様々な罪悪感(2)〜やっていない罪悪感編〜

後々になって、「やっておいたらどうなっていただろう」と自分を責め続けないためにも、必要なこと

気づきにくく、後悔が大きいのが「やっていない」罪悪感です。
ですが、「やっていない」罪悪感は、やれないこと、力が及ぼないことに関しては持たないものなのです。
恥ずかしくてやっていないこと、ついつい後回しにしてしまっていること、やらなくてもわかってくれるだろうと思っていることなどを、今やることが大切です。

前回は「やらかしてしまった」罪悪感についてでしたが、今回はその逆である「やらなかった」「やっていない」罪悪感についてです。

誰かを傷つけてしまったり、失敗やミスをしてしまった時などに感じる「やらかしてしまった」という罪悪感は、迷惑をかけてしまった相手や、傷つけてしまった相手が明確に分かりやすかったりしますので、認識しやすいものです。
ですが、「やらなかった」「やっていない」罪悪感については、認識しづらいというのが特徴になります。

例えば、友人と遊ぶのに忙しく、田舎の祖母に長い間会っていなかったとしましょうね。
そんな時に、田舎のおばあちゃんが病気で亡くなったという知らせを聞きます。
慌てて田舎に戻ったあなたは、親戚の人から「今年はあの子帰ってくるかなと、あなたに会えるのを楽しみにしていたよ」なんて聞いたとしましょう。

「どうして、田舎に帰ってあげなかったんだろう・・・」と、思ってしまいませんか?

自分が田舎に帰ると、おばあちゃんが喜ぶって知っていたけれど、遊ぶのが楽しくて、ついつい後回しにしていた自分を責めてしまいませんか?

でも、これって普段はおばあちゃんに罪悪感があるなんて認識していないんです。
おばあちゃんが「帰ってこないなんて、おばあちゃん寂しすぎるよ」と泣いて電話してきていたなら、おばあちゃんを悲しませているなと、認識できるかもしれませんが、おばあちゃんがそんな事を一言もあなたに言わなかったとしたら、気づかないものなのです。

そして、後から聞いて「あの時、帰ってあげていたら・・・」と罪悪感に襲われます。

これは、まだわかりやすい例であり、私たちには「やらなかった」や「やっていない」そういう罪悪感がたくさんあります。

家族にやさしくしていない罪悪感や、パートナーに愛してると伝えていない罪悪感や、友人にありがとうや、ごめんねが言えていない罪悪感や、仕事に全力を尽くしていないという罪悪感など、たくさんあるものなのです。

だから、普段から恥ずかしくてやっていないこと、やらなくてもわかってくれているだろうと思っていること、まっいいかと後回しにしていることがあるならば、やっておいた方がいいのです。
後々になって、「やっておいたらどうなっていただろう」と自分を責め続けないためにも、必要なことです。
やらなかったことは、やっていないので、いくら考えても答えは出ないのです。
だから、この「やらなかった」「やっていない」罪悪感は、やらかした罪悪感よりも尾をひくのです。

それに、自分がやっていないことは、自分に与えられるとも思えません。
人にやさしくしていないなら、人からやさしくされるとは思えないですし、誰のことも愛していないなら、自分が愛されているとも思えないのです。

もし、「与えられていない」と感じることがあるならば、「自分は与えているだろうか?」と考えてみるといいかもしれません。
そうして、与えていないことに気づけたら、与えていくことで、「やらなかった」「やっていない」罪悪感を持たなくてよくなりますからね。

また「やらなかった」「やっていない」罪悪感は、やれないこと、自分の力が及ばないことに関しては、持たないものです。

「今日、雨を降らせることができなかった」とか、「オリンピックで金メダルをとれなかった」とは思いません。
もちろん、オリンピックに出場するような実力がある方は、「金メダルをとれなかった」と罪悪感をもってしまうこともありますが、私のような一般人は、力が及ばないことですので、金メダルがとれなくても、罪悪感は持ちません。

つまり、「やらなかった」「やっていない」罪悪感は、今できることを一所懸命やっていると、持たなくていいということなのです。
反対に、「やらなかった」「やっていない」罪悪感があるということは、やれることだったとも言えます。

そうは言っても、自分にだって気持ちが落ち込んでいるときだってありますし、都合というものがあったりもします。
そんなときに、家族にやさしくできなかったりもします。
遊ぶことや仕事に忙しく、田舎に帰れないことだってあります。
だから、一所懸命できることをやることは大切ですが、できないことには訳があるということも知っておいて頂きたいのです。

また、自分一人でできることには、限りがあることも知っておいていただきたいです。
それは、自分自身を小さく扱うことではなく、一所懸命やったとしても、今の自分にはできないこともあるということを受け入れる勇気です。
そのことを受け入れることができれば、自分の器を大きくしていくチャレンジもできますからね。

必要以上に、自分を責めるのではなく訳を理解して、自分を許し、自分を成長させていくことが大切です。

(続)

心理学講座4回シリーズ/同シリーズ記事はこちら
  1. 様々な罪悪感(1)〜やらかした罪悪感編〜
  2. 様々な罪悪感(2)〜やっていない罪悪感編〜
  3. 様々な罪悪感(3)〜私は毒である罪悪感編〜
  4. 様々な罪悪感(4)〜何が起こるか編〜
この記事を書いたカウンセラー

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