好きな事を素直に楽しめない

相談者名
のすけ

30代前半の男です。
好きな事を素直に楽しめません。
「結局これやって何になるんだろう」とか、
「これを10代の時にできてたら」とか、
自分で自分に横槍を入れる感覚があります。
 
原因は10代の頃の家庭環境だと思います。
母子家庭でしたが、親は過干渉でした。
暴言、ネグレクトは日常的。
自分は教科書の範囲より先まで事前に取り組む程には意欲的でしたし、正直成績も良い方でした。
それでも毎日顔を合わせれば勉強とヒステリックに迫り、家は全然安らげなかった。
英語が好きで外国語大学を志望しても、
「何の仕事になるのかわからない」
「短大は男が行く場所じゃない」
「そんなお金出せない」
「そんな学校に行く人はご近所にいない」
みたいな調子で断られました。
大学は親が指定しましたが、レベルが合わずストレスだったので退学。
借りた奨学金は自分が10年かけて返済しました。
(ちなみに親は高卒、文盲気味で簡単な計算も苦手です)
 
またピアノやダンスが得意だったのでお稽古事としてやりたかったのですが、やはり親には
「ここら辺の人は誰もしてない」
「勉強をする時間がなくなる」
「部活にないなら必要ない」
と一蹴されました。
自分もただ求めてばかりいたのではなく、貧乏は承知で高校の時はアルバイトをしてお金を稼ぎましたし、スクール探しや見学のアポ、書類作り等準備も1人で総てやりました。
当然、親との対話も何度も試みました。
  
他の人が伸び伸び青春しているように、自分も本当に大切な事に青春を捧げたいのに、叶わない。
夢や目標のために努力がしたいのに、親の狭い世界観に自分の努力を差し出す形になっている。
本当の自分と向き合って欲しいのに、常に自分以外の何かばかり持ち出して否定する。
それでは自分には何も残らないと言う危機感から10代の自分は奔走したけど、駄目だった。
結果恐れていた通り、自分には良いものは何も残らなかった。辛く苦しい記憶だけです。
成人して仕事をするようになって、凄く苦労しました。
 
先日までダンスをお稽古事として続けてましたが、学生を見るたびに当時のトラウマが蘇って気持ち悪くなり、ある日突発的に辞めてしまいました。
自分でも嘘だろ、と思いかなりショックです。
 
昔覚えた虚しさや無気力感が時々新鮮に襲ってきて、死ぬほど辛くなります。
こういった感覚を全て忘れて、純粋に好きな事に打ち込みたいだけなのですが、どうしたら良いかわかりません。
どうしたものでしょうか。

カウンセラー
いしだちさ

こんにちは。
のすけさん、ご相談くださり、ありがとうございます。
回答させていただくカウンセラーのいしだちさです。
どうぞよろしくお願いいたします。

のすけさんが、ここまで自分で道を切り開こうとどれだけ努力されてきたのかと、しみじみ感じました。
高校生の頃からバイトやスクール探し、そして親御さんとの対話まで。
私自身も母子家庭で育ち、過干渉を受けた経験があるので、のすけさんの葛藤、私なりにですが、痛いほど感じてきました。

今回は、のすけさんが「好きなことを純粋に楽しむ」ことができるように、心をこめて回答させていただきます。

***

「自分には良いものは何も残らなかった」
という一言に、のすけさんの苦しみが集約されているように思います。
このつらい感覚が心に刻まれているのは、「お母さんが感じているもの」をのすけさんも無意識に感じ、背負っているからかもしれません。

心理学では、他人の感情が自分のもののように感じられる状態を「癒着」と呼びます。
「夢や目標のために努力がしたいのに、親の狭い世界観に自分の努力を差し出す形になっている」
この一文から、癒着傾向にあるように感じました。
共感力が高い方や、他者を優先する方は特にこの癒着傾向が強いことが多いです。
日本人にはこの傾向が少なからず見られます。

ですが、のすけさんとお母さんは、違う人です。
お母さんには、お母さんの気持ち。のすけさんには、のすけさんの気持ちがあります。

さて、この癒着がなぜ起こるのかというと、のすけさんが無意識に「お母さんを理解したい、助けたいから」という気持ちを抱いてきたからだと思います。

しかし、お母さんはのすけさんを理解してくれず、過干渉や暴言、ネグレクトといった行動をしてきました。
のすけさんが、どれほどの深い悲しみを感じてきたことでしょう。

同時に、お母さんがどれだけの生きづらさを抱えてきたか、想像できます。
そんなお母さんにとって、のすけさんを生んで育てることは、もしかしたら絶望のなかの唯一の「生きる希望」であり、「救い」だったのかもしれません。

そして、のすけさんが「好きなことを素直に楽しみたい」とこれほどまでに強く思う裏には「お母さんも、もっと自分の好きなことをして生きてほしい」という願いが込められているのではないかと思いました。

そのぐらい、のすけさんは、お母さんや他者への共感が深く、特に「人に喜び合いたい」「誰かと通じ合いたい」という気持ちが実は強い方なんだと思います。

たとえば、英語、ピアノ、ダンスといった「外に向かって表現する」ことが好きだということ。
それは、のすけさんが本当は人との関係を大切にしたい方なのかもしれません。

もしかしたらのすけさんは
「自分の好きなことをしたいだけです」
と、おっしゃるのかもしれません。

そうおっしゃるにも理由があると思うのです。
私はのすけさんにとって「人と喜び合いたい」「誰かと通じ合いたい」と思うことに、大きな絶望があるように感じます。

どうせ、自分が好きなことをしても、喜んでくれない。
それどころか 自分が好きなことに熱中することは、お母さんを否定することになってしまう。

この葛藤こそが、純粋に好きなことを楽しみたいという気持ちを曇らせ、「結局これをやって何になるんだろう」と、虚しく、無気力となり、時折新鮮に襲ってくるのではないでしょうか。

***

のすけさんが「好きなことを素直に楽しめるようになる」ための方法について3つ、提案をさせていただきます。

1、気持ちを話してみる

気持ちを、誰かに話してみませんか?

「好きなことを10代のときにできていたら」
この気持ちが行き場がないまま、のすけさんの心にたまり続けているのだと思います。
心がこの思いでいっぱいで、新しく「良いものを残そう」としても、できなくなってしまっているのだと思います。

そのため「なにを感じてきたんだろう」「自分はどうしてほしかったか」その気持ちを言葉にしてみることをおすすめします。

「はなす(話す)」ことで、気持ちを「はなす(放す=手放す)」ことができると言われています。
身近な方に話しづらければ、カウンセリングも一つの手段です。

2、主語を自分にする

癒着していると、自然と話す言葉の主語が他人になりがちです。
自分の人生の主語が「お母さん」になってしまうと、自分の人生を生きる感覚が薄れてしまいます。

たとえば、「お母さんが〜」と思ったら、「だから私はこう感じる」と、自分の気持ちを主語にしてみてほしいのです。

自分の好きなことを素直に楽しむためには、主語が自分である必要があります。
小さなことかもしれませんが、主語を自分にすることは自分の人生を取り戻すための大事なステップで、おすすめです。

3、人と分かち合う

最後に、分かち合うことの重要性をお伝えしたと思います。

心理学では、苦しみの多くは「つながりの欠如」に由来すると言われます。
つながりを取り戻すために、分かち合うことはとても大事だとされています。

お母さんとの対話が難しい場合、友人や仲間、コンビニの店員さんでもいいのです。
ちょっとしたコミュニケーションを取ってみませんか。
自分の好きなものについて話すのもいいでしょうし、今、のすけさんが苦しいと思っていることを分かち合うでもいいのです。

少しずつこうしたコミュニケーションを通じて
「分かち合う喜びって、どうやらあるらしい」
と思えたとき、のすけさんの人生にいいものが残っていくのではないでしょうか。

この積み重ねこそが、好きなことを楽しむときに、「これをして何になるんだ」と、思うことなく、素直に楽しめるようになっていけるのだと思います。

***

のすけさん、本当に長い間、苦しんでこられたと思います。

でも、その苦しみすら報われてほしい、これから好きなことを素直に楽しめる人生が送れますよう、願ってやみません。

この回答が、のすけさんの少しでもお役にたてたらうれしいです。
ご相談くださいまして、本当にありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛・夫婦・子育て・人間関係など、生きづらさや悩みを抱えたかたに、穏やかに、寄り添うことを大切にしている。「話すことのすべてを大切に聴いてもらえる安心感」がある。あらゆる人のなかにある豊かな才能・魅力に光をあて、生きる力を一緒に育む。共感力の高いカウンセラーである。