「自分らしさ」は、どこにある?

みなさんは、ご自分の「自分らしさ」って知っていますか?

何をしているときに、楽しい~!って感じますか?
誰と一緒にいるときに、リラックスできるでしょうか。
好きな場所とか、そこにいるとなんだかホッと落ち着く場所ってありますか?
お気に入りのカフェやショップは、どこでしょうか。
どんなフードやドリンクが好きですか?

自分自身がどう感じるか?という感情や感覚の中に、「自分らしさ」ってあるんじゃないかなって思います。

でも。
私はその昔、自分の「自分らしさ」がサッパリわからなかったんです。

とにかくやらなきゃいけないことばっかりで、楽しい時間なんてなかったし。
誰と一緒にいても気を使って、リラックスできないし。
1人暮らしの部屋は散らかっててくつろげない。
お気に入りのカフェはあったけど、やらなきゃいけないことで忙しかったから、めったに行けなかったし。
好きな食べ物や飲み物に至ってはわからなすぎて、お腹がすいても水を飲んでごまかす!というテイタラクだったんです(笑)
もうね、毎日のランチタイムに何を食べたいか?すら、よくわかりませんでした。

特に20代の頃はこんな感じだったので、毎日がつまらないし、とても生きづらかったんです。
それで、「自分らしさってなんだろう?」って、いつも悩んで、探していた気がします。

考えてみればその頃の私は、自分の気持ちを深く話せる友だちがいませんでした。

より正確に言うと、実は、友だちは多かったんです。
だけど、たとえば仕事にやりがいを持てなくて劣等感を感じていることとか、彼氏との関係がうまくいかなくて落ち込んでいる気持ちとか。
そういうネガティブな感情を話すことが「相手に迷惑をかける」と感じていたし、それに、「こんな惨めな私、知られたくない」って思って誰にも話したくなかったんですね。
だから友だちと会うときは、私はいつも聞き役で、自分の話はほとんどしませんでした。

当時の私は、「この感情は感じてOK」「この感情は感じちゃダメ」って、いつもいつもジャッジしていました。

どんな感情が感じちゃダメだったのか?というと。
寂しい・悲しい・苦しい・しんどい・つまらない・ムカつく……といった、いわゆるネガティブな感情を全般的に禁止していたんだと思います。

だけど感情って、感じたい感情だけを、感じたいときにちょうど良く感じられるようなものじゃありませんよね。
まるで湧き水のように、ポジティブでもネガティブでも関係なく、湧き出るように感じてしまうのが、私たちの感情。

それを「これは感じても良し」「こっちは感じちゃダメ」って選別しようとしたら。
一体どの感情が、自分が本当に感じている感情なのか、わからなくなってもムリはありません。

こんなふうに、私は「自分らしさ」を自分で抑圧して、見失い続けていたんです。

さらに、当時の私にはもう1つ、「こんな私はダメでしょ」っていうジャッジがありました。

それは、
「自分の感情・自分らしさがわからない私って、めちゃくちゃかっこ悪い!」
という思い。

なんか、感情が豊かな人ってステキで、自分の感情がわからない人って哀れ……っていう感じがしませんか?
けっこうヒドい固定観念ですけど(笑)
でも、私は大真面目にそんな思いを抱いて、「自分らしさ」がわからない自分のことをめっちゃ裁いて責めていたんですね。

当然、「自分らしさがわからない」っていうことも、誰にも知られちゃいけないトップシークレットになります。
だから誰にもわからないうちに、なんとか克服しなければ!って密かに色々と探求してみました。
小説とか評論とか新書とか心理の本とか、とにかくいっぱい読んだりもしたし。
「中華だったら餃子とビール」とか「この街でカフェに入るならココ」って、あらかじめ決定事項をつくってみたりもしました。
でもそんな試みで「これが私の自分らしさか~!」って思えたことって、なかったんです。
残念。

もう、私には「自分らしさ」なんてないのかも。
私って、ものすごく空っぽな人間なんじゃないだろうか。
自分を疑う気持ちがどんどん大きくなっていきました。

そんなとき、仕事関係である勉強会に参加する機会がありました。
その勉強会は「教育とはなにか」みたいなテーマで、中学校の先生がお話をしてくれていました。

その中で1つだけ、ものすごく印象に残ったお話があったんですね。
それはこんなお話でした。

***

朝顔の種は、生長したらちゃんと朝顔の花になるでしょう。
ひまわりにもならないし、ユリにもならない。
誰に教わらなくても、ちゃんと自分がなりたい形に成長するんです。
人間も同じで、子どもたちはみんな必ず「自分らしさ」というものを持っています。
教師の仕事って、子どもたち1人1人が、自分のなりたい形を探すのをサポートすることだと思うんですよね。

***

その先生は、自分が学んだり先輩から受け継いできた教育理念の話をしていたのだけど。
自分の「自分らしさ」なんて、もうないのかも……って諦めようとしていた私にとって、このお話はまるで福音のように聞こえました。

もしも。
もしも本当に、私たちが誰でも「自分らしさ」を持っているのだとしたら。
私には自分の自分らしさがわからないけど、それは「ない」わけじゃないのかもしれない。
なにか事情があってわからなくなっちゃっただけで、今からでも、1つ1つ、「私らしさ」を探していっても良いのかもしれない。

そんなことを感じて、また日常に戻っていったときに、私はあることに気がつきました。
たとえば友だちとの、ものすごくなんでもないフツーーーな会話の中に、「自分らしさ」の芽がいっぱい詰まっているように感じたんです。

「コンビニスイーツだったら、何が好き?」
「この雑誌のこの服、めっちゃかわいくない?」
「このジュース美味しいよ、味見する?」
「赤と緑だったら、どっちが好き?」
「100万降ってきたら、なにに使う?」
「あなたは、どう思う?」

どう答えたって、ぜんっぜん大丈夫な会話ですよね。
それまでの私は、自分の「自分らしさ」がわからないことを隠すのに必死で、そのなんでもない会話を楽しむ余裕なんて、これっぽっちもなかったんです。

だけど、もしも本当に、私たちが誰でも「自分らしさ」を持っているのだとしたら。

自分の中にも、きっと私らしさがある。
そう信頼できたら、なんだか急に安心して、友人たちとの会話を楽しんだって良いように思えたんです。

そして、思い切って
「私はコンビニだったらメープルとマーガリンがはさまってるパンケーキが好き」(←パンであってスイーツではない)
なんて言ってみると。
「あれ美味しいよね~!」とか、「どんなやつ?今度食べようかな」なんて反応が返ってきたりして。

ほんとに些細なテーマの中に、相手の、そして自分の「自分らしさ」がいっぱい詰まっていたんです。
その場限りで泡のように消えていく会話が、こんなに楽しかったのか……とビックリしたことを覚えています。

繰り返しになりますが、自分自身がどう感じるか?という感情や感覚の中に、あなただけの「自分らしさ」ってあるんだと思います。

そして、さらに思うのは。
自分が感じたことを誰かと分かち合うと、自分の「自分らしさ」の輪郭がさらにハッキリしていく、ということ。

「あなたは、それが好きなんだね」
「私は、これが好き」
そんな分かち合いが、「自分らしさ」の発見を加速してくれるように思うんです。

もし私と同じように、ご自分の「自分らしさ」に悩んで、探している方がいたら。

大丈夫。
あなたにも「自分らしさ」は必ずあります。
ぜひ、どんな感情もジャッジしないで感じてみてください。
そして、あなただけの感性を、勇気を出して信頼できる誰かと分かち合ってみてくださいね。

みなさんが、より自分らしく輝くことを楽しみに、応援しています。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

職場の人間関係をきっかけにうつ病になった経験を持つ。夫婦関係を見つめ直し心身ともに回復してきたことから「彼との距離が遠い」「人に頼れない」など恋愛・人間関係のご相談を得意とする。なんでも話せる安心感と、深い共感力に定評がある。クライアントの魅力や才能を引き出すことを大切にしている。