大切な人ほど遠ざける、自分は毒であるという自己概念
遠ざけるために、自分自身が悪い態度になることもあれば、相手にわざと嫌われるように仕向けてしまうこともあります。
パートナーシップの問題として現れることが多い「私は毒である」という概念もまた罪悪感の一種です。
「私は毒である」という概念も罪悪感です。
とは言っても、私たちは「私は毒である」なんてことを普段は思いませんよね。
これは概念のお話なので、感覚的なものとも言えます。
自分という存在は、周りに悪影響を与えるよくない存在であるという概念です。
もしも自分が毒そのものだとしたならば、大切な人を自分に近づけたくはありません。
人からも嫌われるだろう、嫌がられるだろうと思います。
だから、人と距離ができます。
大切な人であればあるほど、距離をとるようになっていきます。
この「私は毒である」という概念は、自分の性的な部分に関して感じることが多いものです。
大人に近づくにつれて、性的なことに興味が湧く自分や、肉体が大人に成長していくことに、嫌悪感をもってしまうのです。
大人になれば、大好きな人と性的に関わりを持ちたいと思うのは、自然なことなのですが、自分は毒であるという概念があると、そのようなことを思う自分を嫌い、大好きな人を汚してしまう存在のように感じてしまいます。
一概には言えませんが、この「私は毒である」という罪悪感は、パートナーシップ問題で現れてくることが多いです。
パートナーにやさしくできない、やさしくしてもらえない。
セックスレスが長年続いている。
浮気してしまう。浮気されてしまう。
「私は毒である」とするならば、大切な人を、自分に近づけさせないようにしたりします。
そのために、暴力や暴言を使うこともありますし、憎まれ口をたたいて自分自身が嫌われるような行動をとることもあります。
意識しているわけではありませんが、「私は毒なので、近づくな!」と、暴力や暴言、憎まれ口を使って、パートナーを拒絶し、嫌われることで遠ざけるのです。
また、暴力や暴言、悪い言動を使って嫌われるようにする以外にも、自分から距離をとって、逃げ出そうとするなんてこともあります。
関係性が進展して、これからどんどん仲良くなっていけそうだなというタイミングで、「私には、あなたを愛する資格なんてないの」とか「僕は、キミを不幸にしてしまうから側にいないほうがいいんだ」なんて言ったりして、パートナーから逃げてしまうのです。
こうやって、パートナーから逃げ出すことで、自分の毒で相手を汚さないようにしているわけです。
もちろん意識的にやっているわけではありません。
他にも、自分のことを相手に愛させないために、パートナーを選んでいくときに、自分のことを愛してくれなさそうな人を、選んでしまったりもします。
すでに結婚している人とか、問題を多く抱えている人などを選ぶのです。
結婚している人は、当然あなたのことだけを愛してくれるわけではないですし、不倫関係になるということは、誠実な人とは言えませんよね。
ハードワークで忙しすぎてなかなか会えない人とか、借金問題があって、恋愛どころではない人など、他のことで大変で、パートナーを愛する余裕なんてない人を選ぶことで、自分を愛させないようにするのです。
中には、自分は毒で大切な人を汚してしまうという罪悪感が強すぎて、大切なパートナーには指一本触れずに、次から次に浮気を繰り返すなんて人もいたりします。
自分の性的欲求を毒のように感じていればいるほど、大切な人には、指一本触れられなくなってしまうのです。
でも、関係性が薄い人など、表現の仕方はよくないですが、汚してもよいと思う人には、自分が毒だと思っている性的な欲求をぶつけることができてしまったりするのです。
その結果、パートナーを傷つけてしまって、さらに罪悪感を持つなんてことになったりもします。
「私は毒である」というのは、自己概念ですので、この自己概念を書き換えていことで、大切な人を大切にすることができるようになりますし、傷つけなくてもよくなります。
もし、大切な人ほど距離をとってしまうとか、悪い態度をとってしまうなんてことがあるならば、「私は毒である」という概念がないか考えてみてくださいね。
自分の存在を良いもの、素晴らしいものと思えるようになると、私は毒であるという罪悪感によって、大切な人を傷つけなくてよくなります。
(続)