許しとは、自分がもっと大きな愛になることを、自分に許すこと
こんばんは
神戸メンタルサービスの平です。
癒しの法則の中でいちばん大切なものは“許し”だといわれています。
しかしながら、かれこれ30年以上、みなさんに心理法則をお教えしておりますが、この“許し”の考え方ほど多くの人に誤解されているものはないと実感しています。
“許し”というと、理不尽なことやひどいことをされても、ひたすらがまんしたり、耐え忍ぶことだと思っている人の多いこと、多いこと‥‥。
じつはそうではありません。
“許し”とは、愛の法則なのであります。
毎日の生活の中では、だれかにカチンときたり、なにか文句を言いたくなったりすることもあるものです。
たとえば、町を歩いていたら、だれかと肩がぶつかった‥‥。そんなときはイラッとすることもあれば、「ちゃんと前を見て歩けよ!」と言いたくなったりしますよね。
でも、お釈迦様やイエス様だとしたら、肩が当たった相手に、イラッとしたり、毒を吐いたりすると思いますか?
お釈迦様が、「おまえ、どこ見て歩いとるねん。おシャカにするぞー!」とか言いますかね?
イエス様が、「おれはイエスだけど、おまえのその態度はノーじゃ!」と怒りますか?
たぶんイラッともしないでしょうね。
そんなお二方とみなさんとの違いは、愛の大きさにあるのではないでしょうか。
日常を生きていて、許せないことが起こる。私たちはそれを「愛の欠如だ」という見方をします。
自分がいまもっている愛では、許すことができないわけです。
ということは、この状況を怒らずに笑い飛ばせるようになるには、あなたはもっと大きな愛になることを自分に許さなければならないのかもしれません。
つまり、許しは外の人に向けてのものではないのですね。
自分がもっと大きな愛になることを、自分に許すことをいうのです。
たとえば、イライラとして、心には嫉妬があふれている、そんなときは他者の悪いところをアラ探ししたくなったりするものです。
他者を自分より下にすることによって、自分の価値を見ようとするからです。
でも、もし、反対の立場だったら、自分のことをアラ探ししてくる人を素晴らしい人だなぁなどと思うことはありませんよね。
つまり、あなたに必要なことは、相手のアラ探しをすることではなくて、その人のもつ美しさや素晴らしさを大きな愛の目で見ることなのです。
それができればできるほど、人々はあなたの愛に打たれ、あなた自身も魅力的な人となることができるのです。
心理法則の一つに、「人が傷つくのは、愛するのをやめたとき」というものがあります。
私たちはときにだれかに対して絶望したり、怒ったりして、その人を愛することをやめます。
もちろん、なんらかの理由はあったのでしょう。
ただ、何年も何年も愛することを止めているとしたら、その人はあなたにとってきわめて有害な人としてあなたの心に残りつづけます。
そして、その人のことを思うだけで、苦々しい気分になったりするでしょう。
しかし、あなたが変化をつづけているように、人もまた変化しています。
「憎しみ合うよりも、愛し合う関係がほしい」
そうあなたが望むことで、愛し合うことを自分に許すことも可能になります。
それができないかぎり、憎しみ合う関係を愛し合う関係に変容させることはできないのです。
来週の恋愛心理学もお楽しみに!!