去年の夏のことです。
息子から「仕事を辞めたい」と連絡がありました。
息子は幼い頃から今の職業に就くことを夢見ており、高校を卒業してすぐに一人暮らしを始め、当時は3年目を迎えていました。
まだ修行中の身で、仕事に必要なライセンス取得のため一生懸命に頑張っている最中です。
だから最初は冗談か、気まぐれな気持ちで言っているのだろうって思いました。
でも、話を聞いていくうちに、どうやら本気で辞めたいと考えている様子。
私は「どうして辞めたいの?」と息子に尋ねました。
息子は、「自分の力ではもう今が限界なんだ。だから同じ業界の別の仕事に転職しようと思う」って言いました。
でも、私は、息子の考えをすんなりと受け入れることはできません。
息子は夢を叶えるために、これまでの人生のほとんどをそれに費やしてきましたし、私もいつも傍で息子をサポートしてきましたので、道半ばで長年の夢をあっさり諦めてしまうことが受け入れられなかったのです。
今、きっと何らかの思いを抱えて苦しくて、転職したいという気持ちは分かるんです。
でも、そんなに簡単に自分の夢を諦めたら、きっと後になって息子は後悔するのではないか?という思いが私の中で日増しに大きくなり、何とかして思いとどまらせなければと思いました。
「本当にやめてもいいの?」
「せめてライセンスを取ってから転職したら?」
「これまでだって頑張ってきたんだから、きっと大丈夫!」
そんな言葉を電話の度に伝えましたが、息子の意志は固く、何度説得を試みても平行線のままでした。
私は、次第に自分の言うことを聞いてくれない息子に対してイライラが募り、あるとき、ついに感情が抑えきれなくなってしまいました。
「そんな勝手なこと、お母さんは絶対に認めないからね!」
思わず怒って言ってしまい、「しまった!」と思いましたが、私は怒りが込み上げて止まらなくなり、「甘えだ」「逃げている」といった言葉を次々に口にしてしまいました。
息子は、「もうお母さん、いい加減にして!」と怒って電話を切りました。
私は慌ててかけ直しましたが、電話は着信拒否をされ繋がらず、後になってラインもブロックされていることに気づきました。
これまで喧嘩になっても、着信拒否やブロックをされたことなど一度も無かったので、息子から一方的に拒絶されたことで私はショックを受けてひどく落ち込んでしまいました。
私の考えが間違っていたのだろうか…。
息子の気持ちをもっと尊重してあげれば良かったのか…。
連絡がつかない日々の中で、時々そんな気持ちになったりもします。
でも、やっぱり「息子が間違っている」という気持ちがどうしても拭いきれず、ずっと自分の中で息子を何とかしなきゃという思いが消えませんでした。
*
そんな葛藤を抱えながら過ごしていたある日のこと、母が家にやってきました。
元気がない私のことを気遣って、お好み焼きを作りに来てくれたのです。
私は小さい頃から母の焼いたお好み焼きが大好きで、この日は久しぶりに母の愛に触れて少し気分が和らぎました。
ところが、母が帰った後、洗濯物を取り込みに行こうとベランダに出たとき、びっくりする光景が目に飛びこんできました。
洗濯ハンガーに吊っていた私の洋服が、全て逆さまに干し直されていたのです。
その日、私は、洋服の裾の両端を洗濯バサミで止めて干していました。
その干し方は私なりの意味があってそうしていたのですが、それなのに、今、私の目の前にある洋服たちは、全部、両肩が洗濯バサミで止められている。
それを見た私は、母が勝手に干し直したのだとすぐに分かりました。
慌てて洋服を洗濯ハンガーから外しましたが、どれも肩の部分がピーンってなっていて、まるでお殿様の裃(かみしも)のような形状。
「お母さん、また勝手なことを…。」
お好み焼きの喜びなんてとっくに吹っ飛び、母が私の干し方を「間違いだ」と決めつけて、勝手に手出しをしてきたことに無性に腹が立ちました。
もう私は大人なのに…。
私は私のやり方でやってるのに…。
なんで、お母さんはいつも自分のやり方を押し付けてくるんだろう…。
もちろん、母に悪意なんてなく、きっと優しさで干し直してくれたことは分かります。
でも、いつも私のやり方を正そうと、自分のやり方を勝手に押し付けてくる母を見る度に、私は自分という存在がいつまでも母に信じてもらえていないように感じて、このときは悔しくて涙が出てきました。
そんなとき、息子のことがふと頭をよぎったのです。
「もしかして、私も母と同じことをしているのではないか?」
だとしたら、息子は今の私のように、ただ自分のことを信じて欲しかっただけなのかもしれない…。
でも、私は「間違っている」「後悔するはず」と決めつけて、息子の気持ちを見ようとしなかった…。
それは、母が私のやり方を否定していたのと同じように感じました。
私は息子の気持ちを無視して、「母親として正しいことをしなくては!」って思いながら、無意識のうちに自分の心配や不安を息子に押し付けていたことに気づいたんです。
そして、その気づきの中で、さらに自分の心の奥にあった気持ちにも気づきました。
実は、息子が成長していくこと、そしてその成長に伴って親子の関係が変わっていくことに、私は怖れを感じていたんです。
息子が自分の力で自分の人生を歩んでいくほどに、私の存在は必要なくなるのでは?
今までのように息子を愛することができなくなるのではないか?
そんな気持ちが私の中に隠れていたことに気づきました。
それに気づいたとき、自分なりに悩み、考えて出した息子の結論を、初めて心から受け入れてあげたいって思えたんです。
思い返せば、小さい頃からいつも努力していたことや、口うるさい私の言うことを黙って聞いてくれていたこと。
そんな頑張り屋の息子の素直で優しい姿がたくさん思い出されて、そうしているうちに、「きっとこの子なら何があっても大丈夫」って、息子の力を信じることができたんですね。
そして今度は、母親としての自分を通して母を見てみると、心配もお節介も、すべては愛ゆえにそうなっていただけで、私が息子を愛しているのと同じように、母も私のことをただ愛していただけなんだと分かり、今更ながらにその想いは、不器用だけど私を想ってのことだったんだと気づきました。
私は、息子を一人の大人として信頼し、「手を差し伸べる愛」から「信じて見守る愛」へと、愛し方を変えました。
それが正しいかどうかなんて自信はありませんでしたが、でも、あの時、親として私にできることは、信じて手放すことしかなかったように思います。
大人になった息子に贈る、私なりの最大限の愛でした。
*
そして、ついに先日、あの時の答えが返ってきました。
今年の春に転職した息子と電話で話していたとき、何気に聞こえた息子の言葉に驚きました。
「仕事って、すごい楽しいんだね」
電話の向こうで嬉しそうに話す息子の声を聴いて、あの時、息子を信じて手放すという愛の形を選んで本当に良かったと心から思いました。
親は子供を愛するからこそ心配になりますし、守りたいと思います。
でも、その想いが強すぎると、子供が自分で成長する機会を奪ってしまうこともあるのだと、私は今回の出来事で痛感しました。
息子はこれからも悩み、迷い、失敗することだってあるでしょう。
でも、それなら私は、そのたびに息子の選択を信じ、見守りながら応援していこうと思います。