれだけ大変なことか、理解できるはず。
だから、あなたが困っているなら、少しでも力になりたい、と思う人がいても不思議じゃないといいますか。
でも、あなたはあなたのこと、どう感じるでしょうね。
そして、一度こう考えてみてほしいんです。
あなたがあなたを救えるように、あなたがその彼のすべてを愛して許すように
あなたのことを愛し、許そうとする人のこと、あなたは許せますか?」
つまり、自立女子のみなさんが幸せになることを考えるなら、あなた自身が愛される側に立つことや、あなたを愛する人の愛を受け取ることが必要になるのです。
「愛とはすべてを許すこと」といいますが、それは自分が誰かを許すことだけでなく、「自分が誰かに赦されること」も「自分自身の幸せを赦すこと」も含まれているものなのです。
あなたのことを支える人の愛を自分に禁止するのではなく、赦し受け取ることが求められることが多いです。
とはいえ、「私しか私を救えない」という感覚の中にいれば、人の手を借りずに自分を救える自分に大きな価値を感じることもあるでしょうし、そんな自分でいることにプライドを感じる人もいるでしょう。
僕自身、自分で自分を救えることの価値や意味はとても大きいと思います。決して無意味なことではないのです。
ただ、もし、あなたがバランスの良い幸せを望まれるならば。
「あなたはあなたの幸せを願う人の手を握ることができますか?」
この「受け取る」という要素について考えてみていただきたいなと思います。
この選択が最後の選択、こちらが何を信頼するか、という部分なんですよね。
これすなわち「私には愛される価値がある」と信頼すること。
ここに自分だけが自分を救える女子が幸せになる方法があるんですよね。
(完)