ついにお別れの日が来てしまいました。
職場でお世話をしてきた地域猫の「たま」が、もらわれていくことになったのです。
地域猫とは、もともとは野良猫で、不妊去勢手術をして地域の人たちで餌やりなどの面倒を見ている猫のことをいいます。
私の職場は今敷地内に新しい社屋を建設中なのですが、工事中の敷地には地域猫が何匹か暮らしています。
たまもそのうちの一匹。
体の前半分が白く、たどたどしく歩く小さなかわいい女の子です。
私がたまに出会ってから一年半、たまは新しい人生を歩き始めることになりました。
*
私が初めてたまに会ったのは、ある冬の日。
工事の音に混じって、私のいる3階の部屋まで猫の鳴く声が聞こえてきました。
窓を開けてのぞくと、大きな声で鳴いていたのがたまでした。
たまは、重機と重機に挟まれた塀の上に取り残されてしまっていて、精いっぱいの大きな声で「助けて!」と叫んでいました。
私はあわてて階段を下り外へ飛び出しました。
塀の上で鳴き続けているたまに手を伸ばして、安全な場所まで連れて行くことができました。
工事中のストレスが少しでも減るように、せめてお腹けだけでも満たしてあげたい。
私はお休みの土日にも、たまのご飯の支度に職場に行くようになりました。
たまと会えなくても、用意したご飯がきれいに食べてあるのを見てはほっとしたものです。
そのうちに、たまは私の足音を聞き分けて「にゃあ」と鳴きながら姿を見せてくれるようになりました。
たまは、私のスカートの裾にじゃれて遊ぶのが大好きでした。
落ちている枯れ草を引っ張り合って遊んだり、尾長が飛んでいくのを一緒に眺めたり。
台風が来る前には、たまと一緒に安全な場所の下見をしたこともありました。
たまの無邪気さに触れられる時間は、私の心がほっとできる大切な時間でした。
*
たまと出会ってから一年半、その知らせは突然やってきました。
「たまが、再来週もらわれていくことになったって!」
「よかったじゃないお家が決まって、その方が幸せだよ」
みんなは口を揃えて言いました。
病気やケガ、暑さ寒さ、飢えの心配が無い方がいいのは、私だってわかってる。
でも、たまが私の知らない誰かのところへ行ってしまったら、二度と会えなくなってしまう。
そう思うと、私は悲しくなって涙が込み上げてきました。
「どうせみんなには私の気持ちなんてわからないよね、こんなにかわいがってきたのに、取られちゃうんだよ」
大切なものを失うのは、失恋するときの痛みに似ていると思いました。
私の大好きなものは、誰かに譲らないといけない。
私の大好きなものは、あきらめないといけない。
一歳違いの妹に母を譲ろうとしたときの痛みと、重なっていたのかもしれません。
*
お別れの日、たまはいつもと違う空気を察し、人の手が届かないところに隠れてしまいました。
約束していた引き渡しの時間になっても、たまは隠れたまま。
「まえじまさんが呼んだら出てくるんじゃない? 呼んでみて」
私は、たまを呼びたくはありませんでした。
出てきたら捕まえられて、もう二度と会えなくなってしまうから。
でも、つい言ってしまったんです。
涙声で「たま」と。
私は後悔しました。
私の声が聞こえたのか、たまはあっけなく出てきてしまったからです。
たまの表情は、覚悟したようにも見えました。
たまはまっすぐ私の方に歩いてきて、私の足に触れたところで捕まえられてしまいました。
洗濯ネットに入れられケージに押し込められても、たまは暴れたりはしませんでした。
みんなを困らせないようにしているようでした。
ただ、大きな声で鳴き続けていました。
「嫌だよ!助けて!」
私にはそう聞こえました。
あのときの塀の上のたまと、同じ鳴き声でした。
ケージの中で鳴き叫ぶたまの顔と鳴き声に、私は胸が張り裂けそうでした。
*
たまを一緒に見送った嘱託のAさんと、その日の夕方話す機会がありました。
Aさんは
「本当は自分が引き取りたかった、もう会えないと思うと心に穴が空いちゃって」と話してくれました。
私はたまの名前を呼んでしまった後悔を話し、Aさんと私は一緒に泣いたのです。
Aさんと気持ちを分かち合うことができると、辛さを受けとめてもらえたように感じられてほっとして、私の心は落ち着いていきました。
SNSに「たまの名前を呼ばなければよかった」とつぶやくと、反応してくれた方たちがいました。
寂しいよね
気持ち痛いほどわかる
せつない
私も胸がギュッと痛くなった
きっとたまも寂しかったよね
その言葉に、温かく寄り添ってもらっているのを感じられて、私の後悔の気持ちは救われたのです。
誰にもわかってもらえないと感じていたときはひとりぼっちだったけれど、誰かが寄り添ってくれる、つながりを感じられると痛みは癒やされていくのですね。
「心理学が人を癒すのではない、つながりが人の心を癒す」
何度も聞いてきたこの言葉を私は思い出していました。
たまと離れ離れになったら、たまには私の愛をもう受け取ってもらえないと思って傷ついていたけれど、ご飯やお水を用意することや、やさしく撫でたり一緒に遊ぶだけが、愛し方ではないのです。
たまを思い幸せを願う愛し方は、これからもできるのです。
たまの新しい人生を祈る愛し方もできるのです。
私が名前を呼んだとき出てきてくれたのは、たまから私への愛情表現だったのかもしれない。
私のことを信頼して「今まで楽しかったよ、ありがとう」と伝えてくれたのかもしれません。
私がたまを大切に思っているように、きっとたまも同じように私のことを思っていてくれるはず。
たまと出会わない人生よりも、たまと出会えた人生の方が何万倍も輝いている、そう思えるようになりました。
それも、私の辛い気持ちに寄り添って、一緒に感じてくれる人がいてくれたから。
カウンセラーとして、人としても、相手の心で一緒に感じることを、これからも大切に心に刻んでいきたいと思ったできごとでした。