嫌いな人が見せてくれる自分の一面

みなさんは、嫌いな人や苦手な人はいますか。
今は思い当たらなくても、これまでの人生で「こいつだけは許せない」と感じる人はいたのではないでしょうか。
この自分とは似ても似つかない自分とは真逆の相手の要素が、実は自分の一部分なのだとしたら。
ちょっと小難しいけれど知っておくときっと役に立つ、「シャドウ」についてお話します。
心理学でいう「シャドウ」とは、心の抑圧した部分の事をいいます。

わたしたちは普段、「自分が認識している自分」を表に出して生活をしています。
そして、「自分が認識している自分」以外の要素はないものとして無意識に隠しています。
無意識にないものとして隠した自分が認めたくない要素やその要素を持った人があなたのシャドウであり、どうしても苦手で嫌だと感じる人が、自分が嫌い抑圧したシャドウが何かを教えてくれます。

わたしは長い間、きちんとしていない人が嫌いでした。
わたしの思うきちんとしていない人とは、
時間を守らない人。
電車の中で大声で話している人。
集団行動を乱す人。
周りに気を配れない人。
それ以外にも、男らしくない、女らしくない、講師らしくない、成人らしくない、親らしくないなど・・あげればきりがありません。

そして、きちんとしていないと感じる人に対し、
信じられない。
どんな神経してるんだ。
親の顔が見てみたい。
と、皮肉れるだけの皮肉を心の中でぶつけていました。

どうやらわたしは、人にきちんとした印象を与えるような態度をとり、目立たずお行儀よく、人の期待通りにしなければいけないというルールを持っていて、人の列からはみ出るような行為や個性的であることをシャドウにしていたようなのです。

人と違う自分を嫌って隠していたので、個性的な人や人と違う行動をとる人を「シャドウ」として嫌っていました。

例えば「怒る人がシャドウ」の人の場合、怒ることを抑圧し隠しているので、表に出しているあなたはおだやかで絶対に怒らない人です。
怒ってはいけないというルールがあるので、怒っている人を目の前にするとイライラしたり、嫌悪感でいっぱいになります。
ですがシャドウは本来の自分を教えてくれる存在でもあります。
なぜならシャドウは、抑圧し隠したあなたの一部だからです。
つまり、あなたは「怒る」という感情を抑圧しているのです。

シャドウを抑圧していると、本来の自分がどんな人間なのかがわからなくなってしまい、自分らしさを失くしてしまいます。
本当は怒りんぼうなのに抑圧して隠していると、自分が何を感じているのかがわからなくなってしまうのです。
これは怒っている時は感情をむき出しにして怒ろうよということではなく、
「自分はいま嫌だと感じているんだ」
「怒っているんだ」
と自身の感情を偽らずに受け入れて,その上でどのようにふるまうかは自分で決めることが大切だということです。

本来の自分を隠してしまうと、どこに居てもフィットせずに居場所がないと感じてしまったり、素の自分が出せないので孤独を感じてしまったりすることにつながります。
だから、シャドウを受け入れることは、自分らしく楽に生きることにもつながるのです。

最近のわたしはきちんとしていないと感じる人に対して、「何か事情があるのかな」などと寛容に捉えられたり、型にはまらないゆるさを良いものと感じるようになりました。
そして気が付くと自分に対しても寛容になり、人の目を気にせずに自分らしくいられていることに気が付きました。
人は自分がすることを許さないことは、他人がすることも許さないという心の法則があります。
これは心理学で投影と言い、逆に、他人がしても許せることは、自分がすることも許せるのです。

シャドウを受け入れていくことは、素の自分を受け入れることにつながり、より生きやすくなります。
表に出してる自分と、隠れているシャドウの部分を統合していくことで、より自分らしく厚みのある人へと成長し、自分に素直に自分らしく人生を謳歌していくこととなると思います。

シャドウが目の前に現れた時、「嫌だ」「許せない」と拒絶するのではなく、自分の人生をより豊かにするためのヒントに使うといいのではないかとわたしは思います。

この記事を書いたカウンセラー

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こじれたパートナーシップを改善するサポートを得意とする。 気さくで親しみやすいキャラクターで、クライアントの問題解決に寄り添い続ける粘り強さがある。 やわらかい雰囲気だが、鋭い感性で的確に問題の原因を探りアドバイスをもらえると支持を集める。優しさと鋭さを兼ね備えたカウンセラーである。