コミュニケーションの役割は、おたがいの違いをどう埋めていくかを考えることにある
こんばんは
神戸メンタルサービスの平です。
ものの本にはよく「対人関係をよくするには、なによりコミュニケーションが大切です」、「コミュニケーションを密にとる努力をしましょう」などと書かれています。
そもそも、コミュニケーションとはいったいどういうもので、なんのためにあるものなのでしょうか?
恋愛初期、私たちは大好きなパートナーに嫌われたくないので、できるだけ相手に迎合しようとします。
すると、好きでないこと、いやなことに「ノー」が言えなくなることもしばしばあるものですよね。
しかし、それでは、パートナーから見たあなたは、「なにが好きで、なにが嫌いか」がわかりにくい人になっています。
同じように、恋愛初期はパートナーとの嗜好や感覚の違いもなかなか伝えられないことがあるものです。
とくにティーンエイジャーの場合、パートナーに嫌われることへの怖れが強く、違うと思ってもそれを伝えることはなかなかできません。
しかしながら、好き嫌いや感覚というものは一人ひとり異なり、まったく同一ということはありえません。
そして、「なにをすることが好き」で、「なにが苦手」で、「心が喜びで満たされるのはこんなとき」で、「いやなのはこういうこと」といったことが、その人の本質そのものだといってもよいでしょう。
恋愛初期は二人が同じ価値観をもっているように見えがちです。
が、おつきあいが進めば進むほど、二人の感覚やものごとの見方の違いが明白に浮き上がるようになってきます。
おつきあいの浅いうちは、惚れた側が相手に迎合するために、犠牲をしたり、がまんをしたりしがちですが、一定の期間が経過すると、「いつも自分ばかりがまんしている」という不満が募ってくるものです。
そして、がまんの限界がきたときにようやくコミュニケーションをとり、「このことがすごく苦手だ」、「このことがすごく嫌いだ」などと伝えたりするんですね。
しかし、がまんしていた側はようやく伝えることができたと思っているのに、パートナーからは「言ってくれたらよかったのに」、「なんで言わないのよー」などと言われることは少なくありません。
で、「言えないからがまんしていたのよ!!」とか「言えれば苦労しねぇよ!!」とぶち切れた経験がある人もいるのではないでしょうか。
つまり、コミュニケーションの役割は、おたがいが違うものごとの見方や感性をもっていることを伝え合い、その違いをどう埋めていくかを考えることにあると言ってもよいでしょう。
そう、二人の違いを戦いの材料にすることもできますし、たがいの違いを受け容れることで、従来とはまったく違うものごとの見方や考え方を学ぶこともできるのです。
それができないかぎり、あなたとは違う見方や感性をもつパートナーを受け入れることはできないし、自分の世界を広げることもできません。
アメリカのビジネスの世界では、配偶者・恋人などのパートナーがいない人は、管理職になかなかなれないとよく言われます。
これもまた、「違いをどれだけ受け容れられるか」ということがリーダーの資質として不可欠であるという考え方から来ているらしいのです。
あなたとパートナーはそれぞれ違うものごとの見方・考え方をするわけですが、そこで必要なのは、「どちらのやり方でやるか」、どちらの考え方が正しいか」といったことではありません。
「私たち二人が幸せになるために、どのようなものごとの見方・考え方をすることが必要か」を二人で考え、築き上げていくことこそが大切です。
二人の違いを知り、その違いを受け容れていくために、コミュニケーションは欠かせない手段といえるのですね。
来週の恋愛心理学もお楽しみに!!
(完)